第16話 おしゃます鍋
部屋の奥へと進んで行くと、間口の広い鉄製の観音扉があった。扉には錠が掛けられている。スピカは、またポーチから合鍵を取り出して開錠した。
部屋のなかには、様々な置物、絵画、刀剣、宝石、魔石などの美術品や工芸品、財宝が置かれていた。
そのなかに、ひときわ大きな魔石がある。
スピカは部屋のなかを見回すと、その魔石の方へ向かって進んでいった。
あれが「エイセリー・ハート」?
ボクは首を傾げた。良質の魔石なのは間違いなさそうだけれど、『護国の魔石』というほどの存在感はない。
ボクは、とてててっと魔石の前に立つスピカの足下へ駆け寄った。ボクを抱っこすると、彼女が尋ねた。
「どう?」
魔石の台座に「エイセル・ハート」と表記されている。
鑑定スキルを使って魔石を診る。
「ワイバーンの魔石だね」
「……そう」
あれかな? 宝石に「月の涙」とか名前をつけるコトがあるケド、そういうノリかな?
いずれにせよ、情報はガセだ。
スピカは、ため息をついた。
それでも、かなり高価なモノだ。サタナエル石ほどじゃないケド、大金貨三百枚は下らないだろう。貴族の屋敷が一棟建つほどの価値はある財宝だ。
手ぶらでは帰れないのか、スピカはボクに鑑定させた魔石やその他の財宝を持てるだけ革袋に詰めた。
「用事は済んだわ。行きましょ」
ボクたちは「織姫や」へ戻ることにした。
帰るまでが「
部屋を出たボクたちは足音を消し、息を潜めながらディオトルム宮殿の薄暗い地下通路を進む。
ん?
鎧姿のニンゲンが、前方に立ちはだかっている。かなり背が高い。
鉄兜の奥から、彼の目が妖し気な光を放っていた。
「アァー……、アア……、アアア………」
ヘンな声を出して口から涎を流しながら、ボクたちを見ている。ニンゲンというより、人型の怪物と言った方がいいかもしれない。
「な、なにアレ?」
スピカを見上げると、彼女は鎧姿の男を凝視していた。
「女女女女ァ~ッ! オシャマス鍋~ッ!」
鎧姿の男はそう叫ぶと、口から涎ダラダラ垂らしながらボクたちに襲いかかってきた。
「えええええっ!?」
「いやあああぁ!」
と、とりあえず逃げよう。
ボクとスピカは、くるりと踵を返して駆け出した。
「女女女女ァ~ッ! オシャマス鍋~ッ!」
鎧姿の男は涎を撒き散らしながら、アスリートのようなランニングフォームでボクたちを追い駆けてくる。
「ぎにゃー! お、おしゃます鍋って、いったいなんなのっ!?」
「しらないわよっ!」
鍋っていうくらいだ。きっとそのメインになる具材はボクなのだろう。
スピカが立ち止まり、追ってくる鎧姿の男と向き合う。
逃げるのは諦めたらしい。
ディオトルム宮殿の地下は、迷宮のように通路が入り組んでいる。一度迷うと出られなくなる恐れもある。
逃げ回っているうちに、帰り道が判らなくなる方が厄介だ。
「仕方ないわね」
スピカは、背負っていた神剣「
金剛石から作られたという透き通った刀身。その外延だけが青白い光を帯びている。
「ムッ? ソノ剣、『神剣』カ?」
バリリッ!
スピカの周りで放電が生じる。ボクは慌てて彼女から離れた。
スピカの身体が雷を纏っている。
――
羽衣のように雷を纏うスピカのスキル。不用意に近づくだけで、雷撃によるダメージを受ける。攻防一体の戦闘スキルだ。
スピカが剣をひと振りする。
剣から放たれた雷撃が、鎧姿の男に直撃した。
雷撃をくらった鎧姿の男は、ぶすぶすと煙を上げながら、ばたーんとその場に倒れる。
「た、倒しちゃったの?」
「しょうがないでしょ。手加減なんてできないわ」
まぁ、気持ちはわかる。アレは真正のヘンタイだ。まともに相手をしてはダメだ。できるなら瞬殺した方がいいだろう。
それにしても、こんなところでアノ男は何をしていたのだろう?
ボクは、とてとてと、うつ伏せに倒れる鎧姿の男に近づいた。
てしっ、てしっと男の頭部を軽く叩いてみる。
彼は動かない。
今度は、そおっと鼻先を近づけてみる。
「オッシャマス鍋ェーッ!」
がばっと、と鎧姿の男が顔を上げて叫んだ。
ぎにゃー!!
男は立ち上がり、ボクに襲いかかかってくる。
驚いたボクは、とっさにアルテマクロウで彼を迎撃した。
アルテマクロウの斬撃が、男の腕を斬り飛ばす。
ところが彼は、斬り飛ばした腕をジャンプして空中でキャッチした。そして、斬り飛ばした腕をつなぎ合わせる。
「ええーっ!?」
どうやら、この男は「再生スキル」を持っているらしい。とんでもないヘンタイだ。
けれども、彼は着地と同時に片膝をついた。
膝から下を切断されている。切断された足は彼の足元に転がっていた。
彼の背後に、いつの間にかスピカが立っている。
――
空を舞う鷹の如く相手に迫り、斬撃を与える剣技。「剣聖技」のひとつとも言われている。スピカは「剣聖」ではないけれど。
彼女の存在を感じたのか、鎧姿の男は振り向いた。
けれども、すでにその視線の先にスピカの姿はない。
彼が気付いたときには、懐に入り込んだスピカの天叢雲が男の心臓を貫いていた。
彼の胸と背中から、血飛沫が噴き出ている。
スピカが剣を引き抜くと、男の身体は糸が切れた人形のようにうつ伏せに倒れた。
天叢雲を一振りして、スピカは剣についた血を払う。
彼女は後を見ながら、ボクの方へ近づいてきた。
「さ、行きましょ」
ボクたちが、その場を後にしようとしたときだった。
「待テ」
びびっくう!
なんと、男が起き上がろうとしている。
え、えっ、どゆコト!? 心臓刺されたよね、フツウ死んじゃうよね?
彼は胡坐をかいて座り込み、スピカに斬り落とされた足を繋いでいた。
そして鎧姿の男が、ボクたちの方へ視線を向ける。
けれども、先ほどまで放っていた殺気は消えている。
ボクたちにボコられて萎えたのだろうか。
そして、なぜか手招きしている。
ボクたちは顔を見合わせた。不用意に近づくワケにはいかない。
「ナニヲシテイル? 襲ッタリハシナイ」
そう言うと、彼は懐から出した白い布をふりふりして、また手招きする。
ん? んん? おおおぉ……。
彼の方から漂ってくる魅惑の香り。
これはネペタラクトール。いわゆるマタタビ成分だ。
ネコのボクでは、抗うことができない。
その香りに誘われて、ボクは鎧姿の男に近づいていった。
「ちょ、ちょっと、シャノワ!」
やがて、ボクは鎧姿の男の前でお腹を見せて寝転がった。
男がボクのお腹をモフモフし始める。
そして、彼はスピカに視線を向けた。
「女、オマエモ、コチラヘ来ルガイイ」
そう言って手招きする。
スピカは、ため息をついて男の方へ歩き出した。
スピカが近づいていくと、彼は「ソコデ止マレ」と掌を見せて彼女を止める。
スピカは首を傾げている。
彼女は男の指示どおり、モフモフされているボクを見ながら、ぺたんとその場に座った。
「警告シテオク。女ハ我ニ触レルナ。我ノ理性ガ崩壊スル」
「は?」
彼によれば、女性に触れると性的興奮が抑えられず襲ってしまうらしい。
いや、たぶん女性を見ただけで、理性を保つのが困難になるのではないかと推測する。難儀なヒトなのかもしれない。
「我ガ名ハ、アモン。王家を守護スル者ナリ。女、オマエカラハ、懐カシキ匂イガスル」
――アモン。
エフタトルム城に現れるという「王宮の守護者」。第五代国王トレミィとの盟約により、王家を守護する怪人だ。
それにしても、なんて、ヘンタイ染みた守護者なんだ。
「におい?」
頷くアモン。
スピカは顔を顰めている。
「当代の『ハルカ』デアロウ?」
――大盗賊『ハルカ』
三百年ほど前から存在するという大盗賊団。総数は不明。その活動範囲は極めて広く、世界中に様々な伝承や逸話も残す。
じつはスピカ。この大盗賊団の頭領だ。
世界中に点在する「乙星や」「七夕や」「織姫や」などの妓楼は、「ハルカ」の拠点として置かれている。
スピカは彼に視線を向けたまま、なにも答えなかった。
「ハルカノ女トハ、二、三度相マミエタコトガアル。ソノナカデモ、オマエハ最高ノ女ダ」
「どうも」
首を傾げて、スピカは作り笑いを浮かべた。
「猫ナド連レテ、ナニヲシニ来タ?」
いや、答えるワケないでしょ。
「お城見物に来たのよ」
スピカは、ニコリと笑って答えた。
アモンは興味深そうに革袋の方を見ている。
「ソレハ、土産カ?」
彼は顎をしゃくって尋ねた。
「ええ。手ぶらじゃ帰れないもの。そうでしょ?」
「フッ、フハハハハハ。アア、ソノ通リダ」
そう言うとアモンは立ち上がった。スピカも同時に立ち上がる。
「我ハ友トノ盟約ニヨリ、彼ノ子孫ヲ守護スル者。財物ナド知ラヌ。好キニスルガイイ」
ええーっ!? いいの? 財宝泥棒は見逃すんだ?
アモンがボクたちに背中を見せて、立ち去ろうとしたときだった。
スピカは、彼に声をかけた。
「待って。聞きたいことがあるの」
「ム?」
彼は立ち止まって、背中を見せたまま振り返る。
「あなたはラステル、ラステル・クィンの亡命を助けたわよね? それをあなたに依頼したのは誰?」
アモンは、しばらくの間スピカの方に視線を向けていた。
けれども、ふたたび背中を見せて歩き出す。
そして、すうーっと闇に溶けるように姿を消した。
「第一王子レヴィナス・ヴィラ・ドスト」
と言い残して。
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