第6話 怪しい飴をもらうのは危険なのです。
侍従長の執務室がある主宮殿から魔術塔までは距離がある。基本的に使用人は歩いて移動するが、リディアはマルティナを伴って正規の馬車を用意させた。
離宮から第四騎士隊宿舎までの移動に使われた地味な馬車ではなく、〝離宮の魔女〟専用に作られた馬車は白に濃紫と金の装飾が施されていて、四頭の白馬が引く特別仕様。王族と引けを取らない。
「凄い……」
「派手過ぎるからあまり乗りたくはないのだけれど、時々は使わないとね」
マルティナは苦笑するリディアが馬車に乗り込むのを手伝い、従僕が扉を閉めた。
馬車の窓は大きく、腰から上が外から見える。人目が苦手なリディアがこの馬車を使用しない理由がそこにもあった。
馬車は揺れもなく走り出し、王宮から魔術塔へ向かう道を進む。すれ違う豪華な馬車に乗った貴族と、リディアは大きな窓越しに会釈を交わした。
「お知り合いなんですか?」
「直接話したことはないから、顔見知り程度……かしら。あの紋章はアズディーラ国の物で、乗っていたのは大使なの。国にとって大事なお客様だから無下にはできないのよ」
広大な王宮の副宮殿には、世界各国の大使が賓客として長期滞在しており、互いの国の友好を深め、戦争が起こらないようにと情報を交わす。有事の際には人質になる可能性もある危険な職務でもある。
他国では王宮内ではなく、王都や王城近くの町に大使の屋敷が構えられていることが多い。王宮内に大使を受け入れているのは、広大過ぎる王宮の有効利用と平和を尊ぶ王国の方針と表向きは言われているが、実際は各国大使を常に監視下に置き、不審な動きを封じる為であった。
森のような木々に囲まれた道を馬車は走る。木々の合間に離宮がちらりと見えた。
「あの……魔術塔って遠いんですか?」
「すぐそこ。離宮のそばなの」
離宮から歩いて五分とリディアは言うが、木々に遮られて建物は見えない。窓に張り付いて外を見たい気持ちを抑えて、マルティナは大人しく座っていた。
「え?」
窓の外、突然黒い建造物が出現した。黒い石で造られた三階建ての建物の中央には高くそびえる主塔、囲むように塔が五つ、塔の途中は通路で繋がれている。
「あ、あの。こんなに大きいのに、どうして全然見えなかったんですか?」
「外から見えないように、隠ぺい魔法が掛けられているの。結界の中に入るとこうして見えるようになるの」
「変わった建物ですね」
救護院の塔とも神殿の塔とも違う。黒く重厚な石で出来た建物は、お伽話に出てくる魔王のお城のよう。
「空の上から見ると、魔術塔は五角形の形をしているの。建物は地上三階、塔は地上七階ね」
「地上?」
「ええ。普段私たちが見ることができるのが、地上部分。地下には逆方向に同じ規模の建物が埋まっているんですって」
「地下室ということですか?」
「それが……ちょっと違うの。地下に入った途端、天地が逆になるから。後で案内するわね」
微笑むリディアの顔を見ながら、マルティナは緊張していた。食料を貯蔵する地下室は知っていても、天地が逆の建物は想像もできない。
馬車が進むと、正面の巨大な門が開かれた。不思議なことに、ここには門を護る兵士がいない。誰もいないのに、門が開いたことにマルティナは驚く。
「あ、あ、あ、あのっ! だ、だ、だ、誰もいませんっ!」
「大丈夫。姿を隠した精霊達がいるの。……いつも私はこの門を使わないのだけれど、今日は特別」
この門を使うことができるのは、王族と魔術師長と神官長。そしてリディアだけが許されている。通常の出入りは門の隣にある扉や裏口を使っている。リディアがわざわざ馬車で正面から訪れたのは、マルティナを連れた姿を魔術塔の人々に披露する為だった。
馬車は暗い場所で止まった。マルティナが馬車の扉を開けようとすると、リディアがそっと手を握る。
「ここは使い魔が開けてくれるの」
リディアの言葉と同時に、窓の外が一斉に明るく輝いた。石で出来たホールを、花々の形をした魔法灯が照らしている。
「綺麗……」
魔法灯の光がゆらゆらと揺らめいてその影を壁に映すと、夜の世界の庭園といった雰囲気が漂う。
馬車の扉を開いたのは人だった。黒いフード付きのローブを着た細身の美形の丸眼鏡がきらりと光る。三十歳前後だろうか。怪しい人のように見えても、金髪とすみれ色の瞳が隊長の色彩と同じだとマルティナは思った。
「あら? スヴェンお
「大丈夫だよー。
「何もしません。最近、おとなしくしているでしょう?」
「ん-。それは突っ込み待ちってヤツ?」
「違います」
スヴェンの差し出した手を取って、リディアが馬車を降りる。続いてマルティナは一人で降りた。二人の気安い会話を聞きながら、周囲を見回す。
天井が高いホールの壁は丸く、壁一面に設置された魔法灯は一つとして同じ形のものは無い。ゆらゆらとゆれるのは、吊り下げ式だからとわかった。
「その子は? 初めて見る顔だねー」
「この子はルティ。第四騎士隊宿舎の管理人なの」
「初めまして。ルティです」
リディアに促されてマルティナは挨拶をした。スヴェンはヘドルンド公爵家の第二子。隊長の兄であり、リディアの義兄にあたる。
「僕はスヴェン・ヘドルンドだよー。管理人ってことは、あのヤバイ宿舎で働いてるの? それはそれは、まだ小さいのに大変だねー。そうだ、早く大きくなれるようにこの飴を……」
ローブの懐から何かを出そうとしたスヴェンの頭に金属のたらいが落ちて、ホールに何とも言えない痛そうな音が響き渡る。
「……あいたたたた……」
頭を抱えてうずくまるスヴェンに手を伸ばそうとしたマルティナの肩をリディアが掴んだ。
「ルティ。スヴェンから食べ物は絶対に受け取っちゃ駄目よ。魔法薬の実験台にされちゃうから」
「えっ」
さっと血の気が引いていく。丸眼鏡でちょっと怪しい人だと思ったのは、間違いではなかった。
「スヴェンお義兄さま、この子は私が預かってるから、絶対に実験台にしないで。………返事は?」
「…………はい」
リディアの迫力のある微笑みは、スヴェンを圧倒した。何故かマルティナの頭の中に、完全制圧という単語が浮かぶ。
スヴェンが指を鳴らすと正面玄関の重厚な鉄の扉が開く。扉には複雑な魔術模様が描かれていて、四隅には、獅子の姿が彫られている。マルティナのベストのポケットの中、ヴィトがぷるぷると震えているのを感じて、服の上からそっと手で撫でる。
一歩入った所で、服の下のペンダントが一瞬だけ熱を帯びて元に戻った。何があったのかと手で押さえても特に何の反応もない。気のせいかとマルティナはヴィトを撫で続けながら歩く。
廊下は赤い絨毯が敷かれていて、飾り柱や腰壁は艶やかな黒。壁はクリーム色と薄茶色の菱形が交互に並ぶ柄。魔法灯は狼に似た魔物が角灯を咥える意匠で、風もないのにゆらゆらと揺れているのが不気味な空気を醸し出す。
スヴェンとリディアが並んで歩き、その後ろをマルティナが着いていく。
「私がここに来るって、グレーゲルから連絡が入ってない?」
「〝魔物憑き〟の登録だっけ?」
「何だ。用件を知ってるのに、どうして怖がるのかしら?」
「そりゃー、もう、身に覚えありすぎるよねー?」
異世界から来た魔女リディアは、その膨大な魔力を使って
そんな魔女が正面から正規の手順を踏んでやってくると聞けば、面識のない者が震えあがっても仕方ない。魔女の出迎えにわざわざ〝火の天位〟という魔術塔で最高位の一つを持つスヴェンが呼ばれたのも、理解できる話だった。
二人の軽い会話は続き、黒い両開きの大きな扉が現れた。
「ルティ、手を」
振り返ったリディアに手を繋がれて左側に並ぶ。何が起きるのかとマルティナの胸が高鳴り、ポケットのヴィトは増々震える。
ぎぎぎと不気味な音がして、扉が開く。
「うわ……!」
紅い絨毯が中央に敷かれた広いエントランスホールは、黒と白の四角い石で出来た床、黒い壁。絨毯の先には大階段があり、正面の壁には当代の魔術師長の巨大な肖像画が飾られている。高い天井には巨大でありながら繊細な装飾の魔法灯が左右に吊り下げられ、降り注ぐ煌めきが見る者を圧倒する。
魔術師長ヘドルンド公爵は長い金髪に赤い瞳の美形。黒金の豪華な装飾がされたロングコートに第一礼装のマントを着用し、杖を手にしている。魔術師長に就任した当時の姿の為か、その息子であるスヴェンと隊長に良く似ていた。
「今日は誰もいないの?」
いつもなら、副魔術師長か実務担当の塔守長がホールで待っているのが決まりだった。
「
珍しいとリディアは思った。王の側に控え、日中は主宮殿に居ることの多い魔術師長は別として、副魔術師長と塔守長のどちらかは必ず魔術塔に詰めている。
中央とは、魔術塔の基幹部の調整室。巨大な魔法石の魔力を利用して、常設の隠ぺい魔法、各部屋の室温調整や上下水道の管理、使い魔の為の魔力供給装置、薬草栽培部屋の維持、魔術塔内のありとあらゆる生活基盤に関わっている。
「大丈夫なの?」
「部屋が寒いだけだから、大丈夫だよー」
室温調整が出来なくなるのは、年に一度の恒例行事だとスヴェンは笑う。
「登録は、どこで行えばいいのかしら?」
「登録専用の部屋があるから案内するよー」
スヴェンの案内で、ホール正面から左側奥へと伸びる廊下を進む。さらに階段の昇り降りを繰り返すと、マルティナには何階なのかわからなくなっていた。心細くてもリディアの手が温かい。ヴィトは相変わらずポケットの中で震えている。
部屋に入ると、内部はすべて黒い石で覆われていた。
「〝離宮の魔女〟様、初めてお目にかかります。モンスと申します」
待っていたのは、黒いローブを着用した二十代半ばの青い髪の男性。リディアは微笑んで挨拶を交わした。
「早速ですが、登録する魔物を拝見いたします」
優しく微笑むモンスに促され、マルティナはポケットに手を入れた。
「ヴィト?」
ポケットの中、ヴィトを掴もうとしても、するりと抜けられてしまう。するりするりと逃げられて掴めない。
「ヴィト、どうしたの? 登録しないと一緒にいられないんだよ?」
「……〝
ロニーが自らの魔力のみで育てる魔物は、ある意味純粋培養。魔術塔では様々な魔力が混ざり合い、濃厚な力が常に流れている。人は感知できずとも魔物は魔力に敏感で、初めての環境に戸惑う魔物も少なくない。
「そっか、ヴィト、怖いんだ……」
『怖クナイ』
ポケットの中からヴィトが答える。魔物の声は聞こえずとも、魔物と臆することなく会話する少年をスヴェンとモンスは興味深く見守っていた。
「でも、出たくないんでしょ? やっぱり、怖いんじゃない」
怯えるヴィトをどうやってポケットから出そうかと考えた時、ポケットからヴィトが飛び出して、マルティナの頭の上に乗った。
『コ、怖クナイゾ!』
マルティナの頭の上で震えつつも、ふんぞり返る小さな魔物の姿は愛らしい。
「それでは、拝見いたします」
モンスが左手を魔物にかざすと、茶色の魔力光が煌めく。
「生後一年未満……というところでしょうか。珍しいですね。通常、魔物が人と会話できるようになるのは生後三年からなのです。……まさか……契約をしていない?」
ロニーが育てた魔物を魔術塔で引き取ることもあり、その習性は研究されている。契約の痕跡が一切ないのに魔物が懐いているという、極めて珍しい事例にモンスは興味を持った。少年自身からは微量の魔力しか感じ取れないが、魔物使いの素質はある。
「この少年は離宮に在籍するのですか?」
使用人にするには、その素質が惜しい。もしよければ見習いとして自分の弟子に、というモンスの希望は口にする前にリディアの答えで霧散した。
「ええ。離宮に在籍で、第四騎士隊宿舎の管理人なの」
「第四騎士隊宿舎? そ、それは……」
並大抵の魔術師では到底敵わない第四騎士隊の姿が頭をよぎり、この少年の未来に幸あれと願わずにはいられない。普通とは違う何かが無ければ、あの宿舎では働くことはできないだろう。
「登録の儀式を致します。お名前を」
「マ……ルティとヴィトです」
勘の良いモンスは、少年が違う名前を言いかけたことに気が付いた。〝離宮の魔女〟の預かりなら、訳ありなのだろうと口をつぐむ。魔術師も本名を名乗らないことがあるので、登録には問題ない。
「では、ルティ。その魔法陣の中央に立って下さい」
魔法陣と言われて、マルティナが床を見ると黒い石に何か紋様が彫られていた。全く気が付かなかったと、中央の円になった空白部分に立つ。
魔術師の杖を持ったモンスがマルティナの知らない言語で呪文を唱えると、魔法陣が茶色の光を発した。この魔法陣は、使用者の力によって色を変える。魔法陣から光のリボンが現れて、マルティナの左手首とヴィトの首に巻き付くと、それぞれが蝶結びの形になった。
蝶のように羽ばたくリボンが綺麗だと思いながら、マルティナは左手を見ていた。ヴィトの首のリボンも可愛らしいとリディアは微笑む。通常の登録では光の鎖を使うことが多いが、モンスは少年を怖がらせない為にリボンを選んだ。
「宣誓を始めます。私の質問に、同意するかどうか返事をして誓って下さい。――緊急時以外は、王宮内で他者を傷つけないと誓いますか?」
「はい。誓います」
「緊急時以外は、禁止区域に立ち入らないと誓いますか?」
「はい。誓います」
緊急時とは、自身や他者の身が危険に晒された時。誓いを破った際には厳しい罰則を受けることを承諾し、いくつかの問答を続けて宣誓は終わった。
魔法陣の光が少しずつ薄れ、リボンが光の粒になって消えていく。幻想的な光景に、マルティナは感嘆の息を吐く。
「これで登録と宣誓が終わりました。ルティ、何か困ったことがあれば、いつでも相談に乗りますよ」
この小さな少年に第四騎士隊宿舎の管理人がいつまで務まるか。内心の心配を隠し、モンスは微笑みを浮かべた。
◆
部屋を出て廊下を歩く。黒い石で出来た床に黒い腰板。魔法灯は暗く、不気味な空気にマルティナは怯む。
「登録と宣誓って、随分簡単な儀式なのね」
「そうかなー? 魔術による契約の一種だから、結構複雑で重いよー」
問答形式で見た目は簡単に見えても、登録と宣誓は精緻で複雑な術式を必要とする高度な術。魔術塔でも出来る者は限られている。
リディアとスヴェンの会話を聞きながら、マルティナは良かったと安堵の息を吐く。あれ程震えていたヴィトが、震えることなく頭の上に乗っていることに安心していた。できれば肩に乗ってくれたら、姿が見えるのに。
魔術塔の廊下の灯りが暗く黒が多用されているのは、魔法が掛けられた時の光に気が付きやすい効果があるとスヴェンは説明した。魔術師や使い魔、魔物や精霊が行き交う魔術塔では、常に魔法に注意しておかなければ危険と聞いて、マルティナは震えあがった。
「ルティには、私の守護魔法を掛けてあるから安心して。スヴェンお義兄さま、お時間はある?」
「あるよー。見学していくー?」
リディアが少年に守護魔法を与え、手を繋いでいる理由を察したスヴェンは、人が多い場所を思い浮かべる。魔術塔内でなるべく人目につく場所といえば、研究塔。どう案内するかと順路を決めた。
「僕の使い魔を紹介しようかー」
ただ魔術塔内を歩くだけでは、他の魔術師たちから不要な詮索を受けてしまう。なるべく自然な流れに見えるようにしようとスヴェンは微笑んだ。
第4騎士隊宿舎の小さな管理人 ヴィルヘルミナ @Wilhelmina
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。第4騎士隊宿舎の小さな管理人の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます