第十一話 たわいのない夢、過去の生活
夢を見た――。
元の世界にいたときの夢だった。
たしか高校に入ってしばらくしてからの記憶。
まだ学校には友達と呼べる存在がいて、仲間内で昨晩見たアニメやゲームの話をするのが常だったし、他のクラスメイトとだって話せるぐらいの甲斐性はあった。
そんな日常の中のたわいのない夢――。
夢のように泡沫に消えてしまったような過去。
たぶん、真面目に勉強をしていたほうだと思う。
特段頭が良いわけではなかったけど、それでも勉強の甲斐あって平均的な偏差値よりは少し高いぐらいの高校には入れた。――クラスでは、後ろから数えたほうが早いぐらいの位置付けだったけど。
そんな生活を、送れていたはずだった。
勉強は普通の才能でも、自分は多少目端の利くほうの人間なんだろうなと、漠然と思っていた。
なんでも臨機応変に対応できると豪語するほどではなかったけれど、なんとなく相手の機微に気づけたり、相手が何を考えているのかわかったり――わかったつもりだったのかもしれないけど――と、一言でいえば周りに気づけるのほうの人間に生まれたのかもしれないと漠然と思っていた。
ただ、気づけることが必ずしも良いとは限らないし、「なんで自分ばかり」と、思うことも少なくはなかった。
――何に例えればいいんだろう。
目の前に目と耳を塞いで歩く人がいる。
そう例えば、イヤホンをして視線を落として歩いている人がいたとする。
別に目ざとい人間じゃなくったって、そんな相手に出くわせば、気づいたこちらのほうが避けたりするものだ。
相手はスマートフォンをいじったまま、何も気づかずに歩き去っていく――。
本当にそんな些細なことだった。
そんな些細なことが、積み重なっていく世界。
不条理とか理不尽とかそんな言葉が出てくるけど、叫んだところで世界は変わらない。「知らぬが仏」と言うけど、それと同じなのかもしれない。
結局、見えている人間のほうが不利になることが往々にしてある世の中だ。
気心が知れた仲なら良いが、見えることは仲間内だけとは限らない。
だから、ある日ぽろりと結論がこぼれ出た。
――あぁ、やっぱり。一歩身を引いたほうが楽なんだな、と。
その引く一歩がまた一歩、もう一歩と、後ずさりさせていく。
気づけば、暗闇でスポットライトを浴びた集団を、舞台袖から眺めている自分がいた。
眩しさでもう少し引っ込むと、そこはもう表舞台の裏側で、そこからさらに足を進めることには意外なほど抵抗がなくなっていた。
――見たのは、そんな茫洋とした夢だった。
そんなことを思い出させるような、そんな内容だったことだけは覚えている。
= = = = = = = = = = = = = = = = = = = =
目が覚めた。
今しがたの夢が元の世界のものだったことは鮮明で、だからか、自分がどちらの世界にいるのかは不明瞭だった。
空を見上げれば先ほどと変わらない――いや、先ほどよりも青々とした空が垣間見える。
青色ははるかに面積を減らしてはいたが、気を失う前は曇りがちだった空は、モザイク柄のような木漏れ日となって顔を照らしてくる。
どうやらその眩さに目を覚ましたみたいだ。
わからないのは時間も同じだ。気を失っていたのはどれほどだったのだろう。
茫洋とした思考に、夢の記憶は広げた指の間から水が滴り落ちるように消えていく。
浅からぬ眠りのようで、それが数十分なのか数時間なのか、感覚だけを頼りに知ることは難しかった。
両手足の痺れと、後頭部の痛み。
それと、ローブに覆われていない肌からは刺すような寒さ。
――寒さ?
「……さむっ!」
文字通り目の覚めるような冷気に、思わず仰向けのままローブを掻き寄せる。雪国へと放り出されたような、そんな肌寒さだ。
体の痺れは潮騒のように徐々に引いていく。頭のほうの痛みは……もうしばらく引きずりそうだった。
じくじくとした後頭部を、木の硬さから剥がすように首を持ち上げる。
辺りを見渡すと、先ほどの森の中のよう。
ただ、森の暗さがいくらか緩和されている。眼前には木々が屹立しているのに、その薄暗さは失せて明るいものに変わっていた。
わずかに離れたところに、カゴがある。
ため息をひとつすると呼気は白い
カゴに近づき、背負い直した。
瞬間、背中から強風が吹きすさぶ。寒さよりも痛さが先立つような冷たさに身を硬くした。
このままだと凍えてしまう。思いながら、なんとなしに後ろへと振り返った――。
明るかった。
――明るすぎた。
気絶する前の景色。それと同じく、森が背後にも続いているものとばかり思い込んでいた。
見返した先に、森は――なかった。
青い空と、眼下に広がる白い雲――。
白む海の断崖に立ったのと似たような光景ながら、海に代わる、空と雲の色彩が広がっていた。
「そんな……」
独語する。
そこは――空の上だった。
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