第四話 勇者という厄ネタ
「そういえば……」
店の扉に手を掛けたオーウェンが独り言のように立ち止まる。
「勇者のひとりが魔物の討伐を兼ねてこの村に来ているらしいんだが、この店には来たか?」
「勇者?」
「ゆうしゃぁあ?」
俺は脊髄反射で聞き慣れた言葉を反復していた。
わずかに反応が遅れた親方の発音は子供が初めての言葉を口にするような不慣れさで、それでいて明確な嫌忌が含まれている。
「あぁ。『勇者』を
魔王が存在するのだから、勇者がこの世界に存在するのもおかしくはないが、それにしてもおとぎ話? 厄ネタ――?
「しかもこれがめっぽう強いらしくてな。おまけに魔族と戦ってるってんだから驚きだ」
「らしいらしいって、オーウェン。そんな噂程度じゃ真偽なんてわかんねぇじゃねぇかよ」
「ちげえねぇ」
オーウェンは軽量化された笑い声をあげると大きく息を吸った。
「……だけど魔族の攻勢が苛烈になっているからな。勇者だろうとなんだろうとありがてぇことには変わりないだろ」
「勇者を名乗る奴なんて碌な人間じゃねぇよ」
オーウェンがニタニタと諧謔的な笑みを浮かべ、逆に親方は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「なぁ、勇者が魔族と戦うなんて当たり前なんじゃないのか?」
俺としては何気ない疑問を口にしたつもりだったが、結果として親方の瞠目っぷりを拝むことになった。
「イツキはほんと……拾ってやったときから頭は悪くないやつだと思っていたが、常識にはからっきしだな」
店の出口にまで差し掛かっていたオーウェンが踵を返すと足早にカウンターへと戻ってくる。
「いいか――」と口にしながら俺の目の前に偉そうにも人差し指を向けて来た。
「昔話に出てくる勇者っていうのは確かに魔族に相対する存在だ。その昔、この世界に君臨した魔王を討伐したぐらいだからな。なかには英雄と呼ぶ奴もいる」
俺が眉根を寄せてオーウェンの手を退けると、今度は胸に手を当てながらに続ける。
「だが一方で嘘つきの象徴でもある。そんなことそこらのガキでも知ってらぁ。大人から見れば我欲の塊とも言えるな。その昔、天から与えられた力で魔王を討伐した勇者は、約定に反してその力を返さなかったんだから。おかげで魔王を討伐した後人間は天罰に苦しみ続けられたと言われている。ま、何にしてもこの話の教えは――」
「約束は守れってことだな」ともっともらしいことを口にして哄笑した。
「お前が言うな、オーウェン。用が済んだんならさっさと帰れ。商売の邪魔だ」
「へいへい。ま、勇者がこの村にいることの情報も、イツキへのちょっとした高説も、さっきの詫びってことで」
ひらひらと後ろ手を振りながらオーウェンは店を後にしていった。
「イツキ、俺は後ろに下がるから店番しとけ。一服してくる」
不機嫌を隠さず、言うが早いか親方はバックヤードへ下がっていった。
――たぶん一服では済まないだろうな。
俺はカウンターの高椅子へ勢いよく尻を乗せる。
この世界にも勇者はいる。ただ――。
そもそもこの世界が存在するユグラシア大陸には複数の民族国家の他に、北方には魔族にとっての聖地が控えている。
紛争地域は常に『エリアゼロ』と呼ばれ、長きに渡り過ぎて半ば膠着状態に陥いりながらも日常のような戦いが繰り返されていた。
当然ながら魔物の存在はその地域に限られないので、各所で冒険者が討伐に精を出しては金を稼いでいるわけだ。
近年は魔族対人間の構図からエルフ、ドワーフ、半獣族なども一部加わり複雑な様相を呈しているとのこと。
物資の枯渇は戦争の敗北を意味するため、はるか東方や西方の国からも武器を輸入し、かき集めていると聞く。
膠着し始めた戦争――
そして勇者を僭称する者の出現――
ドライアドは元の世界から九人が召喚されたと言っていた。
特別なスキルを備えた個人によって魔族との戦いに終止符を。すなわち魔王を打ち滅ぼす存在を呼び寄せたと考えるのが筋だ。
それがドライアドが伝えたかった目的なのだろう、と俺は解釈している。
想像には難くない。だけど――、
「ま、俺には関係ないか」
カウンターに頬杖をつき、大仰にため息を漏らしながらうつ伏した。
残念ながら、俺には活躍の場がない。
せいぜいこの能力を活かせば生活に困らない程度の給金を得られるようにはなったが、戦うことにはとんと向いていない能力なのだ。
せめても強力な武器防具に身を包めば、辺境の魔物ぐらいは相手にできるようになるかもしれないが――。
そんな思索に耽っていると、打ち切るような豪放な声がかけられる。
「イツキ、ちょっとこれ鑑定してみてくれや」
体を起こして椅子を回転させる。
背後には、暖簾を割って親方が顔を出していた。
「鑑定って、武器ならおやっさんが見ればわかるじゃないですか――」
親方が差し出した長剣。俺は乱雑に放り投げられたそれを危うく受け止め、見覚えの無いながらにスキルを発動する。
「これ……」
俺は剣へと注いでいた眼光をそのまま親方へと向けた。
「あぁ。俺様自慢の新作だ。その様子だとやっぱり、名前は見えないみたいだな」
「……」
もう一度視線を落とすと刀身の腹の部分には『???』と出ている。このスキルは名前が無いものを鑑定するとこういった形で表示された。
それがわかったのは、この世界に来てからだいぶ経ってのこと。
「新しいウチの商品にでもしようかと思ってな。――イツキ、お前が名前をつけてくれ。お前のいう東方の刀ってぇやつを真似て作ってみたが、切れ味のほうは保証する」
「俺が?」
剣は、片刃だった。
刀という割に、柄は元の世界のような豪奢な作りではなくシンプルにも革紐が巻かれているのみ。刀身はたしかに刀のそれで、あえて上げるなら刃が心なしか大きいぐらい。柄を含めた長さも地面からの俺の腰の高さよりもやや長そうだ。
おまけに――、
「これ、鍔がないんすね」
「まだ試作段階でもあるからな」
剣の全体が綺麗な弧を描いている。
鍔がないと切り結ぶ際には不利だが最初の一撃を浴びせるになかなかの攻撃力が期待できそうだ。
「――『
「しん……なんだって? なげぇからもっと短くしろ」
「えー……」
割とシンプルで短くしたつもりだったが、親方のメモリーを簡単にキャパオーバーしたらしい。
普段は『ケーニヒスクローネ』とか『黒薔薇姫の剣』とか長ったらしい名前の武器を扱ってるくせに、聞き慣れないとシニアはすぐこれだ。
ちなみにどちらの武器も希少過ぎてこの店には置いていない。親方が憧れる武器を「一度は拝んでみたい」と独語しているだけに過ぎない。
「わかりましたよ。じゃあ略称で『シンイチ』とかどうです?」
「……『シンイチ』、ねぇ。まぁそれくらいなら。悪くねぇな」
半ばヤケで名付けたがご理解いただけたらしい。
それにしても、適当な名を口にしてしまったことが悔やまれる。図らずも難事件を解決できそうな名前だ。
俺が再び剣へと向くと、俺の瞳に映っていた『???』が文字が翻り別種の鈴音を脳内で響かせた。
『シンイチ / 新一文字』
おぉ……。ご丁寧に俺にとっての正式名称までが列記されている。
自分が名付け親になった感慨は悪くない。――というか割と嬉しい。
物の名前がわかる鑑定のスキルは戦いの役には立たないが生活の役には立つ。何より見るもの聞くものが全て新しい俺にとっては結構楽しみ甲斐のあるスキルだ。
能力発動時に目が金色に光るのも厨二っぽくて個人的にはポイントが高い。
それに、もうひとつの理由。
それは、初対面じゃない《・・・・・・・》人の名前を忘れずに済むことだ。
人の名前を覚えるのが苦手な俺としては、元の世界でもこの能力があればどれだけぼっちにならずに済んだことだろうと悔やまれるほど。
ちなみにわざわざ「初対面じゃない」と枕詞をつけたのは、逆を言えば初対面だろうと名前がわかってしまうため初見か二回目かが不明瞭なことだ。
初めてなのに名前を口走ろうものなら一発アウトで不審者扱いされてしまう。要注意。
「それじゃ今度こそ店番、よーろーしーくー……」
茶目っ気を醸したつもりの親方が裏へと引っ込む。
甘えたような声色からして今度こそすぐには戻らないだろう。サボり過ぎてまた奥さんに怒られないといいけど……。
俺はまたしてもカウンター上に腕を寝かせ、さらにその上に顎を乗せて窓の外を見た。
これが正式な暇を持て余すときの店番スタイルと勝手に決め込んでいる。とあるパン屋の真似をしているだけだが。
店番は嫌いじゃないが、村の住人はそこまで頻繁に日常高価な武具を買いに来たりはしない。
道具屋も兼ねているため負傷用のアイテムこそ買いに来る客もいるが、それを除けば店先は比較的暇なのである。
――季節は冬の走りだった。
店内の隅にある暖炉がぱちっと音を立てる。燃木が弾けては傾き、小さな火花を散らしていた。
高窓からは傾き始めた暖かな陽光が差し込み、遠くでは仲冬を前に青物野菜の収穫に余念がないよう農業に勤しむ声が聞こえる。
穏当な時間。最初こそ苦労はしたが、俺は今の生活をそれなりに気に入っていた。
加えて――。
俺はうずとして壁掛けの時計を眺めた。
時刻は間もなく、十五時――。
予定通りであればもうすぐ村の宿屋から親父さんの薬を買いにあの娘がくるはずだ。俺が採集に行かなかったのもこれが楽しみだったからと言っても過言ではない。
そして――
ぎいぃぃぃいっ
俺のこの生活での楽しみが、扉を開いて訪れた。
はずだった――。
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