第十四話 死闘

 背後へと振り向き、薄暗闇の中へと目を凝らしてみれば――――上下する無数の、赤い点!


「――っていうかうおぉ、マジかっ! さっきより数増えてないか⁉︎」


 通路いっぱいに広がったそれらを視認し、半ばヤケになって通路から空間へと飛び出した。


「……これっていわゆる『前門の虎、後門の狼』ってやつ⁈」


 無駄に回転する思考は混乱している証拠。加えて虎のほうがまだ可愛く見えるな、と益体のない結論を付け加える。可愛さで言えば後ろの容姿は兎に近似――だが獰猛さはきっと狼にも負けない。


 恐怖に、眦に涙を湛えながら駆け出すと――。


 マリネが、こちらに気づいた。

 瞠目する姿が一瞬見て取れ、俺は会釈のような詫びのような半端な頷きを見せては、次いで曖昧な感じで顔を縦に振る。

 

 彼女は再度、炎の柱をスノードラゴンへと放った。

 陰から見ていたときよりも強力で、胸元を焼かれた魔物は唸り声を上げ、今度は姿勢を崩す。


 こちらへ向かってマリネが跳ね、俺の右へと着地――。

 体勢を立て直し、俺と併走する。


「どうしてここに来た!」


 咆哮にも似た怒号。これまでの少女の気質からは感じ取れなかったはっきりとした非難の口調。


「だってしょうがないだろ! あれ見ろあれ! 黒い悪魔がぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょんぴょん……! 追いかけてくるんだよ!」


 言われたマリネが、背後を一瞥。

 一応の事情は理解してくれたようで軽く首肯。


「――わかった。それで、どうする?」

「どうするって?」


 マリネの剣は腕とともに後背へと流れている。そんな忍者のような姿勢で走りながら、スノードラゴンを顎で指した。


「私はあの手合いで手一杯だ。少しでも気を抜けばやられかねない。だから後ろの魔物を相手にする余裕はない」

「それは……」


 そんなこと……頭ではわかっていたことだ。


 彼女は言葉と言外の両方にスノードラゴンとの戦いを辞める気がないことを語っていた。開いた瞳孔には、意気とも取れる爛熟した光を宿している。


 ――であれば選択肢は限られてくる。

 というか状況からしてそれしかないことを、俺でさえ頭では理解している。


 そもそもこのだだっ広い空洞に逃げ道があるかどうかさえ怪しいし、実際一見しただけでは見当たらない。むしろ探すほどに足を止めれば追いつかれ食いつかれ文字通りの餌食になることは疑いない。

 

 それに俺だけが逃げれば、スノードラゴンとデビルズレッドアイを一手にこの少女へと任せることとなる。

 仮に逃走が叶ったとしても一度は助けられたことのある少女をひとり置いていくようなことは……さすがに男としてできない。

 ――ちっぽけな力でも、矜持が許さない。


 わずかに二,三秒の間にそんな思考が巡る。


 彼女は俺の一考を見抜いたようにわずか口の端を上げた。相変わらず、わっかりづらい表情だ。


「――であれば、戦うしかない」


 ぱさり――。

 言うや、マリネは剣を握ったままの手で器用に左半身の身頃を開いた。

 そこには弾帯のように帯びられた四本の剣――。正確には半数の刀身は彼女の両手にあるため、残りの二本が鞘に収まったままだ。


「好きなほうを選べ」

「好きな方って言われても……」


 走りながらだと視点の照準は合わせづらい。

 よく手入れがされているのか、艶めくほどの光彩を帯びているのは二本に共通で、あえていうなら片方は天色で短めの鍔をしており、もう片方は黒々とし派手目の装飾をしている。


「――それじゃ、ダメか?」


 彼女が左手で握る剣を指差す。

 下げられているのは『オピス・フロガ』――。


「この子はあの魔物を退治するのに必要だ。何よりあなたには使えない。主人を選ぶ子だから」

「そっか……って、あれ? ……冴えない主人でごめんねっ⁈」


 さり気ないディスりに辟易している暇もなく、冴え冴えとした空の青さのような剣のほうを少女の腰から引き抜いた。


「うん、悪くない選択。『草薙剣くさなぎのつるぎ』――その人を頼むよ」

「くさなぎのつるぎ?」


 マリネは俺に剣の名を伝えたようでもあり、剣へと呼びかけたようでもあった。


「いい名でしょ。八俣のドラゴンを倒して手に入れたの」


 不器用ながらにわずかなカーブを描く唇。今日イチの笑顔だった。

 

 頷きとともに貸与された武器を鑑定する。


 名称:草薙剣

 種別:片手剣

 クラス:A

 ???:???

 ???:???

 ???:???

 ???:??? 


 相変わらず名前、種別、クラス以外は判別ができないが、クラスAというからには――。


 そう思ったとき、体に不思議な力がみなぎってくる。


「これ……すごい剣みたいだ――」


 俺の語彙力乏しい感想だったが、口にした直後にマリネがぐいと顔との距離を詰めてくる。


「すごいなんてもんじゃない! 攻撃力はピカイチ! 俊敏性にも影響する! おまけに剣術向上の特別な能力が付与されているから、振るだけで剣撃を飛ばすことができる! まさに伝説の代物だ!」

「あ、そうなんだ、ありがと」


 滑らかな舌は油が塗られたようで、地震前とは別人のようだ。笑顔に続いて滑舌も今日イチ。

 剣のこととなると流暢に話せるらしい。あと、顔が近い。

 力説する様は喜悦を通り越して半ば怒気まで孕んでいる。


「その様子だと、草彅もおまえのことが嫌いではないらしい。十分に力を貸してくれるはずだ」

 

 なんだか人間の名前のように聞こえながらも、体に流れ込むエネルギーの負荷を感じる。この剣は、たしかに本物だ。

 

 マリネが、力強く頷く。


「やるしかない」

「…………」

「やるしか、ないよ」


 マリネは意志の宿った瞳を向けた直後、その全身が消えるように跳躍した。

 遠くで、まるで雪がはらりと舞い落ちるように音も無しに着地すると、体勢を立て直したドラゴンへと飛び掛かる。


 俺はというと――歯噛みした。

 少女にまで気を使われたような、勇気付けられたような、そんな自分が――。


 ……でも、悪くない気分だった。


 たかだが剣で心強くなっている自分がどうだとか、そんなことはどうでもいい。


 俺は勢いそのままに足を突っ張り、前進していた身体に一度ブレーキをかける。雪との摩擦でわずかに滑走し、停止。

 姿勢と視線を、背後へ――。


 マリネとの間には距離があるが、背中を預け合うように互いの敵手へと向き直る。

 

 左手のナイフ――わずかに思案しポケットの中へ。

 『草薙剣』を両手で構えた。


 眼前に広がる無数のデビルズレッドアイ――。

 もはや二十や三十そこらという数ではない。


 最初に目撃した群れの大移動のような、黒兎の大波が押し寄せてくる。

 まるで巨大な魔物のようだ。――というより、実際には組み上がってひとつの個体のようになっている。

 ――なんだ、合体でもしているのか?

 

 怖い、という感情は否定できない。

 否定できないなんてもんじゃない……すっげえぇ怖い!


 でも引けない。引きたくない。

 やっと、立てたこの場所。


 今度は柄を握る手に力を込める。ただ振り回すだけじゃ、またこの手から逃げてしまいそうだから。


「うおぉおぁああああぁぁっっちゃぁあああ!」


 格好の悪い俺の声に反応したわけでもなしに、草薙剣が淡い白に発光した。

 掛け声そのままに、剣を横に、力強く薙いだ!


 拙いながらの剣筋は、それでもびゅぅっという音を立てる。そこから先はまるで、剣が意志を持って俺の力不足を補ってくれたようだった。

 剣から生じた斬撃が、大波を象る魔物の集団へと突っ込む。


 「ぼんっ」と音を立てたような、そんな光景を目で追った。ポップコーンが弾けるように、複数のデビルズレッドアイが塊から分離され宙を舞う――。


「――やった!」


 敵の集団の一部を刈り取った。

 だが餌に群がる蟻のようなそれは、すぐさまダメージの部分を他の個体で補って修復する。 


 もう一撃を斬り払う。弓形の、白亜の衝撃波。

 斬撃が飛び抜け、カットされた枝のように一部が舞い散る。複数の魔物の塊が弾かれ、一方で斬撃はずっと後背の壁へと激突した。

 敵はまたもや修復。本当に、あたかも一個の生き物のようだ。


 効果がないことはない。

 ただ少女の言う伝説級の武器とはいえ、至らぬ俺の一撃程度じゃ、当然のように追い払うまでにはならない。


 ひと塊りとなったデビルズレッドアイが引き続き襲いかかってくる。


「……っ!」


 舌打ち。巨体のような団塊の敵に剣を振り回した。

 当初の気合の一撃からは徐々に威力を減らしており、一振りごとのダメージは少なくなっていく。

 それでも数打てば多少魔物の数は削れるようで、いくらかのサイズ――もとい数まで減らせた。


 あたりにデビルズレッドアイの死骸が散らばる。転がっているのと目の前で蠢いているその数は、半々ぐらいにはなっただろうか。

 

 はぁ、はぁ――


 気づけば呼吸で肩が上下している。吐く息が白く、すぐさま雪と一緒に強風で流されていく。

 たしかに重量のある剣を振り回した……その割に息があがり過ぎだ。

 引きこもりに時代に比べてこの世界で活動はしてきたし、人並み程度の体力も持ち合わせていたはず。


 理由があるとすれば――。


 ごうぅうん――


 背後でひときわ大きな炎がスノードラゴンを焼き、断末魔にも似た咆哮が木霊した。

 巨体が、ドラゴンの半身が地面についた。


 またしても一撃を放ったマリネが、俺のそばへと舞い降りてくる。


「草彅は魔力を消費するから使い過ぎに気をつけて」

「……そういうことは早く言ってね⁈」

「さっきは言う暇がなかった」


 そう残してまたも弧を描いて跳躍し、スノードラゴンへと対峙しに戻るマリネ。


 自身の魔力量など把握したことがない……。

 とにもかくにも、これであと何発打てるか――そんな状況であることだけは理解する。


 マリネも、おそらくスキルと組み合わせてなのか、タイミングを見ながら炎の柱をドラゴンへ――俺が見た限り、これで五発目。

 オピス・フロガ――『炎の蛇』の面目躍如と言わんばかりに炎が剣へとまとわりついている。とどめを刺そうとしているのか、離れていてもわかるほどにここ一番の熱量だった。

 スノードラゴンも徐々に息を荒くし巨躯から煙をあげている。無様に腕をぶん回し、最後の足掻きを見せているようにさえ見えた。


 負けじと俺も草薙剣を横に薙ぐ――。

 幾度の斬撃によって小さくなった――といってもまだ三十以上は寄り集まっていそうだが――デビルズレッドアイの塊へと弓形の斬撃を飛ばした。


 瞬間――。


 ぱっと敵が瓦解する。俺の攻撃がヒットしたからと思われた。


 ……けど、違う!


 個体に戻った敵の群衆が平面に戻って、大挙して押し寄せてきた!

 俺の攻撃が当たる前に分離したというところか。 


 慌てて斬撃を繰り返す。

 分散しているため一度に二、三体は倒せるが、全ては無理だ。


 倒しきれない敵の大群が、俺の近くで大きく跳躍。

 一体一体が黒い翼を広げるような鷹揚な様で、前歯をきらめかせて襲いかかってきた――。


 やられる!


「危ない!」

 

 俺の眼前を炎の壁が貫く。

 飛びかかってきた魔物は穴のない火の輪をくぐったように身を焼かれ、羽虫のように落ちていった。


 スノードラゴンに向けるはずだった炎を、マリネが咄嗟の判断で俺の眼前へと放ってくれた。

 防御を解きマリネへと視線を向ける。彼女の右手に持つ剣の残り火がジュッと消え白煙を立ち上らせた。

 

「マリネ、ありが――」


 口から謝辞が出たとき、遠くでマリネの体が消えた。

 今度は彼女の超人的な跳躍によるものではなく、何かに弾き飛ばされたように――。


 スノードラゴンの平手打ちが彼女の体を的確に捉えていた。


「……っ!」


 俺の絶句した口が不恰好に歪む。

 マリネはそのまま、激しく壁へと叩きつけられた。



= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =  



 そこからの記憶は、曖昧だ。無我夢中で、身体が必死に状況へと適用していく感覚に沈んでいた。


 俺は『草薙剣』によって得られた敏捷性でスノードラゴンへと決死の思いで飛びかかり、その剣先を硬い表皮へと突き立てた。

 魔物の注意がマリネに向けられていなければ土台無理な芸当だっただろうと思う。


 だが体当たりのように刺した渾身の一撃は抜けず、俺は剣を置き去りにしたままに身震いする魔物の身体から放り出されてしまった。

 スノードラゴンが俺を踏みつぶそうと足を上げ、その影に俺の全身が覆われる――。


「……っ!」

 

 声にならない叫声が聞こえたような気がした瞬間、再び剣に炎を宿したマリネが視界へと入る。

 一発のライフル弾のような勢いで、切っ先をドラゴンの首へ――。


「ぐぅおぉえぇあっ!」


 スノードラゴンの巨体が大きく揺らぎ、受けた衝撃に短い足をもつれさせた。


 かなりのダメージを与えたようだ。

 ――だからこそ、その一撃が悪手へと傾いた。後ずさったスノードラゴンの足元、地面から俺の目の前までに亀裂が走った。


「マリネ!」


 俺は辛うじて亀裂の手前にいながら、今やドラゴンの首元にいる少女の名前を叫ぶ。瞬間、ドラゴンの体重に耐えかねて崖が裂け目で切り取られた。


 このままでは、マリネはスノードラゴンと共に崖下へ真っ逆さまだ。

 だが俺の憂慮に反し、額から血を流す少女は優しく唇の端を持ち上げて見せるだけだった。


 スノードラゴンの体の上で、その敵とともに崖へと落下していく少女。その口が、ぱくぱくと数度開いたのが、かろうじて視認できた。


「――――」


 声はここまで届かない。何かを告げようしているのか――。

 マリネが手振りする。走馬灯のようにスローな光景。


 俺の目がたまたま冴えていたのか、それとも剣による俊敏性の補助が残っていたのか、辛うじて読み取れた程度のマリネの姿。彼女が一度俺を指差し、次いで自身の瞳を指差し――最後にその指をそのまま自身の胸へと向ける。


 俺がスキルを発動したのはそんな動作を見ながらで、ほぼ無意識に等しかった。


 結果――。


 名前:マリネ /(有栖 まりね)

 種別――――――――――――

  

「⁈」


 『真眼』は刹那に情報を捉え、ただ以降は崩れた崖が読み取る時間を与えてはくれなかった。


 落下の体勢になりながら咆哮するスノードラゴンと、そしてマリネ――。


 彼女たちは諸共に、絶壁の下へと落ちていった――。

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