第五話 とある少女と高価な剣

 ――俺が心待ちにしていた女子!


 ――のはずが。


 ぎいぃぃぃいっ


「いらっしゃ! ……い?」


 わざとらしく威勢をつけた声は、不自然な光景によって挫かれた。


 先ほどオーウェンが出ていった扉。外側から開かれた扉は思いの外ゆっくりと、そして一度は止まり最後には大きく開かれた。

 まるで扉の内側に誰かがいるのを警戒するような、そんな動きだ。


 そこから自然と思い描かれるのは中を覗き込むような来訪者の姿勢。だがそれに反して人影は扉の向こうで仁王立ちをしている。


 ――扉の動きと人の動きが連動していない。まるで風が扉を開けたような格好だ。


 そして立っていた人物が一番の問題だった。

 頭から膝までのローブに身を包んでいる。衣服には汚れが目立っていて、はっきり言えば小汚い服装だ。


 おまけに逆光で表情までは見えない。――見えないものの、うっすらと陰る顔のパーツと膝下で露わになる線の細さや肌艶からして、どうやら女であるよう。

 もっと厳密に言えば、


「女の子……?」


 目算が正しければ背丈もそれ相応に見える。やや小柄で、年端もいかないというのは言い過ぎか。

 唯一無二の個性のように徽章――ひと目に交錯する二つの剣と、中央には盾が掲げられた――が胸元で誇示されている。それだけが新品のような光沢を放ち、擦り切れたようなローブにはずいぶんと不似合いな煌めきを帯びている。


 言葉を失って俺が誰何の視線を向けていると、女は悠然と靴底を鳴らしながらに店内へと入ってきた。

 慌てて口にした「いらっしゃい……」が尻すぼみになる。


 店内を物色する様子も見せず、一直線にこちらへ。

 カウンターの対面に立つ。


「あの、今日は何をお求めで……?」

「…………剣を」


 思わず「はい?」と首を傾ける。


「――この店で一番強い剣が欲しい」


 目算は当たった。言葉遣いはともかく、見窄らしい格好とは対照的に鈴を転がしたような少女の声だった。

 

「はぁ……」


 少女とはいえわずかに抱く警戒感を緩めないようゆっくりと椅子から尻を離す。


「一番強いと言われてもわかりませんが……こんな店でも高いものはそれなりの値段になりますよ?」

「構わない」

「……」


 泰然とした返答。

 高価な品は店の奥にある。俺は手早く取りに行くために対象と、たしか置いてあっただろう棚を思い描いてから裏へと入った。

 わずかな間でも客が店先の商品を盗んで逃げやしないか。そんな思いからだったが、木箱を抱えて戻ると杞憂で済んだことに胸を撫で下ろす。

 不審な動きどころか、少女は微動だにしなかったように同じ場所でわずかに俯きながらに立っていた。


「えっと、たぶんこの剣がこの店で一番強くて、だからこそ高いものになりまして……」


 箱を開けながら、俺は念のためスキル『真眼』を発動し、視界に浮かび上がる剣の名を確かめる。


「『オピス・フロガ』です」


 攻撃力、防御力はもちろん、人間の体力や敏捷性へ影響を与えるアイテムもこの世界には少なくない。

 だが問題は――というより当たり前なのかもしれないが、それが数値として見えないことだ。

 例えば素早さを上げるような腕輪を装備したところで、それは目に見えて足が速くなるか、あとは体が軽くなるなどの体感に還元されるのみである。


 武器の強さもピンキリながら明確な数値というよりは切れ味や耐久性、扱いやすさで値付けされる。

 それでも殺傷能力という点で親方が判断したこの武器が、練度としては非常に高いものであることには疑いない。


 きっと数値化することだって難しくは無いのだろうが、そのためには世界に基準が存在しなければならない。

 それがこの世界に召喚されてより、ゲームではないひとつの現実世界の証のような気がして俺にはならなかった。

 

「武器としての攻撃力もさることながら、材料に炎の魔石を混ぜていますので、熟達した剣士なら剣の一振りで炎を纏わせることができます。ただしその分耐久力に難がありまして……って聞いてます?」


 視線を上げると少女は剣を見つめている――――ではなく、俺のほうを見ていた。

 呆然と、上下唇の真ん中に中途半端な空間を作っている。


 それは呆然とか唖然とかそんな表情で、俺は理解したからこそ「あぁ」と得心もした。


「この目、鑑定のスキルを使うと色が変わるんです。別に呪いを掛けたり服が透けて見えたりはしないんでご安心を。ほら、もう元に戻ったでしょ?」


 笑みを浮かべながら手をひらひらとさせる。愛嬌として下手なりに冗談を言ったつもりだったが、意に介されないどころかほぼ無視されたのは少々胸にくる。

 俺の瞳の変遷を見守るためとはいえ、そうまで女の子に見つめられていると思うと女子耐性の低い俺としてはどうにも面映ゆく感じるわけで、

 

「あの何か……?」

「せかいじゅ――」

「へ? 今なん――」


 て、と言い掛けたとき、少女がフードを脱いだ。その姿に俺は息を呑む。


 フードの影から脱した瞳――臙脂の液体を薄く垂らしたような虹彩がこちらを射抜いてくるよう。

 意志の強さが双眸と柳眉に宿ったような、目鼻立ちの整った顔立ちがそこにはあった。

 

 亜麻色の髪が斜陽に照らされ燃えるように輝いている。

 フードを脱ぐ際に揺らされた毛先は三つ編みを形作っており、ゆるく束ねられた様は意志の強さを感じさせる瞳に反して柔和な印象を他人に与えそうだ。

 左目の下に当てられた布は傷を処置したものだろうか。それでも、少女の美麗を損なうことはない。


 有り体に言えば美しい少女で、俺は時が止まったように目を奪われてしまう。


「――なんでもない。続けて」


 もう一度、少女は「続けて」と口にし、俺は二回目のそれでやっと我に帰った。


 居心地の悪さを埋めるように矢継ぎ早に説明を終えると、少女はおもむろに木箱の剣の柄に手を掛ける。

 しっかりと握り込んでは自然体で構えると、軽やかにひと振りをした。


 ぼっと短い音を立て、空気との摩擦で炎が発生する。


 俺が親方に振ってみろと言われたときは散々素振りしてもダメで大笑いされたものだったが、目の前の華奢な少女はやすやすと刀身を朱に染め、見惚れるようにまじまじと眺めては表情を炎の灯りで煌めかせている。


「うん、悪くない。――――いくらだ?」

「あ、えっと……」


 オーウェンのときに確認した買取表に手を伸ばし、さらに裏返した。


「金貨五枚に銀貨二十五枚です、ね」


 親方のことだから妥当な値付けなのだろうが、高価なあまり口に出すのも憚られるほどだった。

 金貨五枚は、ひと月の生活費よりもだいぶ多い。


「さすがにこんな値段……」


 少女は俺から見てローブの右前身頃をぱさりと開ける。中に佩いた剣の柄が見え、そのさらに後ろの帯へと手を回した。

 図らずも見え隠れしたローブの中身に思わず目を見張る。おー、意外にも丈の短いお召し物で……。

 ――ではなく、佩かれた剣のシルエットに目がいったのだ。剣が――なんで三本も⁇


 事情を想像しようとして耽っていると、台の上からいくつか重めの金属音が鳴り響いた。


「これでいいか?」


 俺がわずかに眇めた目は、すぐに見開かれた。

 そこには現国王の顔が刻印された金貨がなんと六枚も置かれている。

 足りるどころかお釣りとして店にある銀貨の枚数のほうが怪しくなるほど。


「ちょ! ……おほん、少々お待ちを」

「釣りはいらない。かさばるだけだから」


 おっとこまえぇ……。いや、女だから女前か? そんなどうでもいい思索をしながら俺は丁寧な手つきで金貨を集めて重ねる。


 それにしても、食事など銅貨三枚あれば足りるこのご時世だ。一枚ですら目を剥く金貨をあっさり六枚も出してくるあたり、いったいどんな生活をしているのだろうか。そもそも女性に限らず軽々しく持ち運ぶことさえ憚れる金額感でもある。


 少女は剣を一通り矯めつ眇めつするとご満悦の様子で腰に挿す。


 ただ「ご満悦」というのは俺の解釈かもしれないと思うほどで、認められたのはわずかに緩まった口の端だけだった。先ほどまでの怜悧な第一印象変えるようで、例えるなら玩具を与えられた子供のような表情。少女の年相応さをやっと垣間見れた気がする。


 購入したものを含めると計四本もの剣――それらを帯刀した少女。

 俺は誰何の念を強めそうになるのをなんとか堪えて顔を背けた。


 そのときだった。


 再度、店の扉が開く。


「こんにちわ〜、いつもの薬を取りに来ました〜」


 穏やかぁ〜な春風を運ぶような声が扉を抜けて店内へと流れ込む。


 俺がもともと待ちわびていた宿屋の娘が挨拶の勢いそのままに入ってきた。


「いらっしゃい!」


 思わず身を乗り出すように立ち上がり、今しがたの少女越しに新たな来訪者を見る。


「いつもの薬だよね、ちょっと待ってて」


 俺は快活に答えながら体を大きく傾け棚の下のほうに用意していたアイテムへと手を伸ばした。

 ついでに銀貨の入った袋も手に取る。いくら女前が過ぎるとはいえ、さすがにこれだけの大金、はいそうですかとお釣りを渡さないのもどうかと思うわけで。


「お客さん、さっきのお釣りを……ってあれ?」


 視線を逸らしたのはわずか数秒だったはずだ。


 ――ローブの少女の姿が、忽然と消えている。


 先ほどの少女とは打って変わって宿屋の娘――リーサ・ベネディットがきょろきょろと視線を泳がせながら奥まで入ってきた。

 初めての店でもあるまいしと、毎度のように思う。

 都度そんな感想を漏らすほどにリーサが瞳を自由にさせて入ってくるのは常のことだったが、それだけ今の彼女には縁遠い場所で、にも関わらず興味の対象にもなり得る場所ということを意味している。


 俺は小瓶三つの横に革袋をじゃらりと鳴らして置いた。


「どうかしたの?」


 俺があまりに呆けてたのか、リーサが顔を覗き込んでくる。

 釣り銭の入った革袋と、わずかな隙間を見せる店の扉――その間で視線を幾度となく往復させる。


「いや、お釣りを渡そうと思ったんだけど、いつの間にかお客さんがいなくなっていて……」

「お客さんって?」

 

 くるっと首を傾げるリーサは意図がわからないといった様子で、それでいて口元には自然な笑みが作られていた。

 少女が店を出て行けば当然リーサの横を通り過ぎるわけで、少なくとも視界に入らないということはあり得ない。だが彼女の表情には俺を揶揄っているような影は見えないし、もともとそんな子でもない。


 白昼夢だとか狐につままれたとか、そんな表現が俺の脳裏をかすめる。


 思考を半分持って行かれたような気分に苛まれながら、それでも気を取り直そうと小瓶に手を掛け、スキルを発動してはリーサに渡す商品が正しいかを確認しようとし――、


「あっ」


 気づいたと同時に、己の頓馬とんまさを呪った。

 もう一度「どうしたの?」と問いたいようにリーサが逆方向へと首をひねる。


「名前……見ておけばよかった」


 ぽつりと呟く。

 少女の常人ならざる気配に翻弄され、俺はすっかりスキルのことを意識の彼方へと飛ばしてしまっていた。


 カウンター上には、窪んだ跡を中に残す空の木箱だけが残っていた。

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