第二話 九つあったスキルの最後


「それで、何故ですか? 実質選べないというか、選択肢がひとつしか残っていないのは」


 眼前に突き出された羊皮紙。それは整形された白紙などとは異なり、異世界の匂いを十分に嗅ぎ取れるものだった。


 「さすがは異世界召喚」と喉まで出掛かり、やはりドライアドだけに植物由来の材料は避けるのだろうかとどうでもいい思案が過ぎる。


「すでに、あなたの前に八人が召喚されているからです」


 周囲だけが真っ暗な、不思議な空間に佇むドライアド。彼女は一度スクロールを巻き直すと、それを教鞭を振るう教師のように手の中でとんとんと叩いて見せた。


「九人の被召喚者に、九つの能力――。もうおわかりの通り、あなたが九人目なのです」


 さすがの説明不足を自覚したのか、一度滑り出した舌は思いのほか彼女の世界について雄弁に語ってくれた。

 

 異世界の大陸には九つの大国が存在すること。

 そこには様々な種族が居住し、互いに協調し、だが決して平和なだけの関係ではないこと。

 一方で魔族と他種族は長年の抗争状態にあり疲弊していること。

 そこから生まれる怨嗟は人間同士の争いの種ともなり得ること。


 様々な種族――それが何を表すか。

 それこそ、人間はもとより目の前のドライアドも含まれるのだろうか。


「つまりは、魔族との戦争終結に向けて魔王を倒せってことなのですか?」


 俺の問いに、ドライアドは頷きもせずに瞑目する――。それがイエスとも、ノーとも取れた。


 どうやらファンタジーに近しい、想像通りの異世界のようだ。

 異世界における人間と魔族が対立する構図に、世界の救援、すなわち魔王討伐を目的として召喚される物語は定番中の定番といえる。

 転生やら召喚やらの脳内シミュレーションを経てきた俺としては、願ってもない展開と言えなくもない。


 定番といえば――、


「レベルを上げながら魔族と戦っていく、そういうことですよね?」

「……はて? れべるとは?」


 こてんと傾けられた首と明眸が、ようやく年頃の女性を思わせる。

 スキルという概念があるぐらいだから、レベル四十か五十ほどで魔王を退治できると踏んだところだったが、


「『れべる』が何かはよくわかりませんが、戦うほどに強くなるスキルはすでに先駆の被召喚者が選んでいきました。あと個人の能力ということでしたらその他はスキルに、魔力量、そして装備による補填が個人の力を左右します」


 ――魔力量。ということは魔法が存在する。


 それは、やる気が出てくる展開。先ほどのスキルも気になってくるところ。

 オーソドックスなところでいえば、火や雷といった現象を操ったり、空間を転移できたりするのだろうか。

 変わり種で言えばスキル同士の融合や、敵の力を吸収したりといったことも想像に難くない。


 ドライアドはふぅと息を漏らす。「これで九回目のガイドなのですけどね」と呟いた。

 ――なるほど。説明を端折るわけだ。


「そういえば……あなたの幼馴染――渚沢なぎさわさんも、三番目の冒険者として召喚されています」

花恋かれんが?」


 幼馴染といっても、俺が家から出なくなってからはとんと会っていない。

 近所に住んでいる同い年という程度。仲は悪くない(はず……)が、幼馴染という甘美な響きまでにはなれていない残念さを自覚する。


「彼女も種を受け取りましたので。――幼馴染で合っていたかしら? それとも同じ地域に住んでる人――」

「それってもうただの赤の他人ですよね」

「いやだわ。魔力で翻訳されているとはいえあなたの国の言語は随分と難解です」

「左様で」


 でも、だからか。異世界人たる彼女の言葉がわかるのは、どうやら魔力で変換されているかららしい。


「だからこそ、あなたが私たちの世界で言葉に苦労することはありませんわ、イツキ」

「…………いきなり呼び捨てされるのも綺麗なお姉さんからであれば悪い気はしない、と思うことにします」


 彼女は、祈るように両手を握り目を閉じた。


「――全ては世界樹の加護なのです――」


 ドライアドだけあって神格は世界樹なのだろう。


 神へと祈りを捧げる表情。俺の想像に反して柔和とは程遠く、沈痛といっていいほどの影を浮かべている。

 瞼を開けた彼女の瞳は、泣きたくなるような情動を抑えてなお余りある潤いを見せていた。


「……」


 言葉を失う。先ほどまでの彼女とはうって変わった懊悩おうのうとした姿――。


「あの、俺、頑張ります――。何ができるかわかりませんけど、少しでも世界の役に立てるように――」

「そう……頼もしいお言葉。私自身は全く期待していませんけど」


 ――あれ?


 彼女は再び、開いたスクロールを俺へと提示してきた。


「さぁ、選びなさい」


 九つあったスキルのうち、最後の一つ――。

 それがドライアドの言った魔力変換で俺にも読める文字列へと変わった。見慣れない文字が浮かび上がり、中空でくるりと翻ってはまた印字されるような変遷を辿る。


「『真眼しんがん』?」


 視界の端にドライアドが頷く姿が見える。

 名前からしてスキルらしい雰囲気ながら、一体どんな能力を有しているかは不明だ。『瞳』とあるからには目に関する能力なのだろうか。

 

「これって、どういう能力なんです⁇ 何かとてつもない力を秘めているとか」


 正面を向くと彼女の口の端がわずかに持ち上がった。

 さぞ強力なスキルであろう――そう思わされるに十分な余裕が垣間見える。ドライアドが静かに、そして深く息を吐いた。


「見つめたものの正しい名前がわかる能力です」


 ……………………………………………………はっ⁇

 ちょっと待っ? えっ?


「えっと、名前がわかる能力⁇」

「えぇ、そうですわ。何度も言わせないでください」

 

 絶句――。


「他には? 未来が見えるとか、敵の動きを先読みできるとか、見つめた相手を金縛りにするとか」

「何を仰っているのかよくわからないけど、そんなことできるわけないでしょ」

「……早い者勝ちに負けての残りものということですね」

「残りものには福があるとも言いますけどね」

「どうしてそんなところだけ流暢にフォローするんですか……」


 肩を落とす俺に、ドライアドは気にも止めないように促してくる。


「それで、どうするのです? といってもこれを選ぶしかありませんが」

「ひとつしかない選択肢は選択と呼べるのでしょうか……でも、はい、選びますよ。選べばいいんでしょ。選んでないけどさ。レールが敷かれた人生っていうのはこういうことを言うんですね」


 俺の一応の同意に、彼女は形の良い唇を曲げ――、


「それでは、この貴重な能力をあなたに授けましょう」


 強力なスキルで魔獣をバッタバッタと倒したかった……。そんな後悔を胸に抱きながら、自らが光源のように光を帯びるドライアド。やがてその粒子のような光体が俺へと移り、俺を淡く包み始めた。


 「おぉ」と両手を見て呟く。光は静かに、ほどなくして溶けるように消えていった。

 普段と変わらぬ手を眺め、今度はゆっくりと手と瞼の両方を開いては、閉じてみる。


「特に何かが変わったわけでは無さそうですが」


 力が湧き上がったような実感も魔力が彷彿とする感覚にも乏しく、言ってしまえば皆無だった。

 彼女の説明が正しければ名前がわかる能力とのことで――。


 すると視界の端、右上に『真眼』との文字が浮かびあがる。


「これでスキルの継承は完了しました。あなたは晴れて冒険者です」

「あの、どうやって能力を使うんです?」

「対象の名前を知ろうと意識しながら見つめてみなさい」

 

 俺は早速目の前のドライアドをじっと見つめる。


 すると――、


 視界の中央に捉えた彼女の胸より下、腹部あたりに軽やか鈴のような音色と共に文字列が浮かび上がった。

 

 だが、


「この力、ちゃんと機能しています?」

「もちろんですとも」


 きっぱりとした声色での断言。おそらく能力が備わっただろうことは、視界の端に映り込んだ『真眼』の文字で理解できる。加えて異世界の文字が読めないという意味でもない。

 

「あなたを見つめると、『???』と出るんですけど」

「……正しい、ですよ」


 ドライアドは俯き加減に穏やかな笑みを向けてくる。表情は先ほどよりも酷く頼りないように俺には感じられた。

 

「さ、さ。これで準備は整いました。さっそく異世界へ行きましょう」


 とかく急かすような彼女の態度に、俺は慌てて手を振る。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! まだ話が――っ!」


 すると。

 元から頼りなかった地面が失せたような感覚に見舞われる。

 ――かと思えば体が経験したことのない浮遊感を覚え、足元のほうが失せたのではなく自身が浮き上がっているのだと理解した。


 ドライアドへと伸ばされた手が空振りし、そのままの勢いで前のめりに。手足の位置、上下が逆転し足元から引っ張り上げられるような体勢になってしまう。


 空からの緑の光束に包まれていき――。

 

 確認したいことはまだ山ほどあって、そもそも異世界に連れて行かれる目的が何なのかもまだ聞いていない。

 おまけに目の前のドライアドの名前すら――、


「せめて、名前だけでも――」

「――あなたと、あなたの継承した能力に、世界樹の加護があらんことを……」


 次の瞬間、俺は暗い空間から消え去っていた。

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