つむつむ*降り積む

青瓢箪

第1話

 昔 我が家の イカれた おじいさんが クリスマスの日 僕に 言った。


『今夜 0時に なれば 雪の 女王スノウが街に やってくる』


『違うよ それは アニメだけの お話』


 そういう 僕に 舌打ちを して


『あのな 大人に なれば お前も 見える そのうちに』




 それからいくつ冬が巡り来ただろう。

 今でも祖父を思い出すけれど。

 ある日、遠い街で。

 祖父が言った彼女を僕は見ることになった。


 *  *  *


「まだ、つむつむしてるの?」

『話しかけるな、集中力が欠ける』


 欧州のある街に僕は留学していた。

 目の前の、雪が降り積もる中世のままの街並みの中に、半透明の雪の精霊が居る。

 彼女の背丈は家よりも大きく教会よりも小さい。

 ゴーストバスターズに出てくる巨大マシュマロマンはこんな感じだろう。

 凍てつくような美貌の巨大女はスマホ画面から目を離さずに器用に片手で雪を降らしつつ、もう片方の手でつむつむに熱中している。


 つむつむってもう古いよな。今更、ハマってんだ。


 部屋のベランダからその様子を眺めていた僕は、はあ、と白い息を吐いた。


 凍りそうだ。

 ダウンジャケットに身を包ませ、底冷えする冷たさに身震いしながら僕は幻想的な目の前の風景に見惚れた。


『クソ、ハートがもう無い』


 タイムオーバーしたのか、チッと舌を鳴らして彼女は僕のスマホを放って寄越した。


『もう少しでミッションがクリア出来そうなんだ。おい、お前の友人からハートを早くねだれ』


 受け取った自分のスマホを操作して僕は姉と母にハートのおねだりをした。今時つむつむをしてる人なんて母と姉しかいない。

 数秒後、すぐに二人からハートとコインが送られてきた。


『ご苦労』


 にゅ、と真っ白で大きな美しい指が目の前に現れ、僕の手から僕のスマホを奪っていく。


 彼女は雪の精霊スノウ。

 美しい女性の姿をした精霊だ。雪が降る時には彼女が見える。

 花粉が舞う時にはウェーブヘアのロリータ精霊が見えるし、夏の雷雨にはショートヘアで半裸のセクシー精霊、胡桃が落ちる頃には三つ編みおさげのアンニュイ精霊が見える。

 僕の一番の好みはストレート銀髪ヘアの冬の精霊だ。プラチナブロンドなんて北欧美女に憧れるアジア人コンプレックスの男にとってはたまらない。


 僕の家系はシャーマンの家系だったらしい。その能力は世代を重ねるにつれ、薄れていき、今では精霊を見る能力だけが残った。ちなみにこの能力は男系だけに受け継がれる能力で、母と姉にこの能力は無い。


 昔、同じ能力者の祖父が言っていた意味がやっと分かったのはこの欧州に留学に来てから。

 その時はびっくりして、ホームシックのあまり幻覚が見えたのかと思った。けれども今は慣れて受け入れている。

 ただ、精霊が見える(たまに交流出来る)だけの能力なんて、別にあってもなくても変わらないし、少しつまらないと思い始めている。精霊が使役できるとかそういう話なら別だけど。大昔の僕の先祖ならそんなことが出来たかもしれない。


 目の前のスノウは、冷たくて素っ気無い精霊だ。だけど、他の季節の三人の精霊よりマシだと思う。

 後の三人は僕のことなんてガン無視。だから僕はスノウが実は一番性格が良いんじゃないかと思っている。


「君がため ベランダにてスマホ渡す 我が衣手に 雪は降りつつ」

『持統天皇か。それは良い歌だ』

「光孝天皇だと思いますよ」

『……知っている。お前を試しただけだ』

「じゃあ、持統天皇の歌を詠んでください」

『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ』

「本当に知ってるんですね」

『雪に関する歌なら全て知っているぞ』


 下の句は『衣ほすてふ 天香具山』じゃなかったっけ、と思ったけどそれは突っ込まないことにして、画面から目を離さないスノウを見つめる。


 高い鼻梁、物憂げな青紫の瞳、薄い衣からやんわりと見える素晴らしい凹凸ボディー、肉感的な太腿。

 はあ、と僕は再び白い息を吐いた。


「……貴女の上にいつか僕の雪を降らせた」

『おい、一見綺麗な言葉でこの私をA V女優扱いするな、クソガキ』

「え? 貴女、心が読めるんですか?」

『いやお前、今、口に出してたぞ』

「声に出してました? うそん」

『このど変態めが。おまえ、日本語だとバレないからと、考えていることを口に出している時があるぞ』

「知らなかった、気をつけます」

『日本の男はど変態で世界中からドン引きされてるというのは本当のようだな、ど変態め』


 僕はスノウは日本びいきなのではないかしらんと思った。和歌もそうだけど、アニメとかマンガとか、詳しそうだ。日本文化が好きなのかもしれない。


「うーん、フランス人の方が変態なんじゃないかなあ、と僕は思ってますけどね」

『オーラルを極めたからか? 69を生み出したからか? サド侯爵がいるからか?』

「すごい、お詳しいんですね」


 前言撤回。エロ文化に詳しいだけかもしれない。


『それにしても、お前が雪の本質に気がつくとはな。恐れ入った、びっくりしたぞ』

「? どういうことですか」

『そのまんまだ。雪の正体はオナンの罪に打ち勝った男どものアレが昇華したものだ』

「マジですか?」

『欲望も昇華すればこれほど美しくなるということだ』

「マジですか?」


 信じられない。

 じゃあ、雪だるまに女の子が抱きついたり、雪うさぎに女の子が顔を寄せる場面なんてのは、これから全く違う図に見えてしまうじゃないか。


『嘘に決まってるだろう、バカめ。雪は大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくるものだ』


 冷たくスノウは吐き捨てると、スマホ画面上を滑るように指を動かし続ける。


「何か面白い話をしてくださいよ」

『どうした』

「腐ってるんです。折角ここに来たのに、ロックダウンで大学はリモート授業だし。語学留学の意味が全くないじゃないですか。全世界の留学生はなんて運が悪いんだ」

『お前、異国の彼女でも作る気でいたのか。その貧弱な身体で身の程知らずが』

「いえ、やっぱり期待しちゃうじゃないですか。金髪の女の子とか」


 少しだけ実は期待していた。


 「帰国した先輩から前もって実際のところは聞いていましたけどね。〜アジア人の男は見向きもされないから覚悟しとけよ。本当に俺たち、向こうでは可哀想な感じになっちゃうから〜いやでも、もしかしたらもしかするってことがあるかもしれないし」

『どうせならせっせと筋トレにでも励めばどうだ。毎日たった5時間を5年間続けるだけで、誰でもドウェイン ジョンソンになれるらしいぞ』


 つむつむをし終えてスノウは手を止め、顔を上げて少し遠くを見た。


『……疫病が流行った時には、今も昔も閉じこもるのは同じだな。まあそれが一番だからな。仕方ないだろう』

「ペストの時も見てたんですよね。どうでした?」

『あの時は極寒の中、裸足と薄着で自分の背中を鞭打つ血だらけ苦行集団がそこら中にゾロゾロいたぞ。今はそんな奴らはいないから、人間も進歩したんじゃないか』

「うーん、世界の何処かには今もそんなことしてる人たちが居そうですけどね」

『一番バタバタ死んだ印象は、ペストより新大陸だったな。ネイティブアメリカンたちは哀れだった。あれは悲劇だった』


 僕は過去のパンデミックに思いを馳せた。 

 なんていうか人類の歴史が始まってから、これは当たり前のように今まで繰り返されてきたことで。

 今が特別じゃなくてたまたまその時期、てことなんだろう。これからも幾度となく繰り返されるんだろうな。


「この先も、降り積もる雪のように人の命ははかなく、失われていくんでしょうね」

『やっと気づいたか。雪の正体に』

「……マジですか? ……まさか雪って人のいのち」

『んなわけないだろう。雪は大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくるものだ』

「貴女と会話できて嬉しいです」

『そうだろう、感謝しろ』


 僕は大袈裟にはあ、と何度目かの白い息を吐いた。

 将来、災禍が通り過ぎた後、この経験は酒を手に話すネタとなるのだろう。コロナ世代の思い出として。


 僕は手すりに積もった雪に手を触れ、さらさらと落とした。



「新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」

『大伴家持だな、うむ、いい締めだ』






 ––今年こそ、いい年であることを願います。

 幸いごとが皆様の上に降りますよう––

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