十 局
「あの、ハカって何かご存知でしょうか?痛いらしいと聞いたのですけど、どんな痛みなのかわからなくて」
誰かに教えて貰おうと、下げられた菓子を盆に乗せ、控えの間でそう問うたヒメコは一瞬その場をしんと静まり返らせた。
それからドッと上がる笑い声。目を瞬かせるヒメコに年配の一人の局が近付いてきて隣に腰を下ろし、ヒメコの手を引いてその場に腰を下ろさせた。
「姫御前、知らぬことを人に尋ねるは良いことなれど、場と相手をお考えなさい。破瓜とは男女の営みが初めての場合の女に起こること」
「え!」
ヒメコは驚いて手にしていた盆を取り落としてしまった。菓子がバラバラとその場にばら撒かれる。局は零れ落ちた菓子を丁寧に盆に拾い集めながら続ける。
「破瓜の痛みは人それぞれ。月の障りの寡多がそれぞれ違うんと同じ。ただ言えるんは、その行為が誤ちや災難でないなら、破瓜の痛みなぞ笑うてまうくらい軽いことや。幸せな心持ちで臨むならばそないおとろしことありまへん。出産も同じ。子に逢える思うたら、痛みなどどこぞへ飛んでってまう。やなかったら二人も三人も産めますかいな。なぁ?」
「え、あ、はぁ」
よくわからないままに局の勢いにつられて相槌を打つ。この局とは顔は何度か合わせていたが、殆ど言葉を交わした事がなかったのでどう対応していいのかわからない。と、他の女房が口を挟んだ。
「確かにねぇ。一人産んだ時にはもう二度と御免と思ったのに気付けばもう一人、二人と欲しくなるものですものねぇ」
「まこと、子は宝。夫はどうでも諦めがつくけど子ばかりは可愛くてねぇ」
気付けば、部屋に残っていたのは年配の女房たちばかりだった。若い女官達はいつの間にか逃げたらしい。どうしよう?自分も逃げるべきか。そう思えど、局は目を輝かせて膝を詰めてくる。
「姫御前は巫女やから結婚なさらぬものかと勝手に思うとりましたが、そんな心配をなさるようになったとはねぇ。へぇ、そういうことですか。そりゃ宜しかった。そろそろ巫女も上がり時なんやねぇ。そういうことやろ?な?」
あ、はい、もう少ししましたら恐らく」
局の勢いに呑まれて、ついそう答えてしまったヒメコに、その年配の局は軽く何度か頷いて見せるとニッと口の端を上げて言った。
「巫女様には指導など到底出来ぬ私でしたが、妻や母としての心得なら先輩として多少はご指導出来ましょう」
「え、ご指導?」
繰り返したヒメコに局は目を細めると大きく頷いた。
「ええ。私は中原広元の妻。ここでは摂津局と呼ばれております。子も成長して暇なので御所で女官指導などしとります。ま、小煩い姑みたいなもんですわ」
「はぁ」
「妾は別として、正室として結婚するんなら、縁組は結局は家同士のこととなります。で、漏れなく付いてくるんが家人や親族。お人にもよりますが、舅、姑というもんはなかなかに手強いもの。御所勤めをしていたなどというと舐められてネチネチ虐められたりもします。それをバァンと跳ね返し、明るく強く逞しく生き抜く女を作るのが私のここでの務め。私はそう勝手に決めましてん。夫はどうせ忙しゅうて滅多に帰って来ぉへんし、これ幸いと、何ぞ私にも出来ることおまへんかと御台様に直談判してみましたら、女官頭のお役目を賜り、おかげで十も二十も若返りましたわ。ほんま、生き甲斐があるってええなぁ」
言って摂津局はカラカラと笑った。
よく喋る人だ。その声も大きく迫力があって、まるで立て板に水。息継ぎすら勿体無いかのように押し寄せる言葉に相槌を打つ間もない。そうして息つく間もない程に喋り倒しながらも、先程ヒメコが持ったきた菓子を摘んでは口に放り込み、ポリポリ音を立てて食べつつ喋り続ける。ヒメコは摂津局のよく動く口と目と手と肩とに見入っていた。京の言葉とはまた少し違って、早くてよくわからない所もあるけれど、でも楽しそう。気付くとヒメコも楽しくなって笑っていた。
彼女が摂津局という女房名だったことも中原弟の妻ということも知らなかった。あの寡黙な広元とどんな会話をしてるのだろうかと想像してしまう。きっと彼女が喋り倒して広元は黙って聞いているだけなのだろう。でもそれで上手くいってるのだ。そう言えば前に阿波局が言っていた。夫婦は性質が違う方が上手くいくと。コシロ兄は寡黙でいつも冷静だ。ならば自分は賑やかでもいいのかもしれない。いい加減呆れられないようにと、近頃は大人びた振る舞いを心掛けていたけれど、もっと自分らしく生きてもいいのかもしれない。そう、コシロ兄は呆れながらも「しょんない」と許してくれていたのだから。
そうしてコシロ兄のことを思い出した途端、コシロ兄に会いたくなった。上洛してしまう前にやっぱりもう一度会いたい。文のお礼と、待ってますの一言を伝えなくては。
だが、立ち上がりかけたヒメコの手がグイと掴まれ、また座らせられる。
「というわけでね!貴女様がどちらの北の方におなりかは存じ上げませんがね。私の務めはここに勤める全ての女官達が、流石は鎌倉御所の女房よと敬われ大切にされる立派な女に仕上げること。よって、これより姫御前殿は常に私の側に付いて嫁としての務め、母としての役割、舅姑、小姑への対応法と家内のやりくり、その他よろずあれこれをその身体に叩き込まれませ」
「え?叩き込む?」
摂津局は大きく頷いて自らの胸をドンと叩いた。
「ああ。女の道を仔細に渡ってみっちり仕込んだるよって安心しぃ。結婚後の夫婦生活も安泰。子宝に恵まれ、お家もうんと繁盛。あんたさんはそんだけの美貌に恵まれてんのや。女の幸せ全て掴んで夫の運気上げて、流石は権威無双の姫御前と後世に名の残る一生を送らにゃあかんで!」
両手をガシッと掴まれ、力説される。
いいえ結構です、と首も振れず、ただただその大きな口を見返すヒメコに、摂津局はやっとヒメコの手を放し、つと黙った。それから突然両掌を合わせて拝む仕草をする。
「でね。その代わりっちゃなんなんやけど、うちん人の厄災除けと家内安全、子の立身出世の呪いしたってや!な?ええやろ?」
「はぁ」
ヒメコは狐につままれたような心地で立ち上がった。
「お、ありがとぉ。ほな、明日から宜しくな」
ブンブンと元気に手を振られ、会釈を返して部屋を出る。
え、明日から?
いきなりの口撃に曝されて何が何だか分からない内に、ヒメコは翌日から摂津局の側につくことになっていた。
うっかり変なことを聞いたばっかりに。そう悔いるが、またも遅い。
「とにかく、今日コシロ兄に会わなきゃ!」
ヒメコは慌てて笠を被ると外へ飛び出した。
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