幕間② あたらしい話の始まりへ

 しばらくすると、ポッサが部屋のなかから姿を見せた。


 両手にお皿とコーヒーカップを持っている。お皿の方には、ミネラルウオーターが入っているようだ。

 彼はカップをテーブルの上に置くと、ボクにお皿を差し出した


「さ、どうぞ」


「いただきます」


 ボクは、ミネラルウオーターを舌で掬うように飲んだ。


 ポッサも椅子に座って、ボクの方を見ながらカップに口をつけた。ふわりと豆を焙煎した甘い香りがする。彼のカップの中身は、コーヒーのようだ。


 お話を書き留めたノートを、ぱらぱらと捲るポッサ。時折、コーヒーを啜っている。


 やがて、彼はカップをことりとテーブルに置いた。

 肘を立てて両手を組みその上に顎を乗せて、水を飲むボクの姿を見ている。その顔には微笑みを浮かべていた。


 ボクはテーブルの上にちょこんと座りなおして、ぺろっと口の周りを舐めた。

 すると、ポッサはノートのメモを目で追いながらボクに尋ねた。


「サタナエル石の購入資金を出したという『黒猫紳士』とは、何者なんだい? 話を聞く限りでは、大変な資産家であるようだ。裏社会の人間のようにも思えるね。そんな人物と繋がって大丈夫なのかい?」


 彼はボクの方に視線を移して、すこし心配そうな表情をする。

 ボクたちがこの人物に関わるコトを、アルメア王国王女ソフィアもずいぶん心配していた。


 サタナエル石は、「黒猫紳士」の名義で購入した魔石だった。さらに彼の依頼で、この魔石の解析をギルド9625でおこなっている。


 ――黒猫紳士

 莫大な資産を持つ投資家であるとか、裏社会の王であるとか、他国の暗部の者であるなど、様々な噂のある謎の人物だ。良い噂は聞いたコトがない。さらに、その人物の姿を見た者は誰もいない。


 もちろん、ボクは正体を知っているケドね。


「心配はいらないよ。そうだね、彼は『藁人形』のようなものさ」


「どういうことだい?」


 ポッサは、小さく首を傾げて瞬きした。『黒猫紳士』の正体が気になって仕方がないようだ。


 べつにここで教えてもいいケド、もうすこし後で明かす方がいいかもしれない。

 

「ふふっ。彼の正体については、つぎの話でするよ」


 その言葉を聞いたポッサは「ほお?」と目を輝かせた。

 なにか凄いモノを期待されているような気もする。


 とりあえず、ボクは毛繕いをした。


 そんな顔をされると、すこし気が咎めるよ。 

 

 そしてボクたちの話題は、ラステル亡命の話へと移った。


 双子の胎児に「ラムダンジュ」が施された場合、片方の子は不適合者であるとされている。天使の魂が身体に適合しなかった者(不適合者)は、世界に破壊と殺戮をもたらすという。


 このためヴィラ・ドスト王国は、ラムダンジュを持つ双子のうち片方が先に適合者と判明した場合、未発現のもう一方は処分するという方針を採用してきた。


 ラステルには、双子の姉マルティナがいる。彼女は「ラムダンジュ」の適合者。

 このため、「ラムダンジュ」未発現だったラステルはヴィラ・ドスト王国の方針により処分されたハズだった。


 ところが、ラステルは側仕のターニャとともにアルメア王国へ亡命していた。


「女性ふたりだけで、ヴィラ・ドスト王国からテスラン共和国を越えてアルメア王国へ逃げてきたんだ。心細かっただろうし、アルメア王国で暮らしている間も気の休まる日はなかっただろうね」


 すこし顎を上げて目を閉じるポッサ。

 その姿は、遠く知らない異国へ亡命したラステルとターニャに思いを馳せているようだった。


「そして、君とラステルさんは巡り合ったのか」


 不思議な縁だったと思う。

 偶然にもラステルは、ギルド9625の冒険者になるコトを希望していた。


 アルメア王国で冒険者になるには、まず王国が実施する冒険者資格試験に合格しなければならない。つぎに合格者は、所属したいギルドの審査を受ける。この審査を通過して所属ギルドが決まると、冒険者として活動できるようになる。


 ギルド9625では、ギルドマスターのエイトスが審査を担当している。彼がいなければ、ボクとラステルは出会っていなかった。

 これといって取り柄のなかった彼女が審査を担当したエイトスの目に留まり、二〇〇人のなかからただひとり最終選考に残った。そして、最終選考でラステルの審査を担当したのはボクだ。


 やがて、ポッサはゆっくりと目を開いて、ボクに視線を向けた。


「ターニャさんへの聞き取り調査の後、君はどうしたの?」


「スピカに手紙で呼び出されてね。ヴィラ・ドスト王国へ行ったんだ」


 ボクはそう言って、左後ろ足で首筋をかりかりと掻いた。


「スピカさんの方に、何かあったのかい?」


「いや。『アルメア王都にばかりいないで、こっちにも顔出してよね!』って」


 ボクは目を閉じて、しっぽの先をぴこぴこさせる。


「まぁ、ラステル亡命の裏側を知るコトができたからいいケドね」


 ラステルとターニャの証言からも、ラステルの亡命には大きな力が働いていたコトは間違いなかった。けれどもその狙いには、正直、いまでも背筋の凍る思いがする。


 ラステル亡命の裏側、そこには「魔導大国」ヴィラ・ドストの「闇」が広がっていた。


「ラステルさんの亡命には、やはり何かウラが!? いったい何があったんだい?」


 ポッサは目を見開いて、テーブルに身を乗り出す。


 ボクは、顔を上げてぺろっと鼻先を舐めると毛繕いをした。そして、ぺたんと腹ばいになり目を閉じた。


「うん。すべては、たった一本の矢から始まるんだ」

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