第2話 ねこじゃらし

 ここは、ヴィラ・ドスト王国王都の歓楽街。

 その一画にある妓楼「織姫や」。


 ボクは、この妓楼に滞在する遊女スピカに会いに来ている。


 アルメア王国の王都で、スピカの報告を待っていたら彼女から手紙が届いた。


 待っていた調査報告がきたのかと思って読んでみれば、


『アルメア王都にばかりいないで、こっちにも顔出してよね!』


「……」


 彼女のご機嫌を損ねるワケにはいかない。あとのコトをエイトスたちに任せ、ボクだけヴィラ・ドスト王国に入国したというワケだ。


 「織姫や」は、アルメア王国の「職人の街」マイステルシュタットの歓楽街に軒を連ねる「乙星や」の姉妹妓楼。

 木造三階建ての窓の欄干や見世の部分は朱色に塗られ、軒には提灯がかけられている。雰囲気は「乙星や」とよく似たカンジだ。


 ボクからの調査依頼を受けたスピカは、この妓楼に滞在して情報を集めていた。


 流石のスピカでも、今回の調査は難航したらしい。なにせ相手は王族、クィン伯爵家、そして騎士団庁。前二者は根拠のないウワサ程度の情報しかなく、騎士団庁にいたってはとにかく口が堅いのだそうだ。


 まだ、中心人物には辿り着いていないようだ。けれども、新情報があった。


 それは、ヴィラ・ドスト王国の公式発表に関するものだ。


 「ラステルの処分」について公式発表では、たんに「マリア・クィンの長女マルティナが適合者と判明したことから、双子の次女ラステル・クィンを慣例に従い処分した」というものだった。


 だが、騎士団庁の調書によると「逃亡を図ろうとしたラステル・クィンは、森のなかで身を潜めていたところを魔導騎士クロム・リッターカヲルコ・ワルラスに発見され処分された」とされているそうだ。


 公式発表と現場からの報告内容との間に、齟齬そごがあるコトがわかる。

 公式発表は、まるで王政の方で処分したかのような内容だ。けれども、現場の報告は騎士団庁が処分したコトになっている。


 また、騎士団庁の調書から、ラステルを処分したとされる人物がいたコトも判る。カヲルコ・ワルラスという魔導騎士クロム・リッターだ。


 魔導騎士クロム・リッターカヲルコ・ワルラス……。このヒトもまた、ラステル亡命の協力者かもしれないね。


 そして、いったいなんの用でヴィラ・ドストに呼び出したのかとスピカに聞けば、手伝ってほしい仕事があるらしい。まだ準備ができていないので、詳しくは後日話すという。


 ボクは小雨の降る街並みを背にして、窓の側で横になっていた。


「うふふふ。シャノワ。これなーんだ?」


 だらーっと横になっていたボクは、薄く目を開ける。


 ボルドー色のタイトワンピース姿で、ボクの前に現れたスピカ。後ろ手に隠していたなにかを、ぴっとボクに見せた。


 ボクの目に飛び込んできたのは、


 ――ねこじゃらし

 数多のネコを翻弄してきたニンゲンの魔道具。ボクたちネコは、細い棒の先についているアノふあふあしているヤツを目の前でちらちらされると、つい手を出したり飛びついたりしてしまうのだ。


 そして野良ネコだったボクは、コイツへの耐性が著しく低い。


 スピカはボクの目の前で、「ねこじゃらし」をふりふりし始めた。


「フッ、子猫じゃあるまいし、そんなモノで遊ぶワケないでしょ」


 ボクは目を瞑って、しっぽをふりふりした。


「どうかしら?」


 スピカは笑みを深めて、「ねこじゃらし」でボクの鼻先をくすぐる。ボクは、目をきゅっと閉じてそれに耐えた。そして、「ねこじゃらし」が鼻先から離れるのを感じ、薄く目を開けてみた。


 うず……。


 スピカが、「ねこじゃらし」をゆっくり振る。ボクの視線がそれを追う。

 彼女が右に「ねこじゃらし」を振れば、ボクの視線も右に。左に振れば、ボクの視線は左に……。


 うず、うず……。


 なおも、ゆっくりと「ねこじゃらし」をふりふりするスピカ。

 それに合わせて、なぜかボクの顔は右に左に……。


 くっ。

 これが、ネコの本能というヤツか……。


 ボクは思わず右前足を、ちょいと出した。それを、ふいっと避けるスピカ。

 そして左前足を、ちょちょいと出すと、それもふふいっと避けられる。


 そんなコトを繰り返すうち、とうとうボクは、


 にゃーん!


 両前足を出して飛びついた。さっと躱すスピカ。


「ふふふ。それっ」


 スピカが、「ねこじゃらし」を大きく右に振ると、


 にゃにゃーん!


 ボクはぴょーんと飛んで、ふあふあのヤツを捉えようとする。


 くそう、くそう。ネコの本能が恨めしい。

 にゃにゃーん!


「そおーれ、それ」


 スピカが大きく左に振れば、


 にゃにゃにゃーん!


 飛びつこうとするボク。ささっと躱すスピカ。

 その動きは、次第に速くなっていき……。


 もはや、目にもとまらぬ速さの攻防となった。


 はぁ、はぁ……。

 ハァ、ハァ……。


 肩で息をする遊女と黒猫。

 そして、ボクは魔力循環を高めて身体強化をした。


「フフフフフ。今度こそ、捉えてみせる」


「うふふ。やってみなさいよ」


 ボクたちは、笑みを深めて睨み合う。


 そして、


 ピュンピュンと風切り音をたてさせながら、「ねこじゃらし」を振るスピカ。


 にゃーん!

 にゃにゃーん!


 と飛びつこうとするボク。


 身体強化をしているので、とてつもない速さで飛び跳ねている。


 勢い余って壁や天井に激突しそうになっても、くるりと反転。壁を蹴って天井を蹴って、「ねこじゃらし」めがけて飛び込んだ。


 はじめのうちは華麗に躱していたスピカも、だんだんと余裕がなくなってきたらしい。

 さらに、絶対に取られてなるものかとムキになり始めた。


 傍目には、もはや、なにが起きているのか分からないだろう。

 全方向から飛んでくる黒い影。そして、なにかを振りまわすスピカ。


 黒猫と遊女の戦いは、すでに目的不明、終わりも見えない意地と意地のぶつかり合いとなっていた。

 「ねこじゃらし」をめぐる千日戦争。


「はぁ、はぁ、いい加減あきらめなさいよ!」


「キミこそ、ネコ相手になにムキになっているのさ!」


 この不毛な戦いに終止符を打ったのは、使用人の一言だった。

 部屋の襖が開いて、世話役の女性が声をかけてきた。


「スピカ姐さん。お客様がお待ちです」


 スピカは高級遊女なので一見の客はもちろん、たとえ馴染みの客が飛び入りでやって来てもまず会うコトができない。そのような客は玄関先で、世話役や楼主が出てきて断ってしまうからだ。


 それにもかかわらず、スピカを呼びに現れた。「断ることができない馴染みの客」が来たコトを意味する。


「ありがとう。すぐ行くわ」


 そう言ってスピカは、「ねこじゃらし」をぽいっと投げ捨てる。ボクは、それをはしっと捉えた。


 スピカは、ぱんぱんと手を叩いて付き人の少女たちを呼び、着付けを始める。ふたりの少女たちが、手際よくスピカの着付けを手伝っていた。


 するすると衣擦れの音がするなか、ボクは仰向けに寝転んで「ねこじゃらし」を両前足で挟み、はむはむして遊んでいた。


 付き人の少女たちは、スピカの着付けを終え髪を結い終わると部屋を出て行った。

 スピカは地獄変相図の打掛を羽織ると、「ねこじゃらし」と戯れていたボクを抱っこする。


「ん? ボクも一緒に行っていいの?」


 マイステルシュタットの「乙星や」では黒猫を嫌う客もいるので、客のいる部屋には来るなと言われている。


「うーん。ノウム教会のお膝元だからかな。ここら辺の人は、黒猫が大好きみたいなのよね。創世神サマの御遣みつかいなんだって」


 ヴィラ・ドスト王国には、ノウム教会の総本山「ラノセトル大聖堂」がある。そのためか、ノウム教関係者や信仰心の篤い国民も多い。


「そ、そうなんだ……」


 かつて宿敵スライムを討つために禁忌魔法を使用して、ボクは教会の武僧たちに追いかけ回された。

 あえなく捕えられて異端審問にかけられそうになったとき、この世界ディヴェルトで創世神と崇められるエイベルムに助けられた。


 以後、黒猫は、創世神エイベルムの御遣いであると教会に認知されてしまう。

 すると教会の人たちは、野良の黒猫と見るや、追いかけ回して保護しようとするようになった。


 ……結局、追いかけ回されるんだよね。


 今回もノウム教のニンゲンに見つからないように、夜の闇にまぎれ「隠密スキル」まで使用して入国した。


 妓楼の廊下をスピカが、しゃなりしゃなりと歩いて客のいる部屋へと向かう。


 部屋から大きな笑い声が聞こえてくる。スピカがその部屋の前に立つ。


 そしてこの日、ボクは「狂王子」レヴィナス・ヴィラ・ドストに出会った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る