第十三話 なけなしの勇気と矜持

「うわっ!」


 重力の負荷を失い、思わず声をあげた。

 真っ逆さまに、というよりは何度か尻やら背中やらをぶつけながら急坂を転げ落ちていった。


「あいっつつつぅ……」


 落ちきった先、地面に尻餅をついては「またかよ……」と渋面を作り、痛みを訴える腰をさする。

 どれくらい落ちたかもわからず、後背を見上げると家屋の三階分といったところだった。


 起き上がり、ローブをはたき、顔についた砂を拭いながら辺りを見回した。

 

 洞窟内の夜光石はまだまだ点在していた。

 ちょうど坑道に備え付けられた松明のようで、ありがたいことに視界には不自由しなさそうだ。

 それでも薄暗いことには変わりないけど……。


 びゅうっとまたもや冷たい空気が頬を撫でる。

 身を引き締めると同時に、その風上に違和感を覚えた。

 走って来た――もとい落ちてきた上空からではなく、冷気が流れ込んできているのは洞窟の奥からだった。


「……別の出口があるのかな?」


 追いかけてきたデビルズレッドアイを思えば入り口へと戻るのは得策ではない。他に抜け道があるのなら、そちらを選択するほうが逃げ切れるというもの。


 空洞内は一見して広いが、所々高低差があるため歩ける場所は意外と限られそうだ。落ちてきたばかりの坂も、後々登れるかどうかは微妙なところ。

 その反対側、眼前を見れば底が闇で見通せないほどの崖がある。


 歩ける場所を目で追うと、前後が坂と崖となっている一方で、左右に進むことはできそうだ。


 ふと、上からさっきの魔物たちが追って飛び出してくることが想起された。

 ぶるっと身震いし、「冗談じゃない」と、とりあえず冷たい風が流れてくる奥の方へ――。


 どうやら冷気は右手の空洞らしき通路から流れてきている。その通路の入り口手前に差し掛かり、奥の方からかすかな音が鳴り響いていることに気づいた。

 おまけに何やら聞きなれない響きまでを感じ取り、耳をそばだてる。


 ――がきんっ!


 金属同士を叩くような硬質な高音が響いてくる。茫漠と木霊する様子からして、結構な距離がありそうだ。

 興味を惹かれるように足を進めると、当然のように反響音は強まっていく。

 

 がきんっ!


 高音に、やや鈍い音が混ざる。

 近づくにつれて鼓膜をビリビリと震わせた。

 

 不定期に、それでいて何かを打ち付けるような。

 一定しない間隔は逆に警鐘を聞くような不穏当さを漂わせている。時折、動物が唸るようなごぉごぉとしたものもそれに混ざり始める。


 何かを頼りたいような気持ちに駆られ、壁へと手を当てた。触れるそれは無意識に想像した石壁よりも、妙にさらりとした感触だった。


 音のする方へ。

 狭まった通路を抜けると、そこにはまたも拓けた空間があった。屋内にも関わらずびゅうっと風が吹き荒び、無数の何かを伴って顔面を打ってくる。


「……雪?」

 

 まさか……こんな屋内で?


 光源があるとはいえ、薄暗い洞窟内。

 よくよく目をこらすと、奥には動く巨大な白いシルエットがあった。雪山を彷彿とさせるほどの大きな輪郭に、いく筋かの陰が伸びている。


 空洞内は吹雪が舞うため、視界もおぼろげだ。とはいえ動いているということは、おそらく何らかの生き物であることの証左でもある。

 鈍重そうなそれが、絶え間なく揺れ動いていた。


 壁に隠れるようにして、スキル『真眼』を発動する。

 真眼で見切るには遠すぎるか……と思った矢先、幸いにして瞳に魔物の情報が映し出された。


 結果――


 名称:スノードラゴン

 種別:亜竜種

 ランク:B

 ステータス:正常

 ???:???

 ???:???

 ??:??

 ??:??

 ???:???


「……スノードラゴン⁈」


 冬の時期に出没すると言われる亜竜種――。

 本来は王都からさらに北のスピナ山で目撃される討伐最高難度の魔物だ。


「なんでこんなところに……」


 ――と同時に、口の端が引き攣る。よくよく考えれば、そんなの皮肉でしかない。


 「なんでこんなところに?」――自分も同じだった。

 ここがどこで、地震以来どんな事態に巻き込まれているか、把握すらできていないと自省する。

 先ほどの天空にいるような光景に比べれば、まだスノードラゴンの方が現実味が湧く――か?


 魔物が放つ吹雪が通路へと吹き込み、思わず顔を覆うように身構える。嵐の夜の隙間風のような音が絶えず耳朶をうった。


「ん?」


 最初は雪に紛れて気づかなかったが、スノードラゴンの周りを小さな、同じく白のシルエットが舞うように跳ねていた。

 豆粒のような影に目を細める。


「……マリネ?」


 距離のせい――というよりは小さく飛び回っている陰影をスキルが正確に捉えられない。

 犬の周りを飛び跳ねているノミのようだと、小柄な体躯にそんなそんな連想を抱いたが、とにもかくにも異様なジャンプ力で魔物を翻弄していた。

 スキルに頼らず目を凝らすと……やはりその姿はマリネに違いなかった。


 がきんっ!


 遠音の正体は、マリネの剣がスノードラゴンの表皮を捉える音だった。

 響きからして深いダメージ与えているとは言い難いし、何より生物に刃を突き通った響きとは到底思えない。

 なんつー硬い表皮をしてんだ、あの魔物は。


 ドラゴンのほうは五月蝿い蝿を追い払う動作よりは、よほど明確に、彼女に敵意をもって攻撃の腕を振る。

 が、マリネはそれを身を翻し華麗に躱して続けていた。

 

 ときにマリネから火炎放射のような攻撃が繰り出される。


 直撃したドラゴンが、喉を鳴らすように唸った。刃による直裁な攻撃よりも幾分かは効いていそうで、巨大な体躯をわずかによじる。


 片方の手にはもう一本の剣を携えている。


「二刀流みたいだ」


 店で見た、おそらく腰に履いていた三本のうちの一本なのだろう。


 スノードラゴンが白いブレスを吐き出し、対するマリネが舞うようにまたしても避ける。


 攻防が繰り返されていた。

 少女の攻撃は的確に、わずかながらも相手へのダメージが蓄積されているよう。

 ドラゴンの背後には崖があり、一見マリネが徐々に追い詰めているようにも――。

 とはいえ、一度でもドラゴンが振り回す手なり爪なりブレスなりが入れば大ダメージは免れ得ない。


 助けないと……。


 加勢をしなければという意気と、スノードラゴンの暴威に対する恐怖が自身の中でせめぎ合う。

 ――その心持ちの優劣は、動かないまま震えているだけの足が代弁していた。


 俺が出て行ったところで……。


 手に握られた、頼りないナイフをじっと見つめる。

 彼女が振り回す得物に比べてなんと頼りない……玩具みたいな刃だ。


 思わず一歩後ずさりそうになる。

 そんな臆病だけは……と必死に食い止めた。


 ぐるぐると脳内がかき混ぜられて気持ち悪いものが胸にこみ上げてくる。


 首を振り、ビギナーズナイフの柄を握った。


 いや…………俺だって。


 そんな考えが過ぎると、背後に妙な振動を感じて首を回す。

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