十三 女の道
ああ、あんたが女として生まれてこの世にある意味。もしくは突き進むべき道や」
「はぁ」
よくわからないままに、その言葉の響きに心惹かれて頷く。
と、摂津局はパンと手を叩いて首を横に振った。
ああ、そやなかったな。破瓜や。痛いんと楽しいんが一緒なのは変つう話やったわ。ごめんな」
「あ、はい」
痛いはな、痒いやこしょばい、熱い冷たいの仲間で、肌が感じるもんや。破瓜が痛いんは、自分の中に違うもん、相容れんもんが入ってくんのを阻む為に築かれとる頑丈な砦が無理にぶち壊されるから心身が衝撃を受けんねん。やから自分に受け入れる準備が整ってる、もしくは相手が砦を優しゅう切り崩してくれる場合には痛ない。でもって、肌が触れ合うを互いが心地良く楽しく感じられた時に男女の調和は成り立つ。そゆことや」
「へぇ」
そう言われたら、何となく調和という言葉は理解出来るような気がしてくる。
「ま、男と女はそんなもんなんやと思うねんけどな。妻となるとまた大変やねん。妻としていっちゃん大事なことは、子が出来ても夫をお日様と仰ぐんを忘れんようにすることや」
「お日様?」
「せや。女はどないしたって子が産まれると子が一番になる。夫は勝手言うわすぐ機嫌が悪なったり調子乗ったり色々めんどい。子ぉは血が繋がっとるし何考えてるかわかるけど、夫は元々が赤の他人やしな。よぅわからんし、たまに共におるんがしんどい時もある。でも、そゆ時は曇りや思うて我慢するしかない。その内に雲が行ってまえばまたお日さまが輝く。それを待つんや。調子良い時は頼りになるしな。やっぱり居らんとあかんねん。
やから房中術が大切なんや。女の一番は、家を守り、子を護り育てること。その土台たる夫と調和を取れて初めて家はしっかりと固まる。家が固まればその土地が固まり、世の中も治っていく。つまり、この世の初めにあるんが女が守る小さな家っつうことや。ええか?くれぐれも房中術を舐めたり目ぇ背けたりしたらあかんで!わかったな?」
「はぁ」
勢いに押されて頷いたものの、正直なところまたよくわからなくなった。大きな世の中の話なのか小さな家の話なのか、どちらだったんだろう?あちこちに飛んで行っては戻る話に、どこに行き着いて良いかわからないまま放っておかれた気分だった。ただ絵を見た時の印象が強過ぎて胸がモヤモヤとする。結局、女とは妻とは何でも受け入れろということなのだろうか?でも自分の芯はしっかりと持っとかんとあかんとも言ってた。どういうことだろうか?
何にせよ、取り敢えず冊子は一応見た。早く返してしまおう。
「あの、有難う御座いました。こちらはどちらにお戻ししたらいいでしょうか?」
尋ねるも、摂津局は白湯を水差から茶碗にジャッジャッと注ぎ、何杯かを一気に喉に流し込むとバッと立ち上がった。
「あかん!今夜はうちん人が酒呑む日ぃやった。ほな、気張りや!それらはまた明日返してな。次の子に見せたらんとあかんねん!」
言って、ドタドタと廊を駆けて行ってしまった。ミシミシと木が鳴る。
「え、え、あの!」
慌てて声をかけるも置いて行かれてしまう。
薄暗くなった部屋に残された冊子の開かれた絵にチラと目を落とす。
やっぱり虫みたい。
気分がまた悪くなり、慌てて冊子を閉じる。
どうしてこんなのが調和なのか。
わからない。わからないけれど、一つだけわかるのはヒメコはまだまだだということ。
女の道って険しいのね」
その夜、ヒメコは眠れずにまんじりと過ごし、気付いたら朝になっていた。でも身体が動かせず起き上がれない。高熱が出ていた。それから丸一日寝込んでやっと熱が下がる。冊子は摂津局が取りに来てくれたらしく消えていた。部屋を眺め渡し胸を撫で下ろす。
汗をかいた着物を着替えて手足を清めてやっと人心地がついた。
「あら、姫御前、熱を出したって聞いたけどもう起き上がって平気なの?」
振り返れば阿波局が立っていた。
その顔を見るのは久しぶりの気がして心底ホッとする。
「私が居ない間、何だか大変だったそうね。摂津局に捕まって知恵熱出したとか」
「知恵熱?」
「うん、姫御前には刺激が強過ぎたって、やっぱり巫女ねぇと皆が感心してたわよ」
おヒメコは阿波局に抱き着いた。
「やだ、どうしたの?そんなに辛かったのね」
阿波局はそう言って、よしよしとヒメコの頭を撫でてくれる。
でも、ふと阿波局の顔色があまり優れないように見えて慌てて身体を離す。
「どこか具合がお悪いの?」
問うたら阿波局は、ええと軽く頷いた。
「悪阻かと思ったんだけど、どうやら流れてしまったようで。少し臥せってたのよ」
驚いて阿波局の顔を見上げる。
「殿には既に三人の男児が居るんだけどね。やっぱり自分でも産みたいじゃない。だから今度こそと思ったんだけど駄目だったみたい。残念。でもまた頑張るわ。で、御所に戻ってきたら姫御前が摂津局から例のモノを見せられて熱を出したって聞いてね。早速私も見せて貰おうと思って。今度こそ子を授かって見せるわ」
元気そうに笑顔で言いつつ、その面影は少しやつれていた。以前にはなかった僅かな陰が、でも阿波局を儚く美しく彩っていた。
「あの、八幡宮に詣でませんか?きっと御利益がありますから」
言って、阿波局の手を握る。阿波局は、そうねと答えてくれた。
「貴女もいっしょに子宝祈願しましょ」
「いえ、私はまだ未婚ですのでその祈願はまたいずれ」
言ったら阿波局は笑った。
「何よ、小四郎兄と約束はしてるんでしょ?ならいいじゃない」
そう言われても、昨日あれを見た後だしどうしても戸惑う。
あの、コシロ兄は名越にいらっしゃるのですか?最近お会い出来てなくて」
尋ねたら、阿波局は首を傾げた。
「私も名越には行ってないからわからないわ。でもうちの殿の話だと、随行する御家人衆は皆、上洛の準備にてんやわんやみたいよ。父と五郎は鎌倉に何かあった時の場合に備えて伊豆で待機らしいけど小四郎兄は家の子筆頭だからずっと御所様の側に付き添う筈。準備が大変と思うわ。伊豆の江間から鎌倉に何人か呼び寄せたとは聞いてるけど、鎌倉の江間邸には行ってないの?」
「後で行ってみます」
ヒメコはそう答えると阿波局の手を引いて八幡宮へと向かった。
「池の中央、橋を渡ってお祀りされている弁財天へと向かう。
「へぇ、ここのお社には初めて来たわ」
ヒメコは微笑んで頷くと阿波局の着物の裾を軽く払ってから手を合わせた。
どうか皆が心安らかに過ごせますよう。彼女の願いが叶いますよう。
阿波局はそれから暫く静かに手を合わせていた。ヒメコはそっとその場を去ると大姫の部屋へと向かった。
「あら、姫御前。もう平気なの?熱を出したって聞いたけど」
「はい、暫くお目にかかれず申し訳ございませんでした」
と、ニヤッと八幡姫が笑った。
「姫御前は摂津局にしごかれてるって聞いてたから平気よ。災難だったわね。あの人、面白いんだけれど声が大きくて話が長いんですもの。耳が疲れちゃう」
「あ、ええ。でも色々と学ばさせていただきました」
そう答えたら八幡姫はふぅんと言って近くにあった布を二反手に取った。
「体調が戻ってからでいいのだけど、これを金剛と幸氏に。金剛のは濃い青の方ね。母上からよ。背が伸びたでしょうと。幸氏のは青緑の。今度また流鏑馬に出るらしいのだけれど、いつも地味な格好してるから、たまにはこういうのもいいと思って母上に布をいただいたの」
幸氏用の一反は目に鮮やかな水浅葱色の淡い青緑だった。確かに海野幸氏はいつも鼠がかった地味な色の直垂が多かった。
「コシロ叔父様が地味だからその影響じゃないかしら。昔はもっと明るい色を着てたのに」
昔とは義高の供として小御所に居た時のことだろう。ヒメコは布を大切に包むと小御所を出た。
江間の屋敷の戸を叩く。顔を出したのはフジだった。
「まぁ、ヒメコ様。久しくおいでにならなかったので心配しておりましたのよ」
ヒメコは頭を下げる。八重姫の弔いに訪れて以降、顔を出しにくくて中まで上がっていなかった。
「姫御前」
呼ばれて顔を上げる。
金剛君だった。
「何しに来たの?」
冷たい声に胸を衝かれる。
「金剛君、ヒメコ様は」
「わかってるよ。父上の正室になるんだろ?」
目が尖っている。ヒメコは息を呑んだ。
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