十 血と兄弟

そこでハッと頭が切り替わる。


このままでは佐殿が死んでしまう?


急いで話さなければ。

誰に?

祖母に?


でも起き上がったそこは北条の館ではなかった。


今はヒメコはもう江間ヒミカ。佐殿は征夷大将軍になって、この国の帝の武を一手にまとめた。


急いで話さなければいけない相手は祖母ではない。御台所、アサ姫だ。



ヒメコは部屋から出た。



早朝、アサ姫の所に顔を出す。と、開口一番、アサ姫が言った。

「ヒメコ、思い出したわ。あの兄弟は三郎兄上に似ているのよ」


やっぱり。

夢の世界は繋がっている。答えを求める人の元へと辿り着く。心が開いていて必要がある人の元に。


でも、ヒメコは起き上がる直前、同時に見たもう一つの夢を思い出していた。


振り下ろされる銀色の刀身。

辺りは闇でゴオゴオと風が鳴りビチャビチャと水の音がする。それが血の音なのか雨の音なのかわからない。

そこでヒメコは目覚めたのだった。不思議と怖いとも困ったとも感じなかった。それは起こるべくして起こったのだと理解していた。

でもアサ姫のこの気配では、もう一つの夢はアサ姫の元に届いていない。

どうしよう?

言うべきか言わぬべきか。

僅か逡巡したヒメコの前でアサ姫が先に話し始めた。

「名を聞いた時点で気付くべきだったわ。祐の字は伊東の通字。工藤の血の流れている証なのに」

「工藤の血?では工藤祐経殿の屋敷に 火を点けたのはその兄弟で、身内での諍いが原因ということでしょうか」

アサ姫は悩ましげに、でも軽く頷いた。

「ええ、確証はないけれどね。伊東祐親殿はひどく疑り深くて、娘の結婚した相手が気に入らないとすぐに取り戻して再嫁させる人だったと聞いたわ。だから父の正室だった姫も」

言いかけて止まる。

その続きの、声ならぬ声をヒメコは聴いてしまった。

三郎宗時は北条時政の血を引いていない。だから時政は宗時に家督を譲るのを渋ったのだ。

アサ姫は少し黙った後に軽くため息をついて続けた。

「誰であっても、自分の血の流れている子の方が大切だし、その子に家を継いで貰いたいと思うものでしょう。しょんない」

しょんないと言いながら、でもその口ぶりには悲しみと怒りが含まれていた。

そう。子に罪はないなに、否応無しに争いに巻き込まれる。そして怨みが生まれる。その憎しみ恨みを晴らしては、別の憎しみ恨みが生まれて、またそれを解消しようと人は動く。その繰り返し。


ふと思う。ヒメコは江間のコシロ兄の正室になった。でもお腹の中の子が生まれて男児だったら金剛はどうなるのだろう?コシロ兄はどうするのだろう?自分は?

自分の血が流れている子の方を可愛く大切に思ってしまうのだろうか?


いつか、この子と金剛が争うのをコシロ兄とヒメコは見ることになるのだろうか?


お腹に手を当てながらヒメコは首を横に振った。

この子も金剛も、もちろんコシロ兄もとても大切な存在。彼らが相争うなんて、そんなことにさせるものか。

まだ男の子か、無事に産まれるかすらわからないのは重々承知しながら、ヒメコは願った。どうか皆が仲良く平穏に暮らせるようにと。


でも今はそんな先のことを考えている場合ではない。

夢はヒメコとアサ姫に北条三郎宗時のことを思い出させてくれた。石橋山の戦の前、梁から落ちてきたヤモリの時と同じ。

夢に見たということは、何かヒメコにも出来ることがあるということ。それを無視しては、この先ヒメコに天の声が聴こえることはなくなるだろう。例え既に巫女をやめ、人に嫁いで直に子が生まれる身であろうと、ヒメコは夢に、まして自分の心に背くのは嫌だと思った。

意を決して口を開く。

「凶事が起きます。備えをせねば」


その時、開いていた廊側から誰かが入って来た。

「へぇ、凶事? 誰の身に凶事が起きると言うのだ?」

揶揄するような響きを持った冷たい若い男の声。アサ姫が眉を顰める。


「万寿。立ち聞きなど立派な武人のすることではありません」

アサ姫の咎めに対し、万寿の君は口を歪めて薄く笑うとヒメコをジロリと見た。

「姫御前は巫女で、その予言は凶事ばかりと聞いた。どうだ?この狩で誰が死ぬのか言うてみよ。この私か?私には初めての狩。血迷うて大猪にでも殺られてしまうやも知れんな」

「万寿!何ということを口にするのです。言霊の力を知らぬのですか?慎みなさい」

その時、万寿の君の後ろから続いて入ってきた男が口を開いた。

「ならば、その女こそが慎むべき。これから若公が初めての狩にお出掛けにる殊に大切な時。そんな時に不吉なことを申すその女子こそ厳罰に処されるべきではありませぬか」

比企能員だった。

ヒメコは頭を下げた。

「申し訳ございません。回避する術を探ってから口にすべきでした」

すると万寿の君がヒメコの前にドスンと腰を下ろし、面白そうな顔をした。

「回避?そのようなことも出来るのか?」

「出来る場合と出来ぬ場合がございます」

「何だ、それは。随分といい加減だな」

「それが天命であれば回避出来ません。例えその場は逃げても、天災や人災により、人は定められた寿命で命尽きると祖母は言っておりました」

「ああ、あの瓜の婆あか。あやつは面白いヤツだった。まだ生きておるのか?」

ヒメコは頷いた。


その時、突然辺りが騒がしくなった。

「将軍家がお戻りです!」

「殿が?まぁ、連絡も寄こさずに。大変。皆、急いで支度をして頂戴。ヒメコはそのお腹だから部屋に戻っていなさい。また後でね」

「江間義時の子か?」

冷たい声に問われ、ヒメコは短く返事をすると急いで部屋を後にした。

「若公、我々も急いで準備を致しませんと」

比企能員の声がして足音高く去って行く二人の男の気配をヒメコはわけのわからぬ不安の中で感じた。









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