第十話 終末の始まり

 ガサガサ……


 森が、鳴った。


 そこには、森の陰から覗く間もなく飛び出してきた大群。

 まるでこの場のデビルズレッドアイを助けに来たような、そんな援軍が現れた。


 それこそ二十とも三十ともわからない数。リーサを追ったのではなく、後追いの群れがいただけだった。

 そんなことにわずかな安堵感を覚える一方、やはり血の気が引いた。

 体の熱量が奪われ、背に感じるのは生死の境目に触れたような冷たさと、ざわざわとした蟻走感――。


 眼前の敵は数を増すごとに獰猛さを増す魔物。

 先ほどまでとは打って変わって、ぐっと地面に力を込めた何十匹もの敵が、一斉に俺へと飛びかかってきた。


 やられるっ……。

 俺は降り注ぐ矢嵐のような黒い影から身を守ろうと腕で顔を覆い防御姿勢を取った。何十ものラビット族の歯が俺の身体に歯を立て貪る――そんな様をまざまざと想像した。


 そのときだった。


 ごぅんっ……。


 痛覚の代わりとなって訪れたのは、鼓膜を震わせる空気の振動。

 そして、熱。


 ごぅんっ……


 熱量の、もうひとかたまり。


 若干の熱さを頭頂に感じては、俺は防御姿勢を解きながら恐る恐る顔を上げた。

 

 そこに広がるのは先ほどとは全く違った光景。

 辺り一面が炎に包まれ、焼かれ、朱に染まっていた。


 炎から逃れるモノ。炎に身を焦がすモノ。動かなくなるモノ。


 まさに蜘蛛の子を散らすように、先ほどまでの敵意がばらばらと雲散していった。


 目の前に立ち上がる炎と煙。

 頬や額以外に熱さを感じないことを不思議に思いつつ、気づいて「あっ」と小さな声を漏らした。

 そういえば、サラマンドラローブにある炎耐性――。

 

 火の動線を辿ると、それは俺の右手側から走っている。

 その先、森の中を見つめると、ひとりの人影がゆっくりとこちらへ向かってくるのが確認できる。


 俺は見覚えのある、記憶に焼き付けられたばかりの少女の姿に目を剥いた。

 

「きみは……」


 昨日店を訪れたローブの少女。

 姿は、相も変わらず汚れの目立つローブで、頭のてっぺんから膝下までを覆っていた。

 ただしその手には剣が握られている。見覚えのある刀身には、残火がちらちらと揺れていた。


「――こんにちは。大丈夫、だった?」


 まるで街中で挨拶を交わすような平静さ。あたりには炎と、その中で魔物が燃え残る中で、少女は滔々と歩み寄ってくる。


「あ……あぁ、助かったよ。ありがとう」


 凝り固まったような肺から、残り少なくなっていた空気を入れ替える。大仰に息を吐くと、焦げ臭さを伴った熱い空気が胸の内から体を温めた。

 

「このローブに……炎耐性があるからね。ローストビーフにならずに済んだよ」

「そう」

 

 冗談のひとつでも飛ばしてみたがあえなくスルー。どうにもこの手のスキルは上がらないらしい。俺が不器用に口の端を曲げてみせても、彼女は眉ひとつ動かさなかった。


 「それよりも」と言わんばかりに、少女は火を宿したままの剣をつまびらかに眺める。


「うん、やっぱり。悪くない」

 

 今度は、わずかに口元がほころぶのが見て取れた。俺には向けられない笑みが、硬質な赤い刃へと注がれている。 


 やっぱり、剣が好きなのかな? とそんな疑問が浮かぶ。


 握られた剣は昨日うちの店で購入した『オピス・フロガ』だ。

 柄には親方自慢の炎を模した流麗な装飾が刻まれており、刀身はそれに反して真っ直ぐな両刃をしている。少女の背丈に比してそれはやや長すぎるように思われた。


「随分と気に入ってくれてるみたいだね。使いこなしてくれているようで嬉しいよ」


 俺が腕組みをしながらそんな社交的な言葉を紡ぐ。

 そして「いや……」と俺は内心で言ったばかりのことを否定した。


 使いこなしているなんてもんじゃない。

 

 『オピス・フロガ』の名前の由来は、『炎の蛇』だ。

 剣にまとわりつく炎が蛇の形に似ているから、親方がそう名付けた。

 それはまとわりつく程度のはずで、そして多少攻撃力を底上げする程度の威力――だったはずだ。

 

 目下でくすぶり始めてはいるが、瞼の裏に浮かんだのは先ほど放射された炎の塊だ。それはただの蛇どころではない、お伽話の大蛇のような大きさで魔物の大群へと襲いかかり焼き尽くした。

 赤い炎が黒いラビットを炭へと変えるほどの威力。そんな火力はこの武器には想定されていなかったはずだ。


「……それ、きみのスキルかなにか?」

 

 少女の瞳の奥で何らかの光が瞬く。

 剣を眺める顔貌が一転、少女は俺にきつめの角度の眉を向ける。


「……どうして?」

「これでも鍛冶屋だからね。武器の性能ぐらいは把握しているつもりだよ。そんな威力は想定外だったから」


 剣を見つめる以外は無表情だった彼女の眉間にきゅっと皺が寄る。それを認めて俺は慌てて両手を振った。


「別に詮索するつもりはないよ! 何より助けられたのはこっちだからね。ただ昨日のきみの振る舞いといい、今の強さといい、何か特別なスキルを持っているのかなって、そう思っただけさ。無理に答えてもらわなくていいから」


 いまだに険しい目つきながらも、俺の釈明にわずかに皺が取れたよう。気づけばまた剣へと視線を注いでいた。


「……剣が好きなんだ?」


 話題の矛先を変えようとし、功を奏したのか少女は口の端を曲げて首肯した。


「そう。剣は、いろんな……力をくれる。信用できる。剣は私を裏切らないから」


 先ほどの淀みなく歩く姿に比べ、訥々と語る様がいかにも本音を語っているように思えた。

 何より、彼女の表情がそう告げている。


「うちの自慢の剣だからね。高いけど、いい買い物をしたと思うよ」


 そうまで口にして、昨日渡しそびれた釣り銭を思い出す。

 残念ながら今は外出先なわけで、しかも俺の懐事情とも相まって銀貨一枚の持ち合わせもない。


 なので――。


「ぜひまた買いに来てよ」


 と言うに留めた。

 「お釣りを返したい」などと言えば断られたかもしれない。また来店してくれたら釣り銭を渡し、今日の礼と併せてサービスもしたいところだ。


 無言のままに目が合い、頷きが返される。ほっと胸を撫で下ろした。

 ついでのようにいくつかある疑問を思考の中で並べては、ひとつを選び出して慎重に口にする。


「剣を四本も持ってるなんて珍しいね」


 その質問を選んだのは、返答が容易に想像ができたからだ。

 「剣が好きだから」と。


 剣を眺める彼女の姿からしてその返答は自然に返ってくるものとばかり思っていた。だが彼女の口からは全く別の言葉が滑り出す。


「もうすぐ、世界が変わるから」


 彼女の意図が読めず、今度は俺のほうが首と眉を曲げる。


「世界が変わるって……戦争でも起きるのか?」

 

 魔族との戦いは今に始まったことではない。であれば、彼女のいう変化は人間同士か、はたまた人間とそのほかの種族との間に生じるものか。

 まとめて「戦争」という表現に放り込んでみたが、少女は穏やかに首を横に振る。


「まもなく――いえ、もうすぐにでも、私たちは試される。――試される立場。私たちの知らない過去の贖罪に。それを乗り越えないと、人間に未来はない」

「きみは……」


 突拍子もない発言。その種の狂信者にように見え、だが少なくとも見据える瞳に嘘はなかった。


 「きみは」に続く言葉選びに迷い、詰まる。「誰なんだ」とか「何を言ってるんだ」とか、その両方で揺れ動き、そしてどちらもまともな答えが返ってくるとは思えなかった。


 そんな考えを知ってか知らずか、少女は口をまごつかせると一言だけをつぶやく。


「……マリネ」

「は…………?」

「わたしの名前。聞いたんじゃないの?」

「あ、そう、マリネって言うんだ」


 突然のことに思考が追いつかず、焦慮のあまりこちらの舌がもつれてしまう。


「えっと俺は、一樹イツキ。イツキ、ヒイラギ。きみ、ファミリーネームは?」


 さっきまで傲然と答えていたマリネが閉口する。一度曖昧な形で口を動かし、もう一度つぐんでは顔を背けた。


「その…………言わないと、ダメ?」

「嫌なら無理に答える必要はないけど」


 振り向くマリネ。何かを決したように息を呑む。


「…………わたしは…………」

 

 そのときだった。

 再度――地面が揺れ始める。


「また地震?」


 俺はつぶやきながら足の裏へと神経を傾ける。


 ――その意識が高まる前に、集中力は体の平衡感覚へと注がれた。

 そうしなければ立っていられないほどの大きな揺れ。地響き。


「わ、わっ! なんだこれ!」


 叫びながら、少女を見る。


「――始まった」


 揺れに耐えかね、俺はその場に尻餅をつき、痛みに顔を歪めた。


「いったいなんだって言うんだっ!」


 轟音――。轟音が、止まない。

 まるで大陸全体がひとつの生き物になったような、巨大なその背にでも乗っているような無造作な揺れが続き、体の安定を失わせる。


 痛みが走った尻をさすり、涙目になりながら片目を開けてマリネのほうを見る。

 マリネも体勢を保つのがやっとのようで、バランスを崩す度に人間離れした跳躍を見せては地面から離れ、その度に体を大仰にぐらつかせていた。


「なんとか、乗り切って……」


 そんな風にマリネが言ったように聞こえた。けど、大音のせいでよく聞き取れない。 

 地鳴りに耳を塞ぎたくなりながら、とてもじゃないが立ってもいられず、地面を頼るように四つん這いになる。

 背負ったカゴが体の揺れを増長させるようで、慌ててそれを地面へと下ろし、つかまるように手を掛けた。


 地震は止むどころか経過とともに強さを増している。

 震度がひとつ上がるごとにたしか何倍ものエネルギーになったような、とそんな今は無用な情報が頭を過ぎる。


 轟々と音を立てる世界。

 木々が倒れ始め、数え切れないほどの群鳥が空へと避難し空中を埋め尽くしている。鳥の鳴き声は地鳴りにかき消されているのだろうか、ほとんど耳へは届かなかった。


 やがて――。


 大地が、割れた。


 俺の眼前、少し先のところで亀裂が走り森の中へ。地面が紙のように簡単に裂けていく。視力が届かない距離までへと延々と裂け続けていることが、音からしてわかった。


 走る亀裂は一本どころではない。木の無い、根の無い地面に無数のひび割れが通る。

 まるでハンマーを叩きつけたように無数の筋で、そのうちの一本が、這うような俺の体勢のど真ん中を通過した。


 ――地面の、裂け目に落ちるなんて冗談じゃない!

 俺は慌てて立ち上がろうとする。


 だが立ち上がると同時に、止まない揺れに俺は思い切り体勢を崩した。

 何度か足踏みしながら背後へと足がもつれる。体を正常に戻そうとする努力は徒労に終わり、最後には木の根に足を取られ後ろ倒しになった。

 拍子に、岩のように硬い木へと後頭部を打つ。暗い瞼の裏で強烈な火花が散った。

 

 やばい、意識が――。

 背後の幹に、力なく崩れ落ちる。

 

 眼前で揺れる大地の他に、鬱蒼と茂っていた木々がまるで生き物のようにうねり、動き始めた。

 そんなまさかという思考を残せたのはほんの一瞬――。


 世界が揺れ、体が揺れ、この世で唯一変化の無い空を、ほとんど仰向けになった状態で木々の間から見上げた。

 

 その青い光景を最後に、自然と下がる瞼が自我を奪い、意識が遠い世界へと消えていった――。

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