第18話 鍵の魔石

 ――リスト公爵邸。

 その日、ひとりの若い女が、この屋敷を訪れた。


 前下がりのボブにした黒髪にローズクォーツを嵌め込んだような瞳。すらりとした体躯に黒のローブを羽織っている。年齢は二十歳くらいだろうか。


 彼女は執事に案内されて、リスト公爵の私室に通された。


「アストライア様が、お越しになりました」


 執事が部屋の扉を開くと、ヨーゼフ・リスト公爵は椅子から立ち上がった。


 ――アストライア・シンキ・エイセル

 彼女こそ、「シンキ」の名を持つ「エイセル」王の末裔である。その身に未発現の「ラムドゥデモン」を宿していた。


 「エイセル王国」がエテルノン帝国(魔導帝国サタナエル)によって滅ぼされて以来、生き延びたエイセルの王族は長らく歴史の闇に身を潜め、様々な歴史的大事件に関与してきた。


 歴史書に記述されてはいないが、エテルノン帝国(魔導帝国サタナエル)滅亡のさい、裏から糸を引いていたのはエイセル王の末裔たちである。


 リスト公爵は、その身に「ラムドゥデモン」を宿す「デモンの一族」である。彼の一族の役割は、代々「シンキ」の名を持つエイセル王の末裔を庇護することだった。


 アストライアの前に立つと彼は静かに跪いた。


「アストライア様、長旅お疲れさまでございました」


「ヨーゼフ、久しぶりですね」


「アストライア様もお変わりなく」


 アストライアは、エイセル王国の「護国の魔石」、エイセリー・ハートを探している。今回は、ヴィラ・ドスト王国の隣国であるオルトナ王国でこの魔石を探す旅に出ていた。


 数百年前に、エイセル王国がエテルノン帝国に滅ぼされて以降、エイセリー・ハートは所在不明となっていた。エテルノン帝国建国時に破壊されたとも言い伝えられている。


 しかしアストライアは、そう考えていなかった。エイセリー・ハートは封印され、どこかに眠っていると推測していた。


 その決定的な理由が、「鍵の魔石」の存在である。


 エイセリー・ハートを「護国の魔石」として起動するには、「鍵の魔石」が必要だと言われている。

 実際、現在はヴィラ・ドスト王国の「護国の魔石」であるアスラ・ハートもメルヴィス・クィンが「鍵の魔石」を用いて起動したものだという。


 メルヴィスが著わした『魔導大全 第2巻』に次のような記述がある。


『「鍵の魔石」と「護国の魔石」は、ふたつでひとつの存在。「鍵の魔石」が存在するならば、「護国の魔石」もまた存在する。「護国の魔石」が存在するならば、「鍵の魔石」もまた存在する』


 つまりエイセリー・ハートを起動する「鍵の魔石」が存在するということは、エイセリー・ハートもまたどこかに存在するということだ。


 エイセリー・ハートの「鍵の魔石」は、数奇な経緯を経てリスト公爵家の下にあった。この魔石は、「デモンの一族」を素材に作成されたサタナエル石であると言われている。


 当初、このサタナエル石はエフタトルム城の宝物殿に保管されていた。

 第三代国王シャルルが王位に就くさい、彼は弟リチャード王子に支持を求めた。リチャードと彼の母は、王位継承を支持する対価として王宮宝物殿にあったひとつのサタナエル石を要求した。


 このサタナエル石こそが、エイセリー・ハートの起動に必要な「鍵の魔石」だった。


 なぜ、リチャード王子とその母がこのサタナエル石を要求したのか。

 それは、リチャード王子の母が「デモンの一族」だったからだ。彼女は自分の先祖が遺した「鍵の魔石」を探していた。王妃となった彼女は、あるとき王宮の宝物殿で「鍵の魔石」を発見したのだ。

 シャルルが第三代国王になった後、サタナエル石は約束通り「リスト公爵」となったリチャードに下賜された。


 そもそも「デモンの一族」は、ヴィラ・ドストの国王になることができない。

 この一族の者は、王位継承のさいに王政、ノウム教会、騎士団庁との間で行われる「相互誓約」をすることができないからだ。


 「相互誓約」は、ヴィラ・ドスト王国の「護国の魔石」アスラ・ハートに誓いを立てる秘蹟ひせき(特別な儀式)である。ところが、エイセリー・ハートと繋がりの深い「デモンの一族」は、アスラ・ハートに誓約者として認証されない。


 つまり、リスト公爵リチャードたちにとって、シャルルとの取引はまったく損のないモノだった。


 「デモンの一族」であるリスト公爵家とエイセリー・ハートとの関係は、記録が残っていないため不明である。おそらく、エイセリー・ハートの組成にリスト公爵家の祖先(デモンの一族)が深く関与したのだろう。


 しかし、この「鍵の魔石」は、ふたたびリスト公爵家の下を離れることになる。


 三年ほど前のことだ。

 ノウム教会の異端審問官がリスト公爵邸へ査察にやってきた。偶然その日、リスト公爵は隣国のオルトナ王国へ出かけていたので身体検査などは免れた。

 「鍵の魔石」であるサタナエル石は、リスト公爵しか開けることができない特別な部屋に保管されている。こちらも異端審問官に開示することを免れた。


 リスト公爵は、この抜き打ち査察が第二王子派か第三王子派による牽制だと考えた。


 第二王子派によるものなら、リスト公爵家の秘密を知る騎士団庁副長官ニコラウスが裏で糸を引いていることになる。

 しかし、彼の目的は「エイセル王国」の再興。「デモンの一族」であるリスト公爵家を害するようなマネはしない筈だ。くわえて騎士団庁副長官の立場にいる彼が、わざわざ教会を動かす必要はない。


 すると、第三王子派のロックバッハ侯爵の仕業である可能性が高い。リスト公爵本人が不在の日に抜き打ち査察をしているからだ。ニコラウスなら、リスト公爵が屋敷にいる日を狙っただろう。

 教会を動かして、リスト公爵家を潰すか味方に引き入れるネタを掴もうとしたのかもしれない。


 幸いそのときは、やり過ごすことができた。しかし、つぎも大丈夫だという保証はない。

 教会に調査名目でサタナエル石を提出を求められたり押収されたりすると、後が面倒である。いつ戻ってくるかもわからない。取り戻すのも一苦労するだろう。


 リスト公爵は、レヴィナスをつうじて「鍵の魔石」を王宮宝物殿に返上することも考えた。


 しかしそうすると、エイセリーハートが発見された場合に、その起動が困難になる。さらに返上するにも様々な手続きが必要だ。そのさい、第二王子派、第三王子派に付け入られるスキを与えることになりかねない。


 また、教会に目を付けられている以上、リスト公爵自身が売り手になってサタナエル石を売却することも避けたいところだ。


 リスト公爵はゼメキス公爵に相談した。もちろん、ゼメキス公爵にはこのサタナエル石がエイセリー・ハートを起動する「鍵の魔石」だということを秘して。


 ゼメキス公爵は、リスト公爵家の秘密を知る第一王子レヴィナスに「サタナエル石」を献上するよう提案した。これより前にゼメキス公爵は、レヴィナスにリスト公爵家が「デモンの一族」であることを明かしていたからだ。


 しかし、それではレヴィナスの王位継承争いに悪い影響があるかもしれない。

 そこで、リスト公爵は献上するさい「何かあったら、これを売り払って資金にしてください」と一言添えた。それは、手元に留めず、すぐに売り払ってほしいという意味でもあった。


 その後、レヴィナスはゼメキス公爵に依頼して、このサタナエル石をテスラン共和国内で売却させた。


「『鍵の魔石』は、どこへ?」


 サタナエル石売却の件は、アストライアにも伝えられていた。リスト公爵に害が及ぶことがあってはならない。彼女はサタナエル石の売却に同意していた。


とはいえ持ち主不明では、いろいろと不都合が生じる。売却後も、持ち主を追跡する必要があった。


「アルメア王国の『黒猫紳士』という者の手に渡ったようです」


「『黒猫紳士』? 何者ですか?」


 アストライアは瞬きしながら、首を傾げた。

 ずいぶん可愛らしい「二つ名」を持つ人物がいるものだ。そう思ったのか、クスッと笑みを漏らした。


「それが、正体不明の人物なのです。シャシャ商会と繋がりがあることまでは判っているのですが……」


 リスト公爵の報告を聞き、アストライアは俯き加減に少し考え込む。やがて、顔を上げるとリスト公爵の方へ視線を向けて言った。


「ちょうど、いいわ。いずれ『礎のダンジョン』に入るつもりでしたから」


「では、アルメアへ行かれるのですか?」


 アストライアは、リスト公爵に視線を向けながら笑みを浮かべて頷いた。


「ニコラウスから、目を離さないでください。エイセル再興のためとはいえ、少々、行動が目に余ります。お会いしたことはありませんけれど、根がまっすぐな方なのでしょうね」


 第二王子派に寝返った騎士団庁副長官ニコラウスは、エイセルの再興のため手段を選ばず暗躍している。実のところ、アストライアもリスト公爵もニコラウスの動きには頭を悩ませていた。


 いたずらに、ヴィラ・ドスト王国を分断して民の生活を脅かすことはアストライアの本意ではなかったからだ。


「かしこまりました」


 そう言うと、リスト公爵は右手を左胸にあてて恭しくお辞儀をした。

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