第六話 現在の夢と過去形の夢

「親父さんの体調はどう?」

「ん、おかげさまで〜。薬は欠かせないけど、調子は良いみたい〜」


 俺は商品が正しいことを確認すると、緩衝材代わりの麻と一緒に袋へと小瓶を詰める。

 リーサはカウンターに両肘をくっつける形で頬杖をついていた。


「そっか、それはよかった」

「調子良すぎてスノードラゴンを討伐しに行くとか言い出すのよ。冗談は怖い顔と虫嫌いだけにしてほしいよね〜」

「マジか……」


 リーサの父親は元冒険者をしていたと聞いたことがある。

 聞いたことがあるなんてものじゃなく、父親が冒険者を止めるきっかけとなったリーサ本人がそう語っていた。

 昔はいかつい顔だけでゴブリンを圧倒したとか。そんな嘘か本当かの武勇伝を酒を飲む度に語るらしい。


 どうしたらそんな父親からリーサが生まれるのか……覚醒遺伝の恐ろしさたるや。いや、母親の遺伝子純度百パーセントなのだということにしておく。

 

 月光を映したような金髪に、眼窩のアクアマリンのような瞳が美しい。

 宿屋の手伝いで動きやすいようにといつも好んでワンピースを着ている。今日は白襟に濃紺地で、首元のボタンはゆるく開けられていた。

 仕事熱心な彼女は特定の箇所以外は無駄な肉が無いようで、襟元から覗く鎖骨からはいかにも健康そうな窪みが見て取れる。


 柔らかい声色とは裏腹な活発さが滲み出ていて、勝手な妄想で幼馴染設定を付与してもいいくらいだ。


「これ、いつものお代ね〜」


 俺は軽く礼を言いながらいつも通りの薬代を受け取る。 


「――あとこれも。もうひとつのほうのお代ね。そろそろあれ、入荷できたかしら?」


 そういってリーサが銀貨もう一枚を差し出す。

 彼女はこの店に来るたびに身入りした稼ぎを銀貨一枚に変えて置いていくのが最近の習慣となっていた。


「あれ、ね。……ちょっと待ってて」


 俺は台の上の硬貨やら先ほどの木箱やらをしまい、裏へと引っ込む。

 以前に依頼された品は王都からの仕入れを終えたばかりで、すぐに渡せるよう手近な棚に置いてあったはずだ。


 十秒と待たせずして戻ってきては、商品をゆっくりとカウンターの上へ。

 ズシリとした重みが心地良く、品と棚板の間を埋めるようにパタンと空気の音を鳴らした。


 俺のゆっくりとした手つきは、それが丁重に扱うべき高価な品であることと同時に、高価さに帳尻を合わせたようなその重さからのものだった。

 加えて、ある種俺自身の躊躇いが含まれていることも自覚している――。


 自然と細まった目で、その魔道具の名を確認した。


『初級魔道書 ―王立学院編―』


 魔道書然とした分厚さと重さ。小豆色の装丁。

 軽んじて開かないように黒鯨の髭で結ばれていた。


「あったのね! 嬉しい、ありがとう!」


 嬉々とした感情で声を弾ませる。直裁なお礼に、リーサは身を乗り出して俺の手を取った。


 ち、近い……。思わず半歩後ずさりながら俺は顔を背けた。


「あんまり無理はしないほうがいいと思うけどなー……」

「ね、ね。開いてみてもい〜い〜?」


 俺の気恥ずかしさ紛れの忠告をスルーして、リーサは魔道書に触れようとする。

 肩を持ち上げて促すと、待ちきれないように紐を解き分厚い表紙を繰った。蝋で固められてるんじゃないかと思うほどに硬い表紙だ。


めくっていいのは説明書きまでだからね。一章まで進むとあれ《・・》が発動するから」

「わかってるって〜」


 そう言いながら、彼女が紙に触れる手は軽い。

 危ぶみながら見ていると、俺にも見せようとしてくれているのか台に身を乗り出すようにして覗き込む。


 ――この距離感はちょうどあれに似ている。なんというか、飲食店で一緒にメニューを眺めるような近さだ。

 至近のリーサの顔に、自分の頬が反応したように熱い。


 心なしかナチュラルな甘みを帯びた香が鼻腔を擽る。――危ない危ない、と意識的に距離を置き、思考を逸らすように台の上の明かりをつけた。

 日が落ち始めた店内の暗がりを、夜光石を光源としたランプが照らす。


「初級の体得には平均しておよそ半年。一度本の中に入ると、ひとつの単位を完了するまでは外に出してはもらえない――」

「なるほどね〜。半年……半年か〜。結構大変そう」


 この魔術書はただの読み物ではない。本章に入る手前、そこは蜜蝋で閉じられており、開けた当人は学院が形成した異空間へと転移されられる仕組みとなっている。

 本自体も確かに立派なものだが、それでも小遣い程度では手が届かないほどの値付けをされており、それはいわゆる受講料も加味されているからだ。


 リーサは俺の言うことには話半分で、意識の大半を本の文字列に焼き付けているよう。

 内容が難しいのか、それとも体得にかかる時間に難色を示しているのか、眉根を寄せては顎に手を当て険しい顔をしている。


「――でも、これで冒険者になれる」


 いつもの間延びするような語尾は自覚してかそれとも無自覚なのか、それは男の琴線に触れるような魅力があった。

 だが俺はむしろ、彼女が言葉を切る際の気迫のようなものに、思わず息を呑まされる。


 リーサとは同い年だが、得てして女のほうが男なんかよりよほどしっかりと物事を考えていると認識させられる。


 彼女は魔道書に顔を向けたまま髪をかきあげ、こちらへと視線を流してきた。

 青瞳が明かりに揺らめき、つやつやと光を反射させる唇と合間って蠱惑的な美貌を際立たせる。


「む、無理はしないほうがいいと思うけどなー……」


 自身の早鐘を告げるような心臓を、熱を帯びた血流を、湿気の含む吐息を悟られまいと息を細め、誤魔化すように先ほどと同じことを口にしていた。

 

 でもそれは――彼女の魅力からだけではない。


 リーサの夢は、父と同じ冒険者になることだ。


 魔道書の依頼と共に打ち明けられた彼女の目標に、俺は心をざわつかせた。

 せっかくの異世界転移を果たした俺は、ギルドで冒険者登録をしながらも結局その道を外れてしまっている。


 この『真眼』のスキルはそれなりに気に入っている。

 ――だけど俺は気に入っているスキルそれにすらも、魔物の討伐には役立たないと己の夢叶わぬ責任を押し付けてしまっていた。

 ただただ異世界を生きていく――多少の猶予が与えられた今現在でさえそのぬるま湯に漫然と浸かっているのだった。

 

 彼女は、それを自らの意志で、そんな安楽な生活を脱しようとしている。

 別に現状に不満があるわけではないそうで、父親の身体のことも無関係ではないものの、彼女がそれを理由にするとは思えない。


 魔道書をめくる姿、なりたい自分になろうと努力する姿をまざまざと見せつけられているような心地。自らの怠惰が突きつけれているようで、彼女の姿が俺には眩しすぎるぐらいに明るかった。


 俺だって――。と自分の中の何かが呟く。


 とっぷりと暮れた店内は明かりだけが頼りで、それ以外の空間はいやに暗い。


「また、難しいこと考えてるの〜?」


 気づいて顔を上げると、意地悪そうに唇で弧を描くリーサの姿。

 夜気と共に負の感情を振り払うように俺はランプの小さなつまみを捻って明かりを強めた。 


「――なんでもないよ。ちょっと世界を救うために新しい武器の構想を練っていたところ」


 俺は努めて声量を大きく、明るく振る舞って適当なことを口にしていた。


「なにそれ。……じゃあそんな考え方だけは勇者様なイツキには、この本のお礼も兼ねてご褒美でもあげようかしら」


 たまたまだろうが本日二度目の『勇者』という言葉。それが今日は妙に鼓膜に響いては残る。


 珍しいこともあるものだ、との感慨は一瞬で、「考え方だけは勇者」というリーサの扱いにちょっとへこんだ。


「お礼も何も。お代はもらっているからそんな気遣いは必要ないけどご褒美はください」


 振り払うようにとぼけた発言をすると、リーサは目を丸くして破顔した。


「ふふっ……イツキのそういうところ嫌いじゃないよ」


 トンボをつかまえる時のように俺の目の前でくるくると指を回してくるリーサは、


「イツキは、明日は採集に出る予定があるのかな?」

「あるもなにも――」


 「リーサのために明日に延ばした」と喉にまで出かかって危うく止める。

 代わりにうそぶいて「――もともとその予定だった」との台詞が滑り出ていた。


「仕事熱心でよいよい。じゃあちょうどいいわ。わたしとデートしよ〜?」

「…………は?」


 でーと? デート?

 意味はともかく未体験のこと過ぎて自分と結びつかない単語。


 俺と、リーサが? と言わんばかりに交互に指を向けると、彼女は満面の笑みで頷きを返してきた。

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