九 曽我兄弟

「付け火?御所にですか?」

思わず問うたヒメコにアサ姫は首を横に振り、

「工藤祐経殿の屋敷よ」

と答えた。

京に馴染みがあり、和歌や管弦に巧みな工藤祐経は頼朝の気に入りだった。静御前の舞や大姫の庭のお田植え祭りでも楽を受け持っていたからヒメコも顔はよく見知っていた。

「失火ではないのですか?」

「まだ新築したばかりで一月程しか経っておらず、祐経殿は将軍の狩の供をして留守だった。その誰もいない昼に丸ごと燃え尽くされたの。でも一軒丸々焼亡したのに他に類焼はなし。家人らは火を使ってなかったとのこと。祐経殿への嫌がらせ、恨みを持つ者の付け火と見ているわ」

「恨みを?」

「将軍家は京贔屓でこの所特に京との繋がりを重視していた。祐経殿の繁栄ぶりを気に食わない者は少なからず居たのではないかと」

「でも」

京との繋がりがあれば重宝されるのは仕方のないこと。恨みを抱くのはお門違いではないだろうか。

「例えば父とかね」

あ。

ヒメコは思い出した。平家が壇ノ浦に滅びた後、京にて朝廷との折衝に当たり、その信を得た北条時政。でも頼朝の意向で鎌倉に戻され、その後暫くパッとした役は得られずにいた。でも千幡君誕生後は、椀飯役や狩の宿所の手配など活躍の場を与えられていた。御台所の父、将軍の舅として面目は保っている筈。そんな今、火付けなど些細な鬱憤晴らしをする必要があるだろうか?

アサ姫は重い口調で続けた。

「ただね。その燃えおちた屋敷跡に一枚の金属板が落ちていて、それに『怨』の文字が刻み付けられていたの。あれよ」

アサ姫は少し離れた床に置かれた箱の中のそれを指差す。

部屋の中の空気の重さ、冷たさの原因がそれで分かった。ヒメコは近付けずに遠くからそれを眺めた。

「父ならこんな子どもじみたことはしない。今回は死人が出たわけではないのだけれど、気味が悪いからお祓いをして経をあげて貰ったわ」

それでもまだ残る気配の凶々しさにヒメコは息を詰める。

「父がね、新しい従者を連れて来たの。兄弟だと紹介されて顔を見たのだけれど、どこかで見たことがあるような気がするの。初めて会うまだ若い二人なのに。でもどこで見たのかが思い出せなくて気になるのよ」

「お名前は?」

「曽我祐信の子、曽我 十郎祐成、五郎時到」

時到?」

「ええ、父時政が烏帽子親になって

『時』の字を与えたらしいわ」

「そうなのですか」

答えながらもヒメコはどこかしっくり来ない。

「それで、私に相談したいこととは何でしょうか?」

アサ姫は口を引き結び、一つ深い息をした。

「これはただの勘なのだけれど、あの兄弟二人は将軍を怨んでいるのではないかしら?」




「将軍を?どうしてですか?」

驚くヒメコに、アサ姫は困った顔をした。

「だからそれが説明出来なくて私も困っているの。それで貴女の意見を聞きたくて」

ヒメコはそっと目を閉じた。アサ姫の気配を辿る。何に迷っているのか疑いを持っているのか。そう、アサ姫は心の中に何かを隠してる。本当は知っている何かを見ない振りしようとしている。無意識の内に。

でもそれを暴くのには抵抗を感じた。ヒメコは黙ったまま、ただアサ姫と呼吸を合わせた。

と、アサ姫が口を開いた。

小四郎は何か言ってなかった?」

「いえ、特には何も」

答えてからハッと思い出す。

「お父君の富士の宿所設営を手伝う為に江間に向かう前に、気になることがあるとは言ってました。でも問い返したら何でもないと言って、それきりです」

「そう。あの子は言わないと決めたら絶対言わないからね。では小四郎に聞いても無駄でしょう。でも有難う。もう少し考えてみるわ」

アサ姫はまた扇でハタハタと風を起こし始める。

「今日は御所にお泊まりなさい。貴女が使っていた部屋は今はたまに大姫が使っているけどそのままだから」

「でも今日は母と参りましたので」

「それなら任せておいて」

言ってアサ姫は侍女に何か耳打ちした。それから

「お母君は摂津局が引き受けてくれるから気にしなくて平気よ。また、比企のお屋敷にも使いを送ったから安心してお泊まりなさい」

そう笑った。

確かに摂津局に捕まったのなら母と言えど逃げられないだろう。ヒメコは姿勢を正すと承知いたしました、と頭を下げて部屋を辞した。


「姫御前、今日はこちらと聞いたからお邪魔するわよ」

言って入ってくる阿波局と八幡姫。その手には膳を持っている。

「まぁ、宜しいのですか?」

聞いたら二人が自信たっぷりに頷いた。

「御台さま直々の御命令よ。江間義時の北の方をもてなして、あのしんねりむっつりがどんな顔で新婚生活を送ってるのか聞き出して来いって」

ヒメコは噴き出した。それからアサ姫らしい心遣いに感謝する。

「それにしても、少し会わない内にすっかり女らしくなってしまって」

感慨深げに言う阿波局に、それはやはり太ったということだろうかと膳に伸ばしかけた手が止まる。

「本当、蕾が花開いたとはまさにって感じで、女の私から見ていても胸ときめくくらいよ。よくコシロ兄が外出を許したわね」

言って、阿波局はヒメコに擦り寄った。

「え、外出を許す?」

言われて、許しを得ずに外に出てしまったことに気付く。でも御台さまの御用だし、母も一緒だし平気な筈。


それよりもヒメコはアサ姫の様子が気にかかった。何かアサ姫の為に自分にも何か出来ることがあればいいのに。

でもアサ姫とコシロ兄は姉弟。こうと決めたら絶対に言わないのもそっくり同じだろう。だからヒメコは黙して祈りながら時を待つしかなかった。時機が来たら解決されるか話してくれると信じて。


その夜は久々に心ゆくまで女同士の話に花開かせ、気付いたら眠っていた。


その夜、ヒメコは夢を見ていた。

誰かの背中が見える。

渡しそびれた護り袋。それきり戻って来なかった人。声しか覚えてない人。

北条三郎宗時。コシロ兄の兄上。


ふと夜中に目を覚まし、ここはどこだろうかと辺りを探る。スースーと聞こえる穏やかな寝息。ああ、ここは北条館だ。佐殿のお相手の一の姫がどんな姫なのかを探るよう祖母に言われて武蔵の比企から伊豆北条までやって来たんだった。


ヒメコは遠い過去の自分に戻っていた。一の姫は龍の姫。このままでは佐殿が死んでしまう。祖母にそう話さないと。

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