十四 二人の若公

金剛は鋭い目でヒメコを見上げて言った。

「いいよ、わかってる。でも今は入らないで。まだ母上の部屋には誰も入らないで欲しい。帰って」

ヒメコは黙って下がった。戸口を出た所でフジが追いかけてくる。

「申し訳ありません。私がうっかり口にしてしまったのです。そうなるかもしれませんよ、と。そうなるといいなと思っておりましたので、つい。すぐというお話でないことはお伝えしたのですが」

ヒメコは首を横に振るとフジに布を渡した。

「濃い青の一反は金剛君のもの。背がお伸びになったでしょうからと御台さまからです。また青緑は海野殿へと大姫様からです。流鏑馬用に仕立てて下さいませんか?」

言って、邸を辞す。御所に向かって歩き出した所で足が止まった。

コシロ兄がこちらに向かって歩いて来ていた。

ヒメコは頭を下げて口を開いた。

「御文有難う御座いました。上洛のご準備が大変と聞いております。どうぞご無理なさいませんよう。私はここにてお待ちしております」

そこで一呼吸置く。

「だから、コシロ兄もどうかお待ちください」

コシロ兄が不思議そうな顔をしてヒメコを見る。ヒメコは微笑んでもう一度頭を下げた。

「どうかご無事でお戻りください」


京は遠い。でも今はそれ以上に金剛の心が遠い。

ヒメコは待とうと思った。コシロ兄にも待って貰おうと思っていた。金剛の心が安らぐのを。例えどれだけかかっても。


やがて、流鏑馬が行われる。そこで幸氏は八幡姫に下された布で仕立てられた狩装束で見事皆中の腕前を見せた。

ヒメコはその姿を桟敷の頼朝の脇に席を設けられた八幡姫のすぐ後ろで見ていた。だが、ふと何かの気を感じて目を下ろす。人波の中に金剛がいた。金剛は頼朝を見ていた。ヒメコは静かに部屋を出て袿を脱ぐと湯巻きを付けて外へと出た。


金剛は庭の隅、木立の陰からそっと頼朝の様子を窺っていた。その頼朝が立ち上がる。歩いて行って縁の端に立つ。と、先程流鏑馬が行われた場がサッサッと掃き清められ始めた。次の流鏑馬だろうか?

だが現れたのは万寿の君だった。何人かの御家人が付き従い、馬を引いて走り出しの位置へと向かう。

先程の流鏑馬より少し近い距離に的が三つ程並べられ、万寿の君は颯爽と馬を走らせ、それらを全て射た。歓声が沸き起こる。

「流石は源氏の嫡流。初めての小笠懸で皆中なさるとは。その武は天より授かったもの。これで鎌倉は末長く安泰でございますな」

誉めそやす御家人ら。頼朝はそれらの言葉を満足気に聞きながら万寿の君に頷いて見せた。

「うむ、見事だった。師に倣ってもっと腕を磨け。その内に狩を行なう。楽しみにしているぞ」

言って、万寿の君に従っていた御家人らに酒を振る舞った。内の一人は剣を賜っていた。

「我が子の師として、これからも頼むぞ」

剣を掲げ持ち、得意気な御家人と、それを羨ましそうに眺めながら拍手で送る御家人ら。それらの姿を見ていた金剛がサッと身を翻して生垣の中に入って行く。ヒメコは金剛を追って生垣の中に分け入った。

逃げようとする金剛の腕を掴んで引き寄せる。金剛は震えていた。

「あの子は誰?佐殿の何?」

ヒメコは金剛を抱きしめた。

「あの男児は万寿の君。佐殿のご嫡男で、この鎌倉御所の後継者です」

ドンと突き飛ばされる。

「じゃあ、金剛は?佐殿は金剛の父上ではないの?」

ヒメコを突き飛ばして生垣の隙間から外へと逃げようとする金剛の足首を掴んで引っ張り戻す。蹴られ、また逃げようとするのを必死で食い止める。

「佐殿は確かに貴方のお父君。でも貴方は江間義時殿のお子です。御所様の子として名乗りを上げることは生涯けして叶いません」

「どうして?何で?母上が亡くなった時は一緒に居てくれたのに」

ジタバタする金剛に、シッと指を突き付け、ヒメコは立ち上がった。

「由比ヶ浜へ行きなさい。来た通りにここを抜け出して。私は門から出ます。見つからないように気を付けるのですよ」

問答無用に言い置いてヒメコは庭を抜けて門へと向かう。

由比ヶ浜へ着けば金剛が駆け寄って来た。ヒメコは先ずその髪や着物に付いた葉を払ってやった。

「あんな抜け道、よく見つけたこと。犬や猫でなければ通れますまいに」

「前に五郎君に教えて貰った」

「そうだったのね」

ヒメコは浜へと下りる段に腰を下ろした。

「私の知ってる限りのことはお話し出来ます。何がお知りになりたいですか?」

金剛は恨みの篭った目でヒメコを見て固く口を結んだ。ヒメコは遠浅の砂浜に打ち寄せる静かな波を少し眺めた後に口を開いた。

「では、まず先程問われたことに答えます。貴方は確かに、お母君が『佐殿』とお呼びになっていた方の男児ですが、『佐殿』とは昔の呼び名で、今、かの方はここ鎌倉にて御家人の総大将として『御所様』と呼ばれています。貴方がその御所様のお子であることを世間に公表することは叶いません。貴方は江間義時殿の嫡男なのですから」

「私は佐殿に捨てられたということ?」

「お母君と、佐殿について何かお話になったことはありますか?」

「私の本当の父は佐殿ではないのかと尋ねたら、あなたの父は江間義時殿です、と言われた」

ヒメコは頷いた。

「その通りです」

「でも、父上は母上を飾り物の人形のように扱ってた。母上はいつも申し訳なげに頭を下げるばかりで会話なんか殆どなかった。町で見かける子らの両親と全然違う。でも母上は佐殿が来た時だけは笑顔で幸せそうだった。会話もあったかかった。だから母上は佐殿が好きなのだとわかった」

「佐殿がいらしたその場にお父君はいらっしゃいました?」

金剛は首を横に振った。

「恐らく、江間様は八重様をお預かりしている立場で接してらしたのだと思います。大切な主君の大切な方としてお守りされていた」

「どうして佐殿は母上をお側に置いて下さらなかったの?本当に大切なら妻にする筈じゃない」

「金剛君には兄上がおいででした」

「さっきの万寿の君のこと?」

ヒメコは首を横に振った。

「いいえ。八重様がお産みになった佐殿の初めてのお子です。ですが、その子が三つの時に八重様のお父君の伊東祐親殿が水に沈めて殺してしまいました。

「母上の父上って、お祖父様が兄上を殺したってこと?」

「はい、また伊東祐親殿は佐殿をも殺そうとなさいました」

「どうして!」

「佐殿は先の戦で負けた為に罪人として伊豆にいたからです。その頃は平家が都で大きな力を持っていたので、それを恐れた伊東殿は八重様と佐殿との間に生まれた子を殺した後、佐殿をも殺そうとした。それをお助けしたのが万寿の君のお母君の一族、北条氏でした。江間義時殿のご実家です。八重様はお子を殺された後、暫く寺に押し込められていましたが、やがて江間へと再嫁させられました。その後、北条殿は佐殿を支え、佐殿は見事平家を討ち滅ぼして鎌倉に入られました。その後、万寿の君が生まれた際に佐殿は伊東祐親殿の罪を赦そうとされましたが、祐親殿は平家に味方したまま自死されました。その為、八重様は罪人の子として肩身の狭い思いをされつつ、たまに人目を忍んで訪れる佐殿を待つ暮らしをなさっておいでだったのです」

「でも、私は佐殿の子なのでしょう?なのに何故それを言ってはいけないの?」

「万寿の君がいらっしゃるからです。万寿の君のお母君、御所様の正室であられる御台さまは、北条殿の一の姫。八重様の姪に当たられます。また江間義時殿の姉君。貴方の事は無論ご存知です。だから着物用の布など、入り用な物を用立てて下さっています。でも、御所様のお子であることは御所様も御台さまもお認めにならないでしょう。嫡男として御所様の跡を継ぐのは万寿の君だからです。江間様という御所様の側近の嫡男が、実は御所様の子であったと知れたら鎌倉が荒れる。若君が二人居ては後の諍いの種になるからです。だから御所様の他のお子らは皆、出家して僧になる予定です。金剛君も僧になられますか?」

意地悪な質問だとわかりながらヒメコは敢えてそう問うた。果たして金剛はボロボロと涙を零してヒメコを叩いてきた。

「なるものか!僧になど決してならない。母上と約束したんだ。立派な武士になって鎌倉を守るって!」

叫んでヒメコをポカポカ殴ってくる。それをヒメコは為すがままにして受け止めた。

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