痴ほう症

 父方の祖母の家は自宅から一キロメートルと離れていなかったから、小さい頃はよく遊びに行っていた。

 父には姉、つまり僕の叔母が一人いたけれど、別の家に嫁いでいて。長男である父も実家には収まらずに、近くに自分の家を建てた。これが僕の家だ。だから父と叔母が家を出て以降は、祖父母はたった二人だけで暮らし、家とともに古びて行った。


 せめて叔父や叔母が一緒に住んでいて、従兄弟でもいればまた違っていたのだろうけれど、も年老いた祖父母しかいないばあちゃん家というのは、僕にとっては退屈なものでしかなかった。祖父とまわり将棋をしたり、近所の商店でお菓子を買ってもらって喜んだのもせいぜい小学校低学年ぐらいまでで、思春期に入る頃にはただお小遣い目当てに足を運ぶようになっていた。

 僕が中学校に入る前、祖父が亡くなった事で余計に足が向きづらくなった。一人住まいになってしまった祖母を心配して、両親や叔母達は足しげく祖母宅に足を運ぶようになったものの、僅かな年金で暮らす祖母からはお小遣いを貰う事もなくなって、僕はますます祖母とは疎遠になって行った。


 さらに輪をかけるように、僕が高校を卒業する頃、祖母は痴ほう症を発症した。ずっと一人きりで半分自宅にこもりきりのような生活を送っていたのが良くなかったらしい。

 発覚したのは、たまたま訪れた父が奥の部屋に溢れた通信販売のグッズと引き出しに詰め込まれた請求書の山を見つけたからだった。通販業者は祖母が半分ボケているのを利用して、次から次へと商品を売りつけた。祖母はどういうわけか、それらをとても良い物と思い込み、次々と買っては父や叔母に見つからないようにと使いもせずに奥の部屋へとしまい込んでいたのだ。


 僕達が何も知らない顔をして学校に通っている間も、両親や叔母夫婦の間ではボケ始めた祖母について様々な話し合いが持たれた。どちらかの家に引き取って面倒を見るか、交代で泊まる等のアイディアが出たものの、祖母本人が嫌がるので事態は全く進展しなかった。

 結局両親や叔母夫婦がこまめに様子を見に行くというなし崩し的な妥協案に落ち着いたようだ。


 そんな中、姉はというと両親や母にくっついて、足しげく祖母宅を訪ねるようになっていた。祖母に対しては実の息子である父よりも、同じ女である姉の方が都合が良かったようだ。祖母にとっても、息子の嫁という本質的には他人でしかない母よりは、血の繋がった孫である姉の方に心を許していたらしい。

 一方で僕は、避けていたわけではないけれど祖母の家には寄り付かなくなっていた。いや、避けていたのかもしれない。両親や姉を通じて祖母の奇行を時々耳にするだけで、近寄りがたいものを感じていた。少なくともそこに、僕が関わる理由を見出せなかった。


 だから大学四年の三月に、卒業の報告に出向いた際も、正直あまり気が進まなかった。両親や姉に言われて、仕方なく足を運んだだけだった。

 予想通り、姉がどんなに「徹だよ、私の弟。わかるでしょ。昔よく来ていたでしょ」と説明しても、僕を見る祖母の視線から警戒心が解かれる事はなかった。


「徹なんて男、知らん。そんな孫は、おらん」


 祖母は僕に向かってそう言うのみだった。

 言葉通り、祖母は赤の他人を見るような冷たい目つきで僕を睨んでいた。

 僕が祖母に会ったのは、それが最後だ。

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