二 元服と縁組と
その年は鎌倉の幕府にとって、粛正の年だった。富士の巻狩り前後にかけて、数多くの御家人が、その手にしていた土地を替えられたり取り上げられたり謹慎させられたり処断されたりした。
年が明けた建久五年(1194年)二月二日の夜、金剛の元服の儀が御所の西侍で行なわれる。平賀、足利、千葉、畠山、梶原、三浦などの幕府の重鎮が勢揃いしての盛大な式。北条時政に案内された金剛は、コシロ兄や、父の比企朝宗らの見守る中で、頼朝によって加冠の儀が執り行なわれた。 夜半になって戻ってきた金剛は笑顔だった。
「母上、只今戻りました。私は、江間太郎頼時という名になりました」
「江間頼時殿」
ヒメコは繰り返した。
「ご立派なお名前です。御目出度う御座います」
頭を下げてから、きりりとした若武者姿になった姿を繁々と眺める。昼過ぎに出掛けた時にはまだ垂髪だったのが、今は綺麗に結い上げられ、頭には真新しい侍烏帽子を乗せられている。ヒメコは遠い昔の似せ絵を思い出し、自らの左手薬指の組紐をそっと撫でた。
「また、将軍様のお声がかりで、三浦義澄殿の孫姫と縁組させて頂くことになりました」
「まぁ、三浦殿と縁組?もうそんなことまで決まったのですか?」
頼時はまだ十三になったばかり。でも武家の嫡男はそうやって縁組されていくものなのだろう。ヒメコは僅か動揺したが、それを悟られないよう微笑んで頼時に労いの言葉をかけた。
「それは良いご縁を頂きましたね。お歌の稽古にも熱が入りましょう」
「はい。早速師匠にご報告して、恋の歌についても学びたいと思います。
頼時がいとけない笑顔で応えるのが何とも初々しく、またどこか切ない。でも、それもまた縁ある出逢いの一つの形なのだろう。その頃、頼時は頼朝の紹介で、京の九条家の家司をしているという藤原定家という師を得ていた。
その翌日、コシロ兄は二人の少年を連れて帰って来た。
「前に相談されていた頼時の従者だが、彼らに頼むことにした。今、俺の側に付いてくれている尾藤知景の子息二人だ。太郎景信と次郎景綱。二人は頼時よりも二つと三つ、年が上だ。どちらも父に鍛えられていて武に秀でている。では二人共、頼時を頼むぞ」
そう言ってコシロ兄は奥の部屋へと入って行く。既に顔合わせが済んでいたようで、頼時の隣について笑顔で話し始めた三人の少年らの姿ををヒメコはそっと眺めた。武に秀でているとコシロ兄が言っただけあって、二人共背が高く、身体つきも立派だった。
「お二人とも、頼時殿を宜しくお願いしますね」
ヒメコが挨声をかけたら元気で野太い声が返ってきた。
「はい。お方様、今後どうぞ宜しくお願いいたします!」
その迫力に僅かたじろぎつつも、彼らのにっこりと笑った顔にはまだ幼さが残っていて、ヒメコは少し安堵する。金剛は武芸の稽古は励みつつも、どちらかというと内向的で大人しい性質だったから、却って良い間柄を築けるのではないか。きっとコシロ兄もそう思って彼らに決めたのだろう。
そういう次第で、江間邸には大きな少年二人が加わり、大層賑やかになった。ヒメコはトモの世話に、食べ盛りの男児三人を抱え、忙しくなった。
「増築しておいて良かったですね」
ヒメコの言葉にコシロ兄は苦笑した。
「広くはなったが更に煩くなった。これでは書も読めぬ」
そう言いながらも、屋敷にいる時は碁盤を前にしているか書を開いているかなのは変わらない。歩き始めたトモが、父の碁石を掴もうとしては頼時に抱き上げられ、太郎と次郎にあやされながら笑っているのを見ながらヒメコは忙しくも心穏やかな日を過ごしていた。家族が増えるのは賑やかで幸せことだ。 慌ただしさの中なら、祖母のことや比企のことをあまり考えずにいられた。結局、比企庄は比企能員が引き継いだ。父、比企朝宗は比企庄の代わりに北陸などに加えて西国に幾らか土地を得たらしい。でも住み慣れた故郷は失ってしまった。帰る所が無いというのは心が覚束なくなるものだ。父はめっきり口数が減ってしまった。トモを連れて頻繁に比企の屋敷を訪れるも、昔のような穏やかで柔らかな笑顔が減ってしまった。近く、与えられた土地を視察しに行かねばならないらしいが、気乗りしないようだった。ヒメコは母と共に気を揉むが、こればかりはどうしようもない。
「あら、随分賑やかなこと」
その日、江間邸を訪問したのはアサ姫だった。
「まぁ、御台さま。よくおいで下さいました」
慌てて出迎えたヒメコにアサ姫は笠を渡して言った。
「伊豆と箱根の権現様の二所参りをして鎌倉に戻ったのだけれど、御所に戻る前に方違えが必要と言われたので、悪いけど少しだけお邪魔させてね」
「お寄り頂けて嬉しゅう御座います。さ、どうぞお上がり下さいませ」
頼時が挨拶に現れる。
「まぁ、金剛!元服したのね。よく似合うこと。見違えたわ」
頼時が笑顔で答える。
「有難う御座います。江間太郎頼時という名を頂きました。どうぞ宜しくお願い致します」
「そう、頼時。これから父の義時を助けて、鎌倉の幕府と将軍家をしっかり支えて下さいね」
アサ姫はいつもの落ち着いた笑顔だったが、その横顔にほんの少し陰りがあって気にかかる。
「御台さま、何かご心配ごとでも?」
問うたら、アサ姫は笑った。
「ヒメコは相変わらずね。母になっても変わらないのね」
やはり何かあるのだ。黙ったヒメコの隣にフジが饍を運んできてくれる。ヒメコはその饍をアサ姫の前に差し出した。
「お疲れでしょう。先ずはごゆるりと足をお伸ばしになって、お腹を満たして下さいませ」
「有難う。そうね、いただくわ。まぁ、大きな栗。うん、美味しい。疲れにはこの自然な甘さが一番ね」
茹でて剥いただけの栗をアサ姫は美味しそうに頬張った。
やがて口を開く。
「将軍様は八幡を入内させるおつもりだわ」
—入内?
ヒメコは声も出せずにアサ姫を見つめた。
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