第3話 酒場で出会った男と女
貧民街の片隅に、ひっそりと建つ小さな酒場。
カウンター席にポツンとひとり座るヒョロガリでちぢれ毛の小男は、ショットグラスのなかの安酒を一気に飲み干した。
タァン!
グラスの底が黒光りする木製のカウンターを叩き、乾いた音がアルコールの匂い漂う狭い店内に響き渡る。
「ったくよォ、何でオイラが追い出されなきゃならねぇ? オヤジもそう思っちゃうだろォ?」
グスッとエルフのような長い鼻をすすり、男はカウンターに突っ伏した。
カウンター越しに立ってグラスを拭いていたマスターのオヤジは、また始まったとばかりに無言で彼に背を向けた。
男は一、二年ほど前から、この店にやってくるようになった。齢は三十歳後半くらいだろうか。本当か嘘か酒場の常連は誰も知らないが、本人曰く騎士団庁の元
「あら、随分と荒れているのね。お酒をそんな風に飲むのは良くないわ」
男は声のする方に顔を向け、何かを言いかけた。
キャミソールワンピース姿の女が男の隣に座る。
半開きだった口は形を変え、男はニヤァと笑みを浮かべた。ねっとりとした笑みだ。
彼女のワインレッドのキャミソールワンピースは、胸元が大胆に開いており丈も膝上と短め。美しい金髪とマリンブルーの瞳をもつ美女だったが、男の視線はすでに女の胸元に釘付けとなっている。
女は男を見ながら「ふふっ」と小さく笑う。そして、男の肩に手をかけてしなだれかかると、彼の耳元で囁いた。
「今夜は、貴男と一緒にいたいわ。ねぇ、いいでしょう?」
女の人差し指の背が、ゆっくりと男の顎から頬を撫でる。
男は粘性の笑みを浮かべたまま、上着のポケットから小銀貨を一枚出してカウンターに置いた。
「えへ、へへへへ。オヤジ、酒代はここへ置いておくぜ」
そう言うと、男は女の腰に手を回した。
マスターのオヤジはポカンと口を半開きのまま瞬きをして、手を振って店を出て行くふたつの背中を見送った。
すると、ふいにジャラという金属音がした。
マスターのオヤジが音のする方に視線を向けると、焦げ茶色のローブを着た男がカウンターに小銀貨を二枚置いていた。フードを目深くかぶっているので、顔は判らない。
「ま、まいど」
マスターのオヤジはその男に底知れぬ不気味さを感じたのか、少し引き攣った顔で一歩後退りした。ローブの男は、先に出て行った男女を追うように無言で店を後にした。
「こっち、こっち、ここを曲がるのよ」
「えへ、えへ、あいよォ」
ちぢれ毛ヒョロガリの男は、貧民街の入り組んだ小路を女に言われるがまま歩いてきた。
やがて人通りのない小路に入ると、女は男の正面に立ち髪を縛っていた紐を解いた。ポニーテールにしていた金色の髪がさらりと降りる。
男は妖艶なその姿に目を奪われた。
女は腕を男の背中に回すと、彼に濃密な口づけをした。男もそれに応じるように、女の背中に腕を回している。ふたりは、しばらくの間、口づけをしながらお互いに背中やお尻を撫でまわし合っていた。
ようやく女は唇を男から離すと、潤んだ瞳で男を見詰めながら囁いた。
「ねぇ、あたし外でヤルのが好きなの。ここでして」
男はキャミソールワンピースをやや乱暴にずり降ろすと、あらわになった女の乳房に頬ずりをした。そして、すべてのタガが外れたように、女をむさぼり始める。
やがて男は、スカートを捲し上げ女の両脚の間に顔をうずめた。
その時だった。女は男の鳩尾を蹴り上げた。
「うっ、うぐっ!?」
「うふっ、死んで、ヒルマンさん」
腹を押さえながらうつ伏せに倒れたヒルマンの首に、いつの間にか細い紐が巻き付いていた。彼女の髪を束ねていた紐だ。
女は素早くヒルマンの背後に回り、背中合わせに馬乗りとなっている。そして紐の両端を引き、彼の首を絞め上げた。
「こはっ、かっ……」
ヒルマンの首を絞めながら、彼を背負うような恰好で女が身体を前に倒していく。
「ごあ、あ、あああ……」
ヒルマンは、自分の首を絞める紐に手をかけた。身体強化をして、紐を振り解こうとする。しかし、どういうワケか魔力循環が上手くいかない。身体全体が痺れているようで、手に力も入らない。
決して緩むことない紐が、ヒルマンの首に食い込んでいく。あとは彼の断末魔を待つばかり。
そこへ突如、ふたりに向かって飛び込む黒いモノがあった。
それを視界の隅に捕えたキャミソールワンピースの女は、即座に前転してヒルマンから離れた。ヒルマンの首を絞めていた紐は、刃物のようなもので切断されている。
女には、突然飛び出して来た黒いモノがとてつもない魔力を持った化け物……にみえた。
ニィ。
「ね、ネコ!?」
ニィ。
飛び出して来たのは、黒猫だった。その隣でヒルマンは四つん這いになり、激しく咳込んでいる。
「いやぁ、探しましたよ。まったく猥雑な街ですね、ここは」
今度は背後からした男の声に、キャミソールワンピースの女は振り返った。その視線の先に、焦げ茶色のローブを着た男が立っている。目深くかぶったフードを男が脱ぐと、なかから二つの角を持つ猿の仮面が現れた。
その姿に、女は声を上げた。
「『
――鬼面猿猴。
大盗賊「ハルカ」と並んで、ヴィラ・ドスト王国、オルトナ王国、シン国、テスラン共和国などで暗躍する闇組織の一つである。諜報はもちろん、金さえ積めば破壊工作、要人の暗殺なども行うといわれている。
「その方には、お聞きしたいことがありましてね。今、殺してもらっては困ります」
「邪魔をするなっ!」
キャミソールワンピースの女は、くるりと回って鬼面猿猴の男に回し蹴りを放っていた。速く鋭く振られた悪魔の大鎌のような蹴りが、彼に襲いかかる。
「おっと」
男は後方に飛び退いて、彼女の蹴り回避する。逃がすまいと距離を縮め、着地した男の懐に潜り込む女。
「シッ」
男の脇腹めがけて拳を突き出す。
彼は、それを手で払い除けるように受け流す。
そして、攻撃に転じる鬼面猿猴の男。女の腹部に向けて膝蹴りを放つ。
女のそれよりも速さはない。しかし、彼女よりも重い蹴り。
「ぐっ」
咄嗟に両手でブロックしながら、女は後方へ飛んで男の蹴りをどうにか受け流した。
「おや?」
鬼面猿猴の男が、ヒルマンの方へ顔を向けた。
キャミソールワンピースの女も男の動きを警戒しつつ、ヒルマンの方へ視線だけを移した。
彼女の目に飛び込んできたのは、ボルドー色のワンピースに身を包んだ女の背中。なんと、ヒルマンを抱えて駆けて行く。その後を追うように、黒猫も駆けて行く。
暗がりだったこともあり、キャミソールワンピースの女にも鬼面猿猴の男にもヒルマンを連れ去った女の顔は見えていない。
ヒルマンを連れ去った女は、遊女スピカ。その後を追うのは、黒猫シャノワである。
「くっ!」
キャミソールワンピースの女が、スピカたちの後を追って走り出す。
鬼面猿猴の男は、その様子を眺めていた。
「まぁ、こちらは別に急ぎませんので、またの機会にいたしましょう」
彼はそう言うとフードを目深く被り、ローブを翻して闇の中へ溶け込んでいった。
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