第14話 マリアの涙
ヴィラ・ドスト王立魔導研究所は、シュテルンフューゲルの南地区にある小高い丘の上に建つ施設。ここにあった廃城を改築したものらしい。
王城エフタトルムに勝るとも劣らない美しい白亜の建物で、シュテルンフューゲルを代表する建築物のひとつだ。
ボクはスキル「隠密」を発動した。
正門の前に立つ衛兵。ネコの子一匹通すまいと厳しい表情をしている。
ボクは、その衛兵の足下をすり抜ける。
ヴィラ・ドスト王立魔導研究所の敷地へ潜入した。
なかの警備もなかなか厳重だ。
建物入口に二人。そのほか敷地内を巡回警らする衛兵がいた。
ボクはスキル「隠密」を使用しつつ、まあるく刈り込まれた低い庭木のなかに身を隠した。
衛兵の足音が近づいてきて、目の前を通り過ぎていく。
ボクは衛兵の足を目で追いながら耳をぴこぴこさせて、足音が遠ざかっていくのを聞いていた。
しばらく庭木の身を潜めていると、衛兵が履いているブーツとは違う足音が聞こえてきた。
ボクは、そおっと庭木のなかから様子をうかがう。
女性がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
白いドクターコートに身を包み金髪をアップにまとめた青い瞳の女のヒト。どことなくラステルに似た顔立ち。
「マリア所長、こんにちは」
すれ違う衛兵や白いドクターコートを着た男性が彼女に挨拶する。
きっと、彼女がマリア・クィンにちがいない。
ボクは庭木のなかから飛び出して、彼女の足元に近づいた。
ニィ。
「あら、どこから迷い込んだのでしょう?」
女性は微笑みながら、ボクを抱き上げた。
ボクは彼女の耳元に顔を近づけて、そっと告げる。
「初めまして。マリア・クィン。ボクは『わたりネコ』。皆にはシャノワって呼ばれてる。ラステルからのプレゼントをお届けにきたよ」
クィンの末裔は、「わたりネコ」の存在を知っているからね。ラステルは、ボクが「わたりネコ」だと気が付いていないみたいだけれど。
ボクの言葉を聞いたマリアは、一瞬、はっとした表情を見せた。けれど、すぐに真顔になってボクを抱っこしたまま、足早に建物の方へと歩き出した。
「あら、可愛らしいネコ」
金髪碧眼の女性が駆け寄ってきて、ボクの首筋を撫でた。
髪や瞳の色は違うけれど、ラステルそっくりの顔だ。
彼女がラステルの双子の姉、マルティナ・クィンだろう。
「お庭をお散歩していたみたいね。他の研究員に見つかると、実験に使われてしまうから連れて来たわ」
マリアはそう言って微笑んだ。
ボクは思わずマリアの顔を見た。
……やっぱり、ここはコワイ施設だったんだね。
ボク一匹で乗り込むとか、なかなか無謀な考えだったらしい。スキル「隠密」を使ったのは正解だったようだ。
つぎに来るときはスピカを連れて来よう。
それにしてもこの王国は、ボクを「神の御遣い」と言って追い回したり、鍋料理の具材にすると言って追い回したり、果ては実験試料にするために追い回したりと、なにかにつけてボクを追い回す国だよね。
マリアはしばらく廊下を歩いて部屋へと入った。
客間だろうか?
部屋には大魔導士メルヴィス・クィンの肖像画が掛けられている。
メルヴィスが膝の上でまあるくなった白猫クロコを、慈愛に満ちた瞳で見つめる様子を描いたものだ。
マリアは背もたれの無いソファーの上にボクを降ろすと、
「お初にお目にかかります、シャノワ様。マリア・クィンと申します」
と言って恭しくカーテーシーをした。
どうして『クィンの末裔』が『わたりネコ』の存在を知っているかって?
だって、大魔導士メルヴィス・クィンの愛猫『クロコ』は『わたりネコ』だったんだ。
肖像画でメルヴィスが抱っこしている白いネコのことだ。だからボクは『わたりネコ』の話は、「クィンの末裔」たちに代々伝わっていると考えていた。
思った通り、マリアは『わたりネコ』の存在を知っていた。
「今日はキミに尋ねたいコトがあって来たんだけれど、その前に渡したいモノがあるんだ」
「私に、でございますか?」
「うん。コレだよ」
ボクはちょこんと座り、右足で首に掛かっってる風呂敷包みを指した。
マリアは瞬きして、ボクの首に掛かっていた唐草模様の風呂敷包みを受け取る。
「ラステルから託ったモノだよ。キミに会うコトがあったら渡して欲しいって頼まれたんだ」
ボクの言葉を聞いたマリアは目を丸くした。
「まあっ! あの子ったら、シャノワ様になんてことを……」
「いいんだよ。気にしないで。それより、なかを見てごらんよ」
マリアは慌てて風呂敷をテーブルの上で広げた。入っている品物を確認し、ラステルからの手紙を開封して読み始めた。
手紙の文字を追う彼女の瞳に涙が溢れてくるのが見えた。
読み終わるとマリアは手紙を胸の前で握りしめ、天を仰いで目を閉じた。
「そう。今はアルメアに……。良かった。生きていてくれて。良かった……」
彼女の頬を涙が伝う。
ココロから安堵した表情だ。
亡命から二年以上、安否不明だった娘。心配したことだろう。
「今はアルメア王国の冒険者ギルド9625に所属して、元気にやっているよ」
「ええ。この手紙にもそうありました。シャノワ様がギルドマスターなのですね。ラステルを採用して下さいましたこと、厚く御礼申し上げます」
「ふふっ。でも、ボクが冒険者ギルドのマスターをやっているのはヒミツだからね」
「ええ。口外しないと誓いますわ」
マリアは笑みを浮かべて頷いた。
「じゃ、本題に入ろうか」
「私に聞きたいことがあるのでしたね?」
そう言いながら、マリアはボクの隣に腰かけた。
ボクは両手で顔を洗って、彼女の方へ視線を向ける。
「ラステル亡命の件だよ。計画には君はもちろん、第一王子レヴィナスが関与していることも分かっている」
スッとマリアの顔から表情が消えた。
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