第十二話 空の青さと緑と、そして黒と

「は? ……なんで? ここどこ?」


 喉からの響きに自身の鼓膜が震えている事実を確認する。意識には、確かに浸透していた。光景からして天国に招来されてしまった線はまだ否定できないが、どうやら夢ではなさそうだ。

 頬をつねってみようかと思い、バカバカしくなって中途半端な位置で手が止まる。

 

 辺りを見回す。


 初見の四割は、目端に映る緑や茶といった森の色だ。

 あとの六割は、空の青さと雲の白さだった。


 足を進め、その青さと白さへと近づく。

 足元を確認すると地面のように広がる土やら木の根やら、はたまた先ほどまではなかった丸太のような――普通のそれよりもはるかに太い木やらだった。

 幾重もの木や泥によって支えられたような地面を地面と呼んでよいのか判然としないまま、いろんな意味で不安定そうなそのうえを一歩一歩を踏みしめる。


 ところどころ隙間はあるが、下までは見通せない。

 

 二十歩と歩かずして地面らしきものの切れた端へと到達する。

 断崖から、下を覗いた。


 広がるのは雲海。

 標高の高い山に登ったらこんな光景だろうかと思ってみる――登ったこと、ないけど。


「なんだこれ? なんで、空に? いやそもそもここどこだ? なんで……」

 

 言い募る言葉の全てに疑問符がつく。まるで、広大な空にぽっかりと開いた窓みたいだ。


 寒さの意味を理解する。雲海を見下ろすほどの標高だ、当然とさえ思えた。


 冷風はここから吹き込んでいる。びゅうと鳴らす風が木の葉をざわめかせた。


「とにかく……」


 冷え切った空気が頭を冷静にさせるが、答えにたどり着くのは無理だった。

 森にいたときの軌跡を辿ろうと思い、行く当てもないままとりあえず踵を返してみる。


 よくよく見ると、あたりにはデビルズレッドアイが転がっていた。

 一瞬この寒さにやられたようにも見えるが、今にも煙を立ち登らせそうな焦げた姿に、先ほどまでの戦闘が思い返される。


「……誰か、いないかな。マリネは……」


 呟いてみても当然返事はなかった。

 魔物を撃退してくれたマリネと名乗った少女や、魔物から逃げられただろうか、リーサのことが慮られる。


 方角は判然としないが、窓のように開いた空へと背を向けることで、感覚としては森の奥へと向かって歩き出した。


= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =  


 だいぶ、歩いた。

 時計がないので確かなことは言えないが、たぶん三十分ぐらいはまとまって歩いた気がする。先ほどの空の光景が無ければただの森の中を歩いているとしか思えない。

 

 ところどころに段差があり、跨ぐようにおりる。しばらくして気付いたことに、向かう方向はなだらかな傾斜となっていた。振り返れば来た道が見通せ、上方に向かってゆるいカーブを描いている。


「うわっ!」


 後ろを見ていたため足元を取られる。どうやら、土塊の足元が崩れたみたいだ。

 地面の大部分はよくわからない硬質なもので、あとは木の根や、今みたいな土やら泥やらに覆われている。地震の影響か、ところどころ崩れかけていて頼りない足元だ。


「気をつけよ……」


 盛大にこけた音に反応したように、がさりと脇の茂みが揺れる。俺は、地面に尻をつけながら身を強張らせた。


 そこから出てきたのは――先ほどのデビルズレッドアイ。


「まただいたのか⁈」


 恐怖が喚起され身をよじり、跳ねるように立ち上がりながらすかさず武器のナイフを取り出す。

 いつ襲いかかられても良いように魔物へと向けた。


「……」


 敵はこっちを凝視し、じっと俺の得物であるナイフを見つめているよう。

 前足を浮かした直立姿勢で鼻をひくひくと動かしている。匂いを嗅ぐというよりは辺りを警戒する習性のようで、こちらを伺ってはいるがすぐさま襲いかかってくる様子でもない。


 数秒のにらみ合いが続き――、

 興が削がれたように、体を翻して茂みへと戻っていった。

 数に比例して獰猛さを増す魔物であるため、一体で襲ってくることのほうが確かに珍しいは珍しい。


 とはいえ、俺は安堵に肩を下ろす。

 そして手に収まっているナイフを見ては、何気なくスキル『真眼』を発動した。


 なんでそんなことをしたかたと聞かれれば「なんとなく」でしかなかった。

 どこかふわふわとした感覚に、自分の意識が正常なのかを確かめたかったのかもしれない。


「なんだこれ……」


 ナイフは――いや、スキルのほうが、俺のそんな思惑に反した。


 鑑定結果は『ビギナーズナイフ』――

 そう出ることだけを想像してしていた目が思わず丸くなるのを自覚。


 スキル発動の結果、


 名称:ビギナーズナイフ

 種別:小剣

 クラス:I

 ???:???

 ???:???

 ???:???

 ???:???


「……っ!」


 目を細め、次いで再度見開く。

 文字列を確かめようとして空中に手を漂わせるが、雲をつかむようで当然ナイフ以外に触れることはできない。

 続いて瞳に指先を向けようとする。――が、まさか眼球に指を這わせるわけにもいかず、またも手は中途半端な位置で止まった。


 確かめるように今度はナイフを掲げる。マリネではないが、まじまじと眺めてみた。刀身の横腹をなぞるように指を当ててみたりもする。


「名前以外の情報が浮き上がってくるなんて、これまでなかったのに」


 これまでと言ったものの、このスキルが備わってからはまだ半年程度だ。

 とはいえほぼ毎日のように行使してきた能力に変化が生じたのはこれが初めてのことでもある。

 

「『種別』は『小剣』か。それはまだわかるけど、この『クラス』っていうのはなんなんだ?」


 『I』と出るからには、


「他の、分類もあるっていることか?」


 そして何より、羅列された「???」の文字列。


 他の品――カゴも鑑定してみよう。

 背中に紙を貼られたいじめられっ子のような動きで、首を右へ左へと回す。――無理だと諦め、再度カゴを下ろそうとしたときだった。


 またも「がさりっ」と茂みが鳴る。


 ぱっと視線を向け、ナイフに手をかけようとした。

 一方で逃げ帰ったような先ほどの一匹に、心情はいくらか緊張を欠いていたことも事実だった。


 低い生垣。鬱蒼とした陰には、二対一組の赤色だけの目玉が見える。


 そんな赤瞳の数が、1,2,3,4,5,6…………





 ――やばっ





 と同時に地面を蹴った。


 走れと本能が告げ、敏感に応じた体が動く。


 茂みから跳ねた複数の影が、仲間を得たことで取り戻した獰猛な本性に従い、ぴょんぴょんぴょんぴょんと軽快に飛び出してくる。


「なんで今日はこんなんばっかりなんだよ!」


 不満を吐いたところで魔物は追撃をやめてはくれない。


 振り返る間も無く一気に走り抜いた。脚だけではなく、腕もこれでもかと大げさなほどに振る。

 

 さらに、森の奥へ――。


 『韋駄天の腕輪』をリーサに渡したままだったことを思い出す。もちろんその判断に悔いはないが、結果としては辛いに立場に追いやられた。

 振り返ると、魔物はそこまで迫っている。


 脚を前へ、前へ、前へ!


「くそっ! 腹立つほどに足が早いな! ……仕方ない!」


 カゴを捨てる。

 鉄鉱石が残っていたカゴはそれなりに重く、何よりも走りにくい。

 わずかにも敵を誘導する効果がないかと期待したが、振り返ってみては結果が無意味だったことを悟る。


 変わらず、魔物は音が鳴りそうなほど軽快な脚力で追いかけてきた。 


 軽くなった体。全力で足と腕を回す。

 敵もさることながら、微妙に距離は開き始めた。

 あとは、己の体力次第!


 森を走り続けるといくらか開けた空間へと出た。

 眼前には、洞窟のような大きな穴。穴の左右は壁のように続いており、穴に飛び込むか、それとも壁伝いに逃げるか、一瞬思案する。


「逃げるなら……」


 穴だ!


 暗がりに紛れることで、敵をまけるかもしれない。走るスピードを落とすことなく、体を傾けるようにしてカーブ。


 外の光と洞窟内の黒影の境界線を込えて飛び込んだ。――つもりだった。

 入ってから気づく。


「あ、あれ? 結構明るい⁈」


 逃走の助力に暗がりを期待したつもりが、予想に反して洞窟の内部はそこそこに明るかった。


 天井などを見ると、夜光石のような光源がところどころに散らばっている。


 ――良くも悪くも足元には困らない、か。

 だが考えていれば魔物の体色のほうが闇に溶け込むため、これはこれでよかったのかもしれない――。

 自分の安直な作戦を恥じながら、足だけは止めずに動かす。


 弾む息。敵との距離を確認しようと首を後ろへ向けた。


 外の白い光をバックに、いくつもの小さな黒点が洞窟の入り口でたむろしている。


「――すぐに追ってこないみたいだな、不幸中の幸い!」


 結果オーライ! と、作戦の甘さを棚に上げて歓喜する。

 

 と次の瞬間――。


 足元が無くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る