闘病
通夜や告別式の来客もどちらかというと両親や叔母夫婦の知り合いや縁者がほとんどで、こじんまりと催された。祖母に直接関わりがあったのは、地域の保健委員さんや行政区長さん、訪問介護士さんぐらいでしかなかった。
参列者は祖母の死を悼むというよりは、両親や叔母夫婦の苦労をねぎらうばかりだった。
祖母は半年ほど前に体調を崩し、たまたまかかった病院で癌の疑いがあるという診断を受けた。すぐさま総合病院へ紹介状を書いてもらい、精密検査を受けたところ既に手のつけどころがないぐらい癌は進行していた。
息苦しさや痛み、倦怠感に嘔吐感とありとあらゆる癌の症状も出始めていたため医者からはホスピスへの入院を提案されたものの、祖母は頑として聞き入れなかった。両親や叔母夫婦がどんなに言って聞かせても、家に帰ると言い張った。
なんでも祖父は死の間際、家に帰りたい、家で死にたいと嘆きながらこの世を去って行ったらしく、それを目の当たりにしていた祖母は痛みや苦しみに耐えながらも、自宅での生活にこだわったのである。
それは周囲の人間にとって大きな負担となった。知っている以上、放っておくわけにはいかない。案の定、満足に動かぬ身体で生活を続ける祖母の家は、あっという間に荒れ果てた。排泄すらままならないのにおむつの着用を嫌がる祖母は、そこかしこに排泄物を垂れ流した。食べ物や飲み物を摂取しては、嘔吐を繰り返した。今までできていた事ができなくなった自分に苛立っては癇癪を起こし、物を投げたり壊したりした。痴ほうは一気に進み、母や叔母の事すら認識できなくなった。
あまりにも危険だというので、その頃から姉すらも祖母の家には立ち入れなくなった。母や叔母は時間の許す限り祖母につきっきりになり、たまに帰って来ては憔悴しきった様子で疲労を滲ませていたという。
このままだと祖母が力尽きるよりも先に、母や叔母が倒れてしまうのではないか。祖母が意識を失い、救急車で病院に搬送されたのはそんな矢先の事だった。
そしてそのまま帰らぬ人となった。
祖母が亡くなるまでの約半年は、周囲の人々も巻き込んだ壮絶な戦いだったのである。
母や叔母、そして姉は通夜に告別式にとお坊さんが来て儀式が執り行われる度に涙を流し、互いに励まし合ったものの、僕は一滴の涙も流す事はなかった。僕にとって故人との思い出は記憶の遥か彼方にうっすらと残るばかりで、戸籍上の祖母であるという以上の意味は感じられなかった。むしろこれで母や姉が解放されるのならば、結果的に良かったのかもしれないとさえ思えた。
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