04 最後のスキル
「それで、一体なぜなんですか? 実質選べないというか、選択肢がひとつしか残っていないのは」
眼前に突き出された羊皮紙。それは整形された白紙などとは異なり異世界の匂いを十分に感じられるものだった。
さすがは異世界召喚だし、やはりドライアドだけに植物由来の材料は避けるのだろうか? などとどうでもいい思案までが過ぎる。
「すでにあなたの前に八人が召喚されているからです」
彼女は一度スクロールを巻き直すと、それを教鞭を振るう教師のように手の中でとんとんと叩いて見せた。
「九人の被召喚者に、九つの能力――。もうおわかりの通り、あなたは九番目なのです」
さすがの説明不足を悟ったのか、彼女は異世界について説明を始めると、その舌は思いの外滑らかに、雄弁に語ってくれた。
魔族と魔物が存在する世界――。
異世界は九つの大陸から成り大小様々な国で人々が生活している――。
そして魔の脅威が以前にも増して人間の生活を脅かし始めていた――。
それは人間同士の争いの種ともなる――。
人間は一見平和を保ちながらも徐々に蝕まれていく――。
「それで、俺はその魔族や魔物を討伐し、最終的には魔王か何かを倒せってことですか?」
俺の問いにドライアドは頷きもせずに瞑目する。
イエスともノーとも取れる回答だが、何よりもどこか物悲しそうな表情が俺にとっては印象的だった。
「――魔王というのは人間が作り出した呼称です。最終的にそれが魔族の長であるかはあなたの目と意思で判断してください」
なるほど。
「いずれにしても倒して欲しい、変えて欲しい現実が異世界にはあるということですね?」
「――もしくは、その変化はほどなくして訪れる、とも言えます」
ふむ。
異世界における魔族と人間の対立構造のなか、平和のために人間の敵を討つ。
異世界の生活をシミュレーションしていた身としては願ってもない世界だ。
その異世界といえば、
「レベルを上げながら魔族と戦っていく、そういうことですよね?」
「……れべる? ……あぁ、あれのことですか。今はその概念はありません」
こてんと傾けられた首と面持ちが、ようやく年頃の女性を思わせる。スキルという概念があるぐらいだからレベルも同様に通底した理解だとばかり思っていた。
「『れべる』――というよりは、戦うほどに強くなるスキルはすでに先駆の被召喚者が選んでいきました。あと個人の能力ということでしたら先ほどのスキルに加えて、魔力量、ステータス、それらの装備による補填が個人の力を左右します」
「魔力量、ということは魔法が存在するんですね」
「はい。それと、スキルというのはあなたの世界に合わせた呼称です。こちらの世界では別の名で呼ばれています。――それは秘密ですよ。いずれわかるでしょう」
口の前に指を立てるドライアド。
そうか、魔法があるのか。俄然やる気が出てくる展開だ。火や雷を操ったりできるのだろうか? それに先駆者のスキルというのも気になる。
ドライアドはふぅと息を漏らす。伴い「これで九回目なのですよ。説明するのは」と呟いた。
――なるほど。説明を端折ってスキル選択を迫るわけだ。
「そういえば……あなたの幼馴染――
「
幼馴染といっても俺が家から出なくなってからはとんと会っていない。
近所に住んでいる同い年という程度で、仲は悪くない(はずだ……)が、幼馴染という甘美な響きには至らない程度の残念な関係性だ。
「彼女も種を受け取りましたので。――幼馴染で合っていたかしら? それとも同じ地域に住んでる人――」
「それってもうただの赤の他人ですよね」
「言葉って難しいわね。特に魔力で翻訳されているとはいえあなたの国の言語は難解です。正確な表現が見つからないもの」
「同感です」
でもだからか。
異世界人の彼女の言葉がわかるのはどうやら魔力で変換されているかららしい。
「そう、あなたがこちらの世界で言葉に苦労することはありませんよ、イツキ」
「……そちらの世界で敬称という概念は無いんですかね。まぁいきなり呼び捨てにされても、それが綺麗な女性からであれば悪い気はしない、ということにしておきましょう」
おもむろに、ドライアドは祈るように両手を握ると目を閉じた。
「――そうです。能力も、魔力も、全ては世界樹の加護なのです――」
ドライアドにとっては、神と呼ばれる存在はその世界樹とやらなのだろうか。
普通、神へと祈りを捧げる様は柔和なものを想像する。
だが俺の想像に反して彼女の眉は固い、沈痛な影を浮かべている。ゆっくりと瞼を上げた彼女の瞳は、泣きたくなるような情動を抑えてなお余りある潤いを見せていた。
「……」
なぜか言葉を失う。
先ほどまでの彼女とはうって変わった
「あの俺、頑張りますよ。何ができるかわかりませんけど、少しでも世界の役に立てるように――」
「そう、頼もしいお言葉。――さほど期待はしていませんけど」
――おや?
彼女は三度開いたスクロールを俺へと示してきた。
「さぁ、選びなさい」
九つあったスキルのうちの最後の一つ。それがドライアドの言った魔力変換で俺にも読める文字列へと変わっていく。まさに文字が浮かび上がり、中空でくるりと翻ってはまたゆっくりと落ちていくような変遷だ。そして日本語となった文字列は、異世界のそれより遥かに短いものとなっていた。
「『
視界の端にドライアドが頷く姿が見える。名前だけでは詳細不明ながら、『瞳』とあるからには目に関する能力なのだろうか。
「これって、どういう能力なんです⁇ 何かとてつもない力を秘めているとか」
正面を向くと彼女の口の端がわずかに持ち上がった。
さぞ強力なスキルであろう――そう思わされるに十分な余裕が垣間見える。
ドライアドが静かに、そして深く息を吐いた。
「見つめたものの正しい名前がわかる能力です」
「……………………………………………………はっ⁇」
ちょっと待っ? えっ?
「えっと、名前がわかる能力? それだけ⁇」
「えぇ、そうですわ。何度も言わせないでください」
絶句、とはまさにこういうときのことだろう――。
「他には? 未来が見えるとか、敵の動きを先読みできるとか、見つめた相手を金縛りにするとか」
「何を仰っているのかよくわかりませんけど、そんなことができるわけないでしょ」
「……本当に残り物なのですね」
「『残りものには福がある』とも言いますけどね」
「それも魔力変換なんですかね……」
肩を落とす俺に、ドライアドは気にも止めないように促してくる。
「それで、どうするのです? といってもこれを選ぶしかありませんが」
「ひとつしかない選択肢は選択と呼べるのでしょうか? ……でもいいです、そんな哲学的なことは。はい、選びますよ。選べばいいんでしょ。選んでないけどさ」
俺の一応の同意に、彼女は薄く形の良い唇を曲げ、
「それでは、この貴重な能力をあなたに授けましょう」
強力なスキルで魔獣をバッタバッタと倒したかった……。そんな後悔を胸に抱く俺に対し、ドライアドは自らが光源のように光を帯びた。やがてその粒子のような光体が俺へと移り、俺を淡く包み始める。
煌々と輝く身体――俺は両手を眺めながら感嘆を吐く。
光はほどなくして、溶けるように消えていった。
普段と変わらぬ手のひらをゆっくりと閉じ、また開いてみたりする。
「特に何かが変わったわけでは無さそうですが」
力が湧き上がるような実感も魔力が彷彿とする感覚にも乏しく、言ってしまえば体感的には何も変化がなかった。
彼女の説明を信じれば、これは名前がわかる能力とのことだ。
気づけば視界の右上のほうに『真眼』との文字が浮かびあがっている。
「これでスキルの継承は完了しました。あなたは晴れて冒険者です」
「あの、どうやって能力を使うんですか?」
「対象の名前を知ろうと意識しながら見つめてください」
俺は早速目の前のドライアドをじっと見つめる。
すると――、
視界の中央に捉えた彼女の胸より下、腹部あたりに軽やか鈴のような音色と共に文字列が浮かび上がった。
だが、
「――あれ? この力ちゃんと機能しています?」
「もちろんですとも」
なんでそんなことを思ったか。
別に異世界の文字が読めないとかそういうとではない。
「あなたを見つめると、『???』としか出ないんですけど? 名前がわかる能力じゃなかったでしたっけ?」
「……それで良いのですよ。正しい反応、です」
ドライアドの穏やかな笑みはどこか、ひどく儚い。
「さぁ、これで準備は整いました。さっそく異世界へ行きましょう」
とかく急かすような彼女の態度に、俺は慌てて手を振る。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! まだ話が――っ!」
そして。
元から頼りなかった地面が失せたような感覚に見舞われる。
――かと思えば体が経験したことのない浮遊感を覚え、足元のほうが失せたのではなく自身が浮き上がっているのだと理解した。
ドライアドへと伸ばされた手が空振りし、そのままの勢いで前のめりに。足の位置と頭の位置が上下が逆転する格好となり、腰から引っ張り上げられるような体勢になってしまう。
空からの緑の光の束に包まれていく――。
確認したいことはまだ山ほどあって、そもそも異世界に連れて行かれる目的が何なのかもまだちゃんと聞いていない。
おまけに目の前のドライアドの名前すら――、
「せめて、名前だけでも――」
「――あなたと、あなたの継承した能力に、世界樹の加護があらんことを……」
次の瞬間、俺は暗い空間から消え去っていた。
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