第17話 ドロレスの遺産

 時はすこしさかのぼる。


 ヒルマンを取り逃がした翌日、アリシアはラノセトル大聖堂のとある部屋へと向かっていた。

 標的を取り逃がしたためか、やや苦い表情だ。

 ひんやりとした空気が漂う大聖堂の回廊内に彼女の足音だけが、どこかむなしく響いている。


 ――ラノセトル大聖堂

 初代国王ヴィラ・ドストの時代に着工され、現在も建設中のノウム教総本山である。竣工には、あと二百年の歳月が必要ともいわれている。ゴシック様式の大聖堂の奥に巨大な「創世神エイベルム」の像が置かれ、毎年、数十万人の信者が礼拝に訪れるヴィラ・ドスト王国の名所のひとつだ。


 アリシアは、優美な装飾が施された白い扉の前に立ちノックする。


「アリシアです」


「入るがよい」


 扉の向こうから、しわがれた声が聞こえた。彼女は静かに扉を開け部屋へと入る。その部屋は教皇の執務室だった。

 部屋の奥で白髪の小柄な老人がソファに腰かけて、ティーカップに口をつけている。


 この老人は、ノウム教会教皇ラングデル。


 騎士団庁長官グレゴリウスと並ぶほどの武術の達人でもある。異端審問官だったころ、部下のハウベルザックとともに新米「わたりネコ」の黒猫シャノワを追いかけ回して捕えたのもこの人だ。


「どうした?」


 ラングデルはアリシアの方へ顔を向け、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑顔を見せる。


 アリシアは、おずおずとラングデルに近づき彼の前で跪いた。ラングデルは、彼女の表情、仕草から察したらしい。


「取り逃がしたか」


 彼は、目を閉じてため息をついた。


 アリシアがヒルマンの命を狙っていたのは、レヴィナスの命令ではない。このラングデルの命令である。


 アリシアは、もともとテスラン共和国のとある貧民街を根城にしていた盗賊だった。あるとき、彼女のパートナーがスピカを頭領とする「盗賊ハルカ」の仕事を妨害し、これが原因で抗争に発展した。


 だが、相手は大盗賊。しかも、その頭領はスピカである。アリシアの一味は、あっという間に壊滅した。


 「ハルカ」の追っ手から逃れたアリシアは、ヴィラ・ドスト王国の王都にある貧民街に身を隠していた。

 しかし、ここにも「ハルカ」の手が及ぶ。深手を負ったアリシアは、ラノセトル大聖堂に逃げ込んだ。そこで偶然、ラングデルに助けられたのである。


 以来、表向きは修道女でありながら、ラングデル直属の工作員として生きてきた。その後、レヴィナスと出会い、ラングデルの命もあってレヴィナスの諜報員になった。


「申し訳ございません。思わぬところから、邪魔が入りました」


「邪魔とな?」


「はい。ひとりは『鬼面猿猴きめんえんこう』の者でした。それから、もうひとりは女でしたが、鬼面猿猴とは無関係のようです。ヒルマンは、その女が連れて行きました」


 ラングデルは手に取ったティーカップをじっと見つめながら、アリシアの話を聞いていた。カップに口をつけ、なかの紅茶をこくんと一口飲んだ。


「お主も分かっておろうが、『ドロレスの遺産』の存在を王政や騎士団庁の者に知られるワケにはいかん。あれは世に出してはならぬものじゃ」


 「ドロレスの遺産」とは、最近、ラノセトル大聖堂の書庫で発見された『護国の魔石』の組成術式である。


 ――護国の魔石

 神話の時代に創世神エイベルムが人類に与えたと伝えられる魔石である。言い伝えによれば、文字どおり国全体に強力な防御バフをかけるモノらしい。しかし、その大きさ重量などは詳らかでない。


 ラノセトル大聖堂の禁書庫に保管されている『旧大聖典』には、二つの『護国の魔石』の記録が残る。ひとつは「アスラ・ハート」、もうひとつが「エイセリー・ハート」である。


 このうちアスラ・ハートは、現在、ノウム教の管理下にある。その所在は教皇しか知らない。


 エイセリー・ハートについては、数百年間その所在が判っていない。エテルノン帝国(魔導帝国サタナエル)建国時に封印されたとも、破壊されたとも伝えられる。


 ヒルマンは騎士団庁を追われてからすぐに、ほんの出来心からラノセトル大聖堂の書庫で未整理の書物を漁っていた。土属性魔法しか使えないくせに、珍しい魔法で一旗揚げてやろうと考えたらしい。


 そこで彼は、偶然、ある秘密を知ってしまう。それは、エテルノン帝国初代皇帝カピラヴァストの右腕、大魔導士ドロレス・クィン・アスラが発見した『護国の魔石』の組成術式だった。


 そしてあろうことか、ヒルマンはこの書物を持ち出そうとした。それを教会の人間に見つかり逃走した。幸いにして、彼は書物を投げ捨てて逃げ出したので、ラノセトル大聖堂から「ドロレスの遺産」は持ち出されていない。

 しかし、その内容は驚愕すべきモノで、教会としては決して外部に知られるワケにはいかなかった。アスラ・ハートやエイセリ-・ハート以外の『護国の魔石』など作り出されては、教会の権威失墜につながりかねないからだ。


 そこで教皇ラングデルは、アリシアにヒルマンを消すように命じていた。

 以来ヒルマンは、王都の貧民街に身を潜めていたのである。


「幸いあの書物は持ち出されておらぬ。とはいえ、方々に広められても困る内容じゃ。真偽は不明じゃが、楽観はできん」


「心得ております」


「神に仕える身で、こんなことはしたくないがのう。あの男には消えてもらわねばならん」


「はい」


 ラングデルは天を仰いで目を閉じた。


「それにしても、運が良いのか悪いのか、間が悪いというべきか。あのような書物に出会わなければ、あの男ももうチト平穏に暮らせたであろうに」


 ラングデルは、くつくつと笑う。


「しかし、鬼面猿猴が出てくるとはのう。まったく、あの男はあちこちでヤブを突き回しておるようだの。それで、連れ去った女の目星はついておるのか?」


「それが、まったく行方が分からないのです」


「お前でも、そのようなことがあるのか?」


 アリシアは言葉が見つからないのか、黙り込んでしまった。

 その様子を見たラングデルは、顎髭を撫でながら思案しているようだ。


「……引き続き、ヒルマンの捜索を。発見次第、処分せよ」


「かしこまりました」



 アリシアが去った後、ラングデルは首を左右に振りながら呟いた。


「今頃になって、あのような書物が出てくるとは。これも創世神様の御心と言うものであろうか」

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