第一章 前編

第七話 前兆

 リーサからデートと称するものに誘われた、翌朝――。


「『韋駄天の腕輪』に『サラマンドラローブ』……」


 そう呟くのは親方の奥さんのマーサさんだ。通称はマーさん。

 彼女は今、俺が出かけるのに必要な装備品を掻き集めては俺に手渡してくる。


 一通り終えると、確かめるように眺めては腰に手を当ててふくよかな体型を揺らした。


 普段はいわゆる『村人の服』で過ごしている俺だが、一歩でも村を出るのであればそうもいかない。

 この辺りは魔族の主領域から遠いとはいえ、それでも当然のように魔物は出現する。

 

 ちなみにローブにはサラマンドラの体毛が編まれており、冬でも極暖だ。

 精霊のサラマンダーとは異なり、こちらはなんと炎を纏いながらも燃えない体毛に包まれているという変質な生き物が材料の一部に使われている。

 そのためかワインレッドに近い色味をしており、その機能に加えて見た目からも俺は気に入っていた。


「あとは手ぬぐいと、ちり紙に革の水入れに――」

「小学生ですか」


 村のおかんと言っても過言ではないマーさんは、こっちの世界で生活のままならなかった俺を甲斐甲斐しく世話してくれたビッグなおかんだ。

 決して体型のことを言っているのではないが、恰幅の良い見た目は自然と他人にも安心感を与える。


「デートに行くんでしょ? 準備は万端にしないとね。――あとそれに、カゴ」

「それが一番デートっぽくないんですけど」


 栗拾いにでも行くかのような、身の丈半分を超える大きなカゴを背負わされる。

 他人が俺を正面に見据えれば左右のショルダーだけが見える格好だが、ちょっとでも角度がずれると即座に「山へ柴刈りへ」スタイルへと変貌する。


「だって採集に行く前提で誘われたんだろ? っていうことはリーサちゃんはおまえさんのカゴ姿にご執心ってわけだ」

「いったいぜんたいどこの世界にカゴを背負った男に惚れる女子がいますか」

「よかったねぇ、唯一この村にいて。あたしも王都から移ってきた甲斐があったってもんだ」


 マーさんは俺のショルダーの位置を確認するようにポンと肩を叩く。


「あたしも昔は、旦那が汗水垂らして剣を打つ様がそりゃあもうカッコよく見えたもんだよ。仕事に熱心な男はそれだけで女は見惚れてしまうものさ」


 熱を確かめるように頬に手を当てるマーさん。瞑目しては過去を思い出しているようだった。


「じゃあ、カゴを背負う男の姿っていうのも女心をくすぐれますかね?」

「いや、カゴはさすがに無理だね」

「やるせない……」

 

 ただの惚気か。


 嘆息しながら、気づけば何度なく着慣れたはずのローブの裾をつまんでいた。


「――どうしたんだい? 女みたいなことをして」

「あ、いや……」


 半ば無意識だったので、ぱっと手を離す。何も本当に女みたいに裾の長さを気にしたわけではない。

 思い出されたのは、昨日店を訪れたフード付きのローブ姿の少女のこと――。


「マーさん……この村に俺よりもちょっと年下の女の子っていましたっけ?」

「炭屋のペンネとか? あとはエマのところの娘もまだ小さかったねぇ。それがどうかしたのかい?」


 手振りで「なんでもない」と告げる。

 ここに来て三ヶ月ほどとはいえ、王都に比べればはるかに人口の少ない村だ。おおよそ全員分の顔を覚えることは難しくないし、マーさんが挙げた子は俺も知っているが当然ながらどちらとも違う。

 マーさんに確かめるまでもなく、ローブの少女はこの村の住人ではない。


『勇者のひとりが魔物の討伐を兼ねてこの村に来ているらしい――』


 外の人間だろうと想像すると、ふとオーウェンの言葉が思い出された。

 ――あの子は実は勇者だった……とか? そんなまさかという感想を抱いて首を振る。


 別に見窄らしい格好で人間を判断するつもりもないが、勇者と結びつけるには土台無理な背格好だった。「幼気な少女」とか、まだそういう表現のほうがしっくりくるぐらいだし、いくらこじんまりとした村とは言え旅人だって後は絶えないのだ。


 ただ――、

 複数の剣からしてただの冒険者と呼ぶにも余りあった。手品のようにふっと消えた様も、何かしら特別なスキルもよるものと言われればまだ頷ける。


「いや、なんでもないよ――」

「もしかして、あんたが言いたいのって……」


 マーさんが「あらいやだ」と口に手を当てる。

 先ほどの二人に加えて、他にも誰か言い忘れていた村の子でもいたのだろうか?


「リーサちゃんよりもそっちが趣味なの? いやーねー、最近の子はすぐに自分よりも年下に走って! エマに注意するよう言っておかないと!」

「違いますって! ……ってか最近のってなんですか!」


 両手を振って激しく否定する。

 

 「まったく……」とため息を零すと、急に馬鹿馬鹿しくなってきた。元を辿ればそれは軽佻浮薄なオーウェンからの情報で、事の真偽だって定かではない。

 勇者が本当にいるなら会ってみたいところだが、勇者を冠した人間がこんな辺鄙な村にいるはずもないのだ。


 反芻される記憶を打ち消そうとし首を振る。それが作用したわけでもあるまいが、今の今まで忘れかけていた少女の言葉が思い出された。


『せかいじゅ……』


 と、ローブの少女は確かにそう呟いた。


「ねぇ、マーさん。この世界に世界樹って実在するの⁇」

「なんだい、また藪から棒に。もしかしてあんた、少女じゃなくて植物に欲情するタイプの変態なの⁇」

「勘違いが常軌を逸し過ぎてます」 


 本当にどんなプレイだよ。いやたしかにドライアドの姿はそれはそれは美しかったが、性根のほうは腐っていた。

 マーさんは良い人だが、冗談好きがここまで来ると度が過ぎる、とまたもため息が漏れる。


「変なこと言わないでくださいよ。最近たまたま耳にしただけですから」

「世界樹を? ――そうねぇ……大昔はあったって話だけど、おとぎ話の中でしかないよ。それこそ勇者の伝説と同じくらい昔さ」

 

 「そっか」と呟く。

 この世界に来てから総じて半年――。

 この世界の常識について欠如も甚だしい自分だが、冒険者としてギルドに通ったときも含めてその手の話題は聞いたことがない。


「世界樹って言えば昔は神様と等しく信仰されていたらしいわよ」

「まぁそんな存在ですよね」


 ゲームの中では世界や勇者にとって必要な存在、それが世界樹だ。

 大地に根を下ろす大樹を想像するうえ、俺の知っている物語だと女神やドラゴンといった化身・・の姿で現れたりもする。


「何せ世界樹の怒りを買うと世界を滅ぼされるとまで言われていたからね」

「へぇっ……」


 生返事をする。それはなんだか俺のイメージと違うような……。


「――ところで剣は貸してもらえないですか?」

「持ってたってろくに振ったりしないんでしょ? これで十分よ」

 

 そう言うマーさんの手ずからに小刀を受け取る。小刀っていうよりナイフだな、と鍔も無いそれを確かめるように握り込んだ。

 スキルで鑑定すると『ビギナーズナイフ』と出る。誰が最初に名付けたかは知らないがなんとも安直なネーミングだ。


「さぁ、準備が整ったならさっさと行っといで。女の子を待たせるもんじゃないよ」

「わかっていますよ」

「あとついでに鉄鉱石を七キラと、グラシア鉱を十二キラ、それにカシカシの木の枝を適当な量採取してきてちょうだい」

「おつかいのような軽さで言わないでくださいよ。材料の重さで殺す気ですか……」


 一キラは、おそらく元の世界での一キロほどに相当する。合計二十キラほどだが、音の響きからしてその重量で死ねるレベル。

 『韋駄天の腕輪』が無ければ無茶な注文だが、腕輪の効果がそれを助ける。体力と敏捷性に作用するとされているが、実際は体を軽く感じさせるにとどまる。


 例えで、数値で表そうとするなら――、

 普段は十五キラ程度で弱音を吐く俺も、これを装備すれば二十キラを超えても耐えられる、と言ったところか?

 あと足も速くなる。数値じゃないけど。


「なに大げさなこと言ってんの。男が弱音を吐くんじゃな…………――っ!」


 その時だった。

 マーさんが何かを感じ取り、その表情を見るが早いか俺の表情も硬くなる。


 足の裏に感じるわずかな振動――。

 部屋に吊り下げられたランプが振り子のように揺れていた。


「地震……」

「……地震だ、ね」


 さして大きな揺れではなさそうだが、時間的には結構な長さだった。

 俺とマーさんはその長さを確かめるように互いに天井を見上げては、思わず身を固くする。


「――――――止んだ」

「最近、多いわねぇ。近くにゴブリンの大軍でも迫っているのかしら」


 俺が目を向けると「冗談よぉ」と手首を曲げてくる。

 その手の発言、この世界では冗談にならないのでやめてもらいたいです、はい。


「それはともかく、ほら、ほら、さっさと行っといで! 地震なんて遅刻の言い訳にはならないわよ!」


 尻をはたき上げられながら、俺は店の裏戸から外へ――。

 踏鞴を踏むようにして前のめりに出ると、下がった視界の端に健脚そうな脚が映る。


 まるでそこから出てくるのがあらかじめわかっていたような立ち待ち姿のリーサだった。

 おそらく俺たちのやり取りが外まで聞こえていて、ここで待っていてくれたのだろうと想像する。


「おはよ、イツキ〜」

「あ、うん」


 コケそうになっていた体勢を立て直し、リーサに向かって手を上げた。


「じゃ、早速行こうか〜。デートの始まり、始まり〜」


 パンパンと手を叩く彼女は、そう言っては後ろ姿を見せながら森へと向かっていた。 


 ――ていうか、これってデートて呼べるんですかね?

 俺は疑問を抱きながらその最たる原因のカゴを背負いなおす。 


 デートという単語が一人歩きし、まるで覚えたての言葉を使いたがる子供みたいだと、そう思いながらも俺はリーサの後ろ姿を追いかけた。

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