第七章 宇津田姫
京
一 京の入り口
「えーと、これが大姉上からの預かり物。で、こっちが小々姉上からの。あと、摂津局が、親広殿を頼れって文を持たせてくれたから」
駅の宿場に着いて時房が細々と説明してくれる。
「京はあんまり治安が良くないから早目に身を落ち着ける所を探した方がいいよ。俺は京に居る間は六波羅の幕府管轄の屋敷に居るから、いつでも訪ねて来て。本当は皆をそこに連れて行きたいんだけど、父の目があるから」
そう言って時房は顔を歪めた。
「姫姉ちゃん、何も悪くないのにな。悔しいよ、俺」
「有難う御座います。でも私なら大丈夫ですから、どうかお気に病まずに。それより、今は鎌倉の大事の時。尼御台様と江間様をお助けして差し上げて下さいませ」
言ったら、時房はハァとため息をついた。
「鎌倉出て髪の毛まで切って。なのに姫姉ちゃんはやっぱり小四郎兄上を想ってるんだな」
あーあ、と腕を伸ばす時房の右頬が腫れているのに気付いてヒミカは懐から小布を差し出した。
「あの、お怪我をされたのですか?」
自分の頰を指差しながら言ったら、時房は苦い顔をした。
「ああ。姫御前が欲しいから貰っていいかって尋ねたら、小四郎兄上に殴られた。ひでーよな、自分が手を離した癖にさ。悔しいから、いつか追い越して殴り返してやるんだ。兄上も父上もボッコボコにさ」
ヒミカは笑った。
「ええ。時房様ならきっとお出来になりますよ。子や弟は、そうやって父や兄を目指して追い越そうとするから大成すると聞きます」
一人娘のヒミカには兄弟姉妹がいるということがどういうことかよく分からないけれど、血の繋がりのある仲間がいると、やはり心強いだろうなと少し羨ましく感じる。
「じゃあ行こうか。トモとシゲは交替で馬に乗せてやるからな。カグヤはまだ小さいから無理だな。でも姫姉ちゃんもずっとおんぶしていたから疲れたでしょう。少し俺が預かるよ」
確かに紐が肩に食い込んでかなりくたびれていた。だがカグヤを下ろし、時房に委ねた途端、カグヤが大泣きを始めた。ヒミカは慌ててカグヤを受け取る。
「ごめんなさい。人見知りの強い子で」
「俺、子ども、それも女の子に泣かれたの初めてだよ」
するとトモがからかうように言った。
「叔父上は格好良いもんなぁ。泣かされてもいいって女がわんさといるって噂を聞いたよ、俺」
途端、時房はトモの首根っこを捕まえて、肘で軽く締め上げた。
「あいててて」
悲鳴を上げるトモ。時房は笑って言った。
「そういうの下世話って言うの。お前、そんな話一体どこで聞いてきたんだよ」
「え、御所の女官連中とか。阿波局様の所に行くと、皆、可愛がってくれて美味しい物とか沢山出してきて色々な話を聞かせてくれたよ。だから俺、密かに通ってたんだ。あーあ。暫く行けないと思うと残念だな」
「まぁ、呆れた」
ヒミカは心底呆れてそう言った。御所に忍び込んでいた上に女官部屋にまで通っていたとは。元服前の子どもと言え、大ごとにならずに済んでホッとする。
「暫くではありませんよ。女官部屋には男性は立ち入ってはいけないの。鎌倉に戻っても、二度と行ってはいけませんからね」
「だって、皆が来てくれって言うんだもの」
「とにかく、駄目なものは駄目です。処罰を受けますよ」
ヒミカが強く言ったら、トモは口を尖らせた。それからいじけたのかカグヤのお尻を突き始める。
「何だよ、カグヤってばそんなに声が出るんじゃん。いつも殆ど喋らないから声が小さいのかと思ったら、とんだ猫かぶりだ」
トモの言葉に皆が笑う。すると母がカグヤの背を撫でて庇った。
「きっと不安なのよ。まるで知らない所にいるのですから」
それを聞いてその通りだと思った。母もそうだ。比企を出てから江間で少し落ち着けたと思ったのに、そこも出なくてはいけなくなってしまったのだ。
早く安全で落ち着ける所を見つけなくては。
その後、時房のおかげで旅は順調に進んだ。やがてチラホラと人里が増えてくる。
「もう粟田口に入ったよ。もうすぐ京の三条だ。人通りも増えるから、はぐれないように気をつけてね。また目立たないようにした方が良いかもしれない。綺麗な格好をしてると、かっぱらいに遭ったりするから。ま、俺みたいに分かりやすく武士って格好をしてると一応避けてくれるけどね」
「そうなのですか」
それを聞いて、ヒミカは荷から黒い直垂を取り出した。コシロ兄の直垂。大蔵御所でヒメコと一幡を隠してくれた一枚。それを、おぶったカグヤの上から羽織る。
「あ。母上、まるで父上みたいだ」
トモに言われ、頷いて微笑む。
「ええ。お父上のですよ。貴方が元服の頃にお渡ししましょうね」
「うん。俺、沢山食べて早く大きくなるよ」
——元服。
トモの元服の時には鎌倉に戻れているのだろうか?
そう考えてから首を横に振る。今は考えない。この子達を守ることだけ考えなくては。
「トモ。シゲやヨリがはぐれないように見ていてね」
——カンキン、カンキン、カンキン、カンキン。
何かを打ちつけるような高い音が聞こえてくる。
「あれは何でしょう?」
「ここは刀鍛冶の町なんだ。刑場も近いしね。あんまり良い場所ではないから早く通り過ぎよう」
言われてみると、確かにどこか荒んだ気配が残っている。それでも、鉄を打っているだろう音はそれらを弾くように澄んだ力強い音を立てていた。
「ヨリ、何見てるの?行くよ」
シゲの声に振り返れば、ヨリが地にしゃがみこんで何かの紙きれを拾っていた。
「どうしたの?」
声をかければヨリはその紙切れを畳んでサッと懐に入れた。
「何がかいてあったの?」
シゲに尋ねたら
「わからないけど、綺麗な模様」
ふんわりと優しげな笑顔で応えるシゲ。やはり女の子のようだ。地味な着物にはさせたが攫われないかと少し心配になる。
「拾ったりして平気かしら?誰かの落とし物ではないの?」
「平気だよ。破けてぐしゃぐしゃになってたもの」
ヒミカは辺りを見回すが、落とし主らしい人影もなかったので、そのまま通り過ぎることにする。
「あ、中原殿」
時房の声にそちらを見れば、頼家の病床で一度だけ会った青年が立っていた。彼は会釈をして此方に近付いてくる。
「ご無事で何よりでした。取り敢えずは私の屋敷へ。その後、後のご相談に乗りましょう」
「有り難う御座います」
頭を下げて親広の後を付いて行こうとした時、親広が時房を振り返った。
「あ、北条五郎殿。もし宜しければ、先に六波羅にお寄りになってから私の屋敷にいらしてはどうですか?急ぎの要件があるかも知れませんから」
親広の申し出に時房は頭を下げると、
「そうですね。顔だけ出してすくに伺います」
そう言って、「では、また後ほど」とヒミカに手を挙げて馬を駆けさせて行った。
その後ろ姿を見送った後、親広の後を付いて行く。
もう日が暮れかけていた。京の町は暮れが早い。また、暮れると急にひどく寒くなってくる。
と、母が、あら、と声を上げた。
「トモ?トモは何処?」
「え?」
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