第1話 ルーナリエナ宮殿

 ラステルの元側仕ターニャから「ラステル亡命」についての聞き取りは終えた。翌日、ボクはアルメア王国第一王子レオンが暮らすルーナリエナ宮殿へ向かった。


 ラステル亡命の件、そしてサタナエル石の解析結果と量産の断念などをレオンに伝えるためだ。

 

 ――ルーナリエナ宮殿

 初代国王ガイガが、王城の東側に位置する丘の上に建てた「月見の塔」を増改築した宮殿だ。白亜の外壁は、王女ソフィアが暮らすエストレラ宮殿とよく似ている。他方で、内装は木材がふんだんに用いられ、どの部屋も温かみのある雰囲気になっている。


 丘の中腹に広がるススキ野原。秋ごろになると金色の穂を上げる。たくさんの金色の穂が風に揺れる光景は、つい時間が経つのを忘れて眺めてしまうほどだ。


 とてとてと宮殿の門を抜けていくと、どこからか金属がぶつかる音や擦れ合う音が聞こえてきた。


 ボクは立ち止まり、耳をぴこぴこと動かす。


 ……中庭の方から、聞こえてくるね。


 音のする方へとててててっと駆けていくと、宮殿の中庭でレオンが剣聖アリスと剣の稽古をしていた。


 ――アリス・バトラー

 アルメア王国の「剣聖」で、ギルド9625に所属する19歳のS級冒険者だ。胸元で揺れるペンダントは「剣聖」の証。「竜晶石ドラゴンローズ」を嵌め込んだモノ。世界で唯一、二振の神剣「天羽々斬あめのはばきり」と「天尾羽張あめのおはばり」のあるじとなった女性だ。


 レオンは剣聖アリスを相手に、押されまくっているように見える。けれども、アリスの剣撃を受け流し、あるいはひらりひらりと躱している。決して華麗に躱しているとは言えないケド、アリスに有効打を打たせないように動いている。


 そして、レオンは自分から打ち込もうとしない。


 まぁ、アリスに打ち込めるほどの隙は、ほとんどないケドね。剣聖相手にあそこまで躱し続けるのは、かなりスゴいよ。


 ボクはすこし離れたところでちょこんと座り、しばらくふたりの稽古を眺めていた。するとレオンは、ボクの姿に気が付いたらしい。剣を収めて近づいてきた。


「シャノワか。よく来たな。アリス、今日はここまでにしようか」


 レオンが振り向いてそう言うと、アリスは微笑みながら「ええ。そういたしましょう」と言って頷いた。


「元気そうでなにより。キミは相変わらず、相手に打ち込まないんだね」


「……剣聖に打ち込む隙など、無いからな」


 そう言ってアリスの方を見ながら、苦い顔をするレオン。にこりと微笑むアリス。


 たぶん相手がアリスじゃなくても、彼は自分から打ち込んだりしない。性格的に優しすぎるから、相手に攻撃できない。


 これを彼の美点だというニンゲンもいる。けれども、ボクにとっては心配のタネだ。その優しさが、勝負所でチャンスを逃すコトにつながるかもしれない。


「今日は、いろいろ報告があって来たんだ」


「では、なかで話そう」


 レオンは、ボクを抱っこして宮殿へと歩き出した。その後をアリスが続く。


 レオンの部屋は、書物で溢れかえっていた。本棚にはびっしりと書物が並んでいる。本棚に収まりきらない書物は至る所にうずたかく積まれ、机の上は何冊もの読みかけの書物が開きっぱなしで置かれている。


 幼いときに母親を亡くした彼は、寂しさを紛らわすためだろうか、書物ばかり読んで暮らしていた。いまでもシャシャ商会を通じて国内外の書物を取り寄せては、読みふけっているようだ。


 部屋の真ん中に据えられたテーブルの前で、レオンはボクを降ろした。そして積まれた書物をどけると、側仕えを呼んだ。


「紅茶とミルクを頼む」


「かしこまりました」


 ボクは彼の足下にちょこんと座り、毛繕いをする。レオンはソファーに腰かけボクの方を見ていた。


「アリスも、こちらへ来て座れ」


 そう言って、扉の前に立つアリスにも声をかけた。アリスは、ボクとレオンを交互に見た。


「まぁ、いまはボクもいるし、いいんじゃない」


 アリスは護衛任務のため、ギルド9625から派遣されてこの宮殿にいる。彼女はギルド9625に採用されて以来、エイトスと交代でレオンの護衛にあたっている。


「では、お言葉に甘えまして」


 アリスは、テーブルを挟んだレオンの正面のソファーに腰かけた。


 しばらくすると、側仕が紅茶とミルクを持ってあらわれた。

 側仕は、紅茶を注いでティーカップをレオンとアリスの前に差し出すと、ミルクをスープ皿に注いでボクの前に差し出した。


「ありがとう。しばらく、別室で控えていてくれ」


 レオンがそう言うと、側仕えは「失礼いたします」と言って退室した。


 側仕えが退室したのを確認したボクは、サタナエル石の解析結果と量産の断念を彼に伝える。


「そんな魔石だったのか。ラステル嬢には悪いことをしたな」


 じっとボクの話を聞いていたレオンは、そう言って目を閉じてため息を吐いた。


「まだ終わったワケじゃない。サタナエル石が流出した事情とラステル亡命の件が残っている」


 ボクは、右前足をぺろぺろ舐めた。


「何か判ったの?」


 アリスがボクに尋ねた。


「とりあえず、ラステル亡命の件については、彼女の元側仕だったターニャから聞き取りを終えたところだよ。はっきり判っているのは、ラステルの亡命が事前に計画されていたコトだ。そして騎士団庁のほか、かなりの大物が関与している可能性が高い」


 顎に手を当てながら宙を眺めていたレオンが、ボクに視線を向ける。


「サタナエル石の流出については、どうなんだ? ラステル嬢の亡命と関係はあったのか?」


「いまのところ、なんとも言えないね」


 目を閉じて腕を組み、レオンはなにやら考え込んでいる様子だ。


「いまは、誰がラステルの亡命に関与したのかについて、ヴィラ・ドスト王国をスピカに調査してもらっている」


 それを聞いたレオンは、どこか釈然としない様子だった。


「先日、ソフィアがここへ来てボヤいていた。なぜ、遊女に調査依頼を?」

 

 レオンの妹アルメア王国王女ソフィアは、黒猫会議の後、ラステル亡命の件を調査したいとボクに申し出た。けれども、ボクはその申し出を断っていた。


「ヴィラ・ドスト騎士団庁、クィン伯爵家などが相手だからね。万が一の場合、ソフィアの配下だと『アルメア王国』の名が出てしまう。スピカなら、問題は大きくならない」


 万が一、アルメア王国の諜報員が捕らえられた場合、国家間の問題に発展しかねない。

 その場合、アルメア王国内におけるソフィアとレオンの立場が悪くなるおそれもある。


 第二王子ロラン派、第三王子エデン派の貴族たちにとって、第一王子レオンを糾弾する格好の材料になるかもしれない。彼らはレオンを貶め、あわよくば亡き者にする機会を虎視眈々と狙っているからだ。


 こうしたキケンを出来るだけ避けるため、ボクは「ラステル亡命」の件についてスピカに調査依頼をした。


「遊女を通じて情報収集しようというのは、解らないこともないわ。けれど、上手くいくの?」


 アリスは右手を頬に当てながら、こてりと首を傾げてボクに尋ねた。


 そういえばアリスは、スピカと面識はなかったね。


 スピカが冒険者であるコトは、アリスも知っているかもしれない。しかし、スピカが持つ「もうひとつの顔」までは知らないのだろう。


 黒猫会議の後、ヴィラ・ドスト王国の情報収集をスピカに依頼すると告げたとき、ソフィアは嫌な顔をしていた。それは、スピカの本業とも言える「もうひとつの顔」にある。


「おそらく、ラステル亡命の件については、誰が調べても上手くいく保証はないよ。だから、よりキケンの小さい方法を採用したのさ」


 ボクは、ちょこんと座って毛繕いをした。


「それから話は変わるケド、ティカレストを使ってハール侯爵領の状況を探った方がいいかもしれない。シャシャ商会に、大量の武器を発注したみたいだよ」


 ハール侯爵は、第三王子エデンを支持する大貴族だ。アルメア王国の南に位置するベナルティア王国との国境に面した地域が彼の領地だ。最近、国境周辺でベナルティア兵との小競り合いが頻発しているらしい。


 ベナルティア王国は、地竜エルマラクを駆る強力な竜騎兵の軍団を持つ。エルマラクは、馬よりもスピードは劣るものの、持久力があり小回りがきく。攻撃力も高い。


「ベナルティアか……」


 レオンは厳しい表情で、窓の外を見た。


「ハール侯爵はエデン王子の支持者だケド、あの一族は決して一枚岩じゃないようなんだ。とくに長男の方は、エデン王子に良い感情を持っていないというウワサもある」


「ハール侯爵の息子を取り込むのね?」


 アリスがそう言うとレオンは、すこし苦い顔をして彼女の方を見た。どうやら、ハール侯爵の長男が苦手らしい。


「うん。ベナルティアの件を上手く利用すれば、切り崩せるかもしれないよ」


 レオンは、なおも苦い顔をして頭を掻きながら宙を見ている。


「わ、わかった。その件は、ティカレストに話しておこう」


 ボクの方を見ながらそう言って、紅茶をひとくち啜ると作り笑いを浮かべた。


 ひととおり報告を終えたボクたちは、ギルド9625にラステルを採用した経緯や最近のアルメア王国国内のコト、最近のレオンの生活のコトをなどの話で盛り上がった。


 とくにレオンは、ラステル採用時の話に胸を打たれたようだった。「そうか、良かったなぁ、ラステル嬢。本当に良かったなぁ。ぐすっ」と言って、目に涙を浮かべていた。


 久しぶりに、レオンと楽しいひとときを過ごした。けれどもボクには、まだやらなきゃならないコトがある。


「そろそろ、行くよ。しばらくアルメアを離れる」


 ボクは立ち上がって、とてとてと部屋の扉の方へと歩きだした。


「どこへ?」


 と、背中越しにアリスの声がした。


「スピカに呼び出されてね。ヴィラ・ドストへ行ってくるよ」


 ルーナリエナ宮殿の門まで、レオンとアリスはボクを送ってくれた。


 宮殿の門から出て、ボクはとてとてと歩く。しばらく歩いて立ち止まり振り返る。

 何度もボクは、レオンの方を振り返る。


 レオンは、いつまでもボクを見送っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る