八 珠玉
腹帯をグルグルと巻かれるが、まだお腹はそんなに出てないし、正直言って暑苦しい。でも従わないと泣いて喚くから面倒くさい。父が居る時は助けてくれるが、留守だと本当に手に負えない。
やっぱり江間に戻して貰おう。そう思った頃、御所から使いがやって来た。
と思ったら、水干姿の八幡姫だった。
「姫御前、お久しぶり。ご結婚とご懐妊おめでとう」
そう言って、大きな包みを前に出す。
「母上から祝いの品。産着よ。と言っても一番上の一枚以外は、私や三幡のお古だけどね。一番上の一枚は、母上がどうしても自分で縫うと言って、私も少しだけ手伝ったの。一部縫い目が荒いのは許してね」
そう言って片目を瞑って見せる。ヒメコは嬉しくて八幡姫の手を取った。
「お会い出来て嬉しゅうございます。その後お加減は宜しいのですね」
八幡姫はふふんと笑った。
「どうかしら。何か面倒そうなことがある時は仮病を使ってるけどね」
「まぁ、大姫様ったら」
ペロリと舌を出す八幡姫にヒメコは笑う。
「御台さまや皆さま方はお変わりありませんか?」
すると八幡姫はつと黙った。でもすぐに顔を上げる。
「千幡が産まれて父上も母上もすっかり骨抜きになってしまってて、私なんか居ないみたいだわ」
ぷぅと拗ねたような顔をする八幡姫。
ヒメコは八幡姫の手を自分の両手で包んで、いいえと首を横に振った。
「それでも姫さまが一番ですわ」
八幡姫がヒメコの顔を覗き込んだ。
「どうかなさいました?私の顔に何か付いてます?」
「いいえ。姫御前も母になるんだなって思って」
そう呟いた。それからそっと微笑む。
「静御前のことをちょっと思い出しただけなの。姫御前もあんな風に強くなるのね」
それから付け足す。
「ま、姫御前は元々強くて怪力だけどね」
ヒメコは苦笑した。
「そう言えば、今回の狩は那須に信濃に富士ですってね。幸氏と重隆も今回は弓持ちで参加するのですって。信濃も色々あったけれど、今は落ち着いて本当に良かったわ」
何気なくそう言う八幡姫の横顔は儚く美しくてヒメコは切なくなる。
「海野幸氏殿と望月重隆殿は弓の名人だと流鏑馬では常連の顔になりましたものね」
つとめて明るく言ったら八幡姫は首を横に振った。
「幸氏はまぁそうだけど、重隆はまだまだよ。神事の流鏑馬にはなかなか選ばれないってこの間も地団駄踏んでたもの。本番に弱いから、そりゃ父上も大切な時にはやっぱり幸氏に頼るわよね。鍛錬が足りないわ」
八幡姫の言い方が可笑しくてヒメコは笑った。不思議そうな顔をする八幡姫。
「姫さまはお二人の姉君のようですね。お年はお二人より下なのに」
すると八幡姫は横を向いた。
「だって彼らは義高様の従者ですもの。私はいつまで経っても、いいえ、きっと一生、護れなかった主人の許婚者なのよ」
ふと、その声の響きにヒメコは何かを感じたが、気付かぬ振りをした。
「ねぇ、それより体調が良い時に御所にいらっしゃいよ。もう動いても良いのでしょう?少し身体を動かさなければ太ってしまうわよ」
ヒメコは自分の両頬に手を当てた。
「あ、やはり太りました?母が食べろ食べろと煩くて困ってるのです。フジに相談したら、あまり子が大きくなり過ぎるとお産が大変になると言われてどうしたものかと」
「貴女が使っていたお部屋はまだそのままよ。私が確保して誰にも使わせてないの。たまに散歩がてら遊びに来て寛いで行きなさい。母上も貴女に聞きたいことがあるって言ってたわ」
「御台さまが私に聞きたいこと?何でしょうか?」
八幡姫は首を傾げた。
「分からないわ。でも何だか難しい顔をしていたから、体調の良い時に顔を出してあげて。阿波局も会いたがってたし」
そう言って八幡姫は帰って行った。
何だろう?難しい顔?
ふと、コシロ兄の顔色が優れなかったことを思い出す。
うん、明日にでも御所に上がろう。産着の御礼も直接申し上げたいし、アサ姫とはもう随分お会いしていない。
翌日、ヒメコは母を伴って御所へと上がった。一人で行くと言ったのに転んだらどうすると言って母が聞かなかったのだ。
思えば、コシロ兄と結婚した日に御所を下がったきりだったから、もう半年振りになる。アサ姫はその頃、千幡君の出産の為に名越の北条館に居たからもっと会ってないことになる。
「大変ご無沙汰をしておりまして申し訳ございません」
手をついて挨拶をしたらアサ姫が駆け寄ってヒメコの肩に手を置いた。
「ややこが出来たと聞いたわ。おめでとう。具合はどう?もう動いて平気なのね」
「はい。昨日は産着を沢山有難うございました。特に御台さまが準備して下さったという一枚。あんな美しい産着はこの子にはもったいのぅございます」
言ってお腹をさする。
アサ姫はふんわりと微笑んだ。
「産着は幾らあっても足りないくらいだし、本当はお古の方が柔らかくなっていて良いのだけれど、小四郎とヒメコの最初の子だから、初めての一枚は綺麗な物を贈りたかったのよ」
その時、戸の向こうから呼びかける声がした。アサ姫が応える。
入って来たのは阿波局だった。
「「お久しぶり!」」
声が揃う。
阿波局はその腕に赤子を抱いていた。その子をアサ姫に抱き渡す。
「ヒメコ、この子が千幡よ」
アサ姫が抱き直してヒメコにその顔を見せてくれる。
これは。
ヒメコは言葉を失った。
「玉のような」とよく赤子のことを評するけれど、この子は珠玉だ。首がしっかりと座り、興味深げに辺りを見回すその瞳ははきとした光を放ち、「仏さまのような」と冠したくなるくらいに崇高な気配を纏っていた。
八幡宮のお宮の安産岩を思い出す。雷様のような丈夫な子と仏様のような徳の高い子を授かると女衆は言っていた。強い万寿の君と清らな千幡君。アサ姫は見事にその両方を得たのだ。
自分もそれにあやかって帰りにお参りして行こう。
そう思った時、アサ姫が口を開いた。
「ヒメコ。実は少し相談に乗って欲しいことがあるの」
そう言って、アサ姫は阿波局に千幡君を渡すと、皆に下がるように声をかける。女房達はサッと下がり、ヒメコの母は摂津局に手を引かれて部屋を出て行った。
二人きりになった広い部屋。ヒメコはアサ姫の前へ進んで手をつき頭を下げる。と、アサ姫が気付いたように言った。
「ああ、ごめんなさいね。お腹が苦しくないように楽に座ってちょうだい」
ヒメコは軽く頭を下げると、ではお言葉に甘えて、と足を崩した。
でもアサ姫はそれから少しの間、何も言わずに扇で風を起こしていた。
何か迷いがあるのかもしれない。
部屋の中の空気は嫌に重くじっとりと粘っていて、居心地の悪さにヒメコは吐き気を催しかける。
なんだろう?
ヒメコは黙ったまま暫く待った。ややして、アサ姫が扇をパチンと閉じた。
「付け火があったの」
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