十二 妻の心得
「防虫術?はい、しっかり覚えます」
着物を守る為だろうか?
「いや、摂津局のこと。食べ物だろう。目を背けたくなる程気味の悪い虫の絵でも描いてあるのかもしれない。
「あの、誰か一緒に見て貰ったらあかんのですか?」
言ってから、ハッと口を抑える。
「えと、あかんでなくて、いけないのですか?」
「一人で見るんが怖いんか?」
「え、ええ。はい」
素直に頷いたら、摂津局は立ち上がった。
「ほな、あんたの部屋に行きましょ。一緒に見たるわ」
ホッとして包みを胸に抱いて歩いて行く。途中、数人の女官とすれ違う。ヒメコが抱えている布を見て、何故か皆ヒソヒソと肘を付き合い笑い合って駆けていく。
「あんたら、廊は駆けたらあかん。木ぃが傷む言うてるやろ。それより早よ夕餉の膳を下げぇや。遅ぅなったら灯りつけんとあかんくなる。油が勿体無いわ」
女官達は軽やかに返事をしながら去って行ったが、もう一度振り返ってヒメコを見ると笑い声をあげた。
私、どこか変なのかしら?顔や髪を撫でてみる。ドンと後ろから摂津局が押してきた。
「ほれ、早よ入り。まだ灯り点けんでも何とか見れる。さっさと見てまお」
摂津局に急かされて慌てて部屋に入り、戸を閉める。
薄暗くはなっていたけれど確かにまだ一応何が描いてあるかは見える。でも。
「うっ」
見た瞬間、ヒメコは気分が悪くなった。
「ああ。あんた、やっぱりこゆうの見んの初めてか」
そこに描かれていたのは裸の男女の絵。最初の数枚はまだ良かったが、中に人と思えないような体勢のものもあってヒメコは青くなった。
虫の絵の方が良かった。
そう思う。
気持ちが悪くなってそっと横を向いたら摂津局に叱られた。
「目ぇ背けるな言うたの忘れたんか?」
「わ、忘れてはいませんが、ちょっと卑猥が過ぎて気分が悪くなりまして。今日はご勘弁願えませんか?」
本当に吐きそうになり、袖で口元を押さえながらそう願う。だが摂津局は一喝した。
「卑猥やない!房中術は養生術や。夫を健康に長生きさせ、立派な子を授かる為に必要不可欠な陰陽の智慧や!これを会得せずに嫁入りするなんて、あんた、夫を早逝させたいんか?子が欲しくないんか?これを会得すりゃあ、夫は無駄な気を流すことなく、長生きしてこの世を調和に導く為のお働きに集中出来るんやで」
「調和?」
「そや。陰陽は男女。神話にも言うやん。足りぬものを余るもので埋めてやれと。あれや」
「イザナギノミコトとイザナミノミコトの神話だ。それはわかるけれど。
ヒメコはため息をつく。
「それと調和とこれらの絵にどんな関係が?」
「男女の和合は双方が同じだけの気を練らねば陰陽の釣り合いが取れない。だが男は時に衝動に走りやすく快楽に溺れがち。やから女の方にそれを巧みに操りつつ、自らも楽しむ度量の大きさあって初めて房中術は成立するんや」
「はぁ」
さっき皆が笑い合って去って行った理由がやっとわかる。皆、これが何かを知ってたのだ。
でも。
「破瓜は痛いと聞いたのに楽しいって変やん」
口にしてからハッと口を抑える。
「あ、御免なさい。変やん、でなくて、変じゃないですか」
言ったら、摂津局が顔を上げた。
「変やん、でええのに、何で言い換えるん?何か言われたんか?」
ヒメコは俯いた。
「いえ、そんなことは。あの、やんって言ってしまったのは、からかってるとかふざけたわけではなくて、つい移ってしまったんです。だからお気を悪くなさらないでください。以後気を付けます」
頭を下げる。摂津局はふぅんと目を細めた。
「別にええんに。あんたは良くも悪くも水のような人なんやろな」
「水?」
「形を変えるのを厭わない柔順さがあるんはええことや。だが悪くいうと人の影響を受けやすい。自分の芯はビシッと持っとかんとあかんよ。水は染まると同時に流すんも得意な筈や。大事なもん以外はしれっと流して逞しゅう生きるんがあんたの女の道かもしれんな」
「女の道?」
繰り返したら摂津局は大きく頷いた。
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