六 思いがけぬ縁談話


ヒメコは困った。どうしてそんな噂が流れてるのか。江間屋敷にも何だか行きにくい。でもアサ姫から頼まれていた用事がある。八重様と金剛君の様子も見に行かないと。

ヒメコは頰を叩いて自分を奮起させるとアサ姫から預かっていた布を包んで江間屋敷へと向かった。

「これは姫御前様。久方ぶりですな」

藤五に迎えられる。


江間屋敷では、海野幸氏らが手前の部屋にて寛いで座っていた。その膝の上には金剛が乗って遊んで貰っている。ヒメコが驚いて藤五を見上げたら、藤五が笑顔で教えてくれた。

「信濃の辺りも大分落ち着いて来たとのことで、彼らは近々、御家人として正式に召し抱えられることになりそうです」

「まぁ、本当に?良かった」

「今は金剛君の護衛兼教育係をして貰っています」

「それは誠に御目出度う御座います。姫さまがさぞお喜びになりましょう」

一声かければ良かったと後悔した時、幸氏が言った。

「御台さまと江間殿が何度も御所様にかけあってくださったとか。そう言えば、今度姫さまは病調伏の為に十四日間のお籠りをなさると聞きましたが、どこかお悪いのでしょうか?」

「え?お籠り?」

驚いて繰り返したら、逆に驚かれた。

「先程、姫さまがいらして、そうお話しになってましたが」

「姫がここに?」

「はい」

「お一人で?」

「いえ、五郎君がご一緒でした」

そう、と答えてヒメコは八幡姫のことを思った。具合がいいかと問われれば素直にいいとは言えないが、八幡姫自身はそれを認めようとしない。

なのにわざわざそう言ったということは、病調伏は恐らく頼朝に対しての言い訳で、本当は何か別の用事なのではないだろうか。

八幡姫はずっと一人で戦っている。義高を守れなかった自分を責めながらずっと一人で。乳母とは言えヒメコは八幡姫にとって心許せる相手ではないのだろう。義高への想いを共有出来るのは、この二人だけ。

微かに寂しい気持ちを抱きつつ、ヒメコは幸氏と重隆に向かって頭を下げた。

「海野様、望月様、御家人になられましても、どうか姫さまと親しくお付き合い下さいませ。姫さまをお支え下さいませ」

二人は戸惑った顔をしつつも頷いてくれた。ヒメコは立ち上がる。金剛が駆けてきてヒメコの足下に纏わりついた。その愛らしい様子に心が和む。金剛を抱き上げたら、ずっしりと重くなっていた。さすが仁王様に護られている子。成長が早い。藤五の妻のフジに向かった。

「おかげで金剛君はすくすくお育ちですね。有難うございます。お方様もお変わりありませんか?」

と、フジは顔を曇らせた。

「それが、少し前に体調を崩されてから、あまり物をお召し上がりにならず、床に伏しておられるのです」

言って、奥の部屋を気遣わしげに眺める。

「ここの所、急に暑くなりましたしね。何か喉越しの良さそうな物を手に入れてお持ちしますね。では今日はご挨拶せず失礼します」

そう言って包みを前に差し出した。

「これは御台さまからお預かりしたものです。金剛君が満二歳になりますので新しい着物を仕立てて下さいませ」

その時、戸口の所で気配がした。コシロ兄だった。ヒメコは慌てて手をついて挨拶をする。コシロ兄もそっと頭を下げた。

「では、私はこちらで」

言って江間屋敷を出る。御所へと足を向けたら

「もういいのか」

低い声に問われた。

「あ、はい。金剛君へ着物用の布をお届けに来ただけですので」

答えたら、いや、とコシロ兄は首を横に振った。

「神事の後に倒れたと聞いた」

先の問いは自分の身体のことかと驚きつつ頷く。

「はい。もう元気です」

「神事で何があった?」

それがよく覚えてなくて」

そう答えた途端、コシロ兄が何か言いたげな顔をしたので頭を下げる。

「ごめんなさい」

「何故謝る」

「え、なんとなく」

「怒られるような事をしたのか?」

「いえ、そういうわけではありませんが、いつも怒られることをしてしまうので、つい反射で」

答えたら、コシロ兄は困ったような顔をして目を逸らした。

「怒ってはいない」

ヒメコはホッとして御所に向かって歩き出した。八幡姫のお籠りのことを確かめなくては。だが、コシロ兄が隣に並んで口を開いた。

和田殿のことを聞いた」

「え、あ、それはあの」

しどろもどろになってしまう。コシロ兄はそんなヒメコを暫く見た後に

「嫁ぐのか?」

そう聞いてきた。

「と、とんでもない!嫁ぎません!」

手を振って否定したら、コシロ兄は、そうかと答えて行ってしまった。



御所に戻れば、阿波局が待ち受けていた。

「どうだった?小四郎兄と会ったんでしょ?」

問われて先の経緯を話す。と、阿波局は

え、それだけ?」

素っ頓狂な声を出した。はいと頷けば、阿波局はハァとため息をついた。

「小四郎兄の意気地なし。本当にしんねりむっつりなんだから。折角機会を作ってあげたのに何をやってるんだか!」

「機会?」

「二人で話す機会よ。和田殿のこと気にしてたから直接聞くように言ったの。大姉上から布を預かったの見てたから今日行くだろうと思って」

「はぁ」

感心しながらヒメコは挨拶を打ったが、ふと疑問に思って聞いてみる。

「阿波局様は何故そんなに私とコシロ兄のことを気になさるの?」

「小四郎兄はあの通りしんねりむっつりでしょ。いつも難しい顔して考え込んでばかりで、なかなか動かないから姫御前みたいに突発的に動いてしまう人が相手の方がいいと思ってね」

「突発的」

「そう。考えなしで動いてるでしょ」

「はぁ」

ヒメコは素直に頷いた。確かにそうだ。何も言い返せない。

「私ね、夫婦は正反対の方が絶対上手くいくと思うのよ。ほら、私はお喋りでしょ?うちの殿は逆に寡黙なんだけど、不言実行で、やる時はやるのよ。そういう所が素敵だなぁと惚れるんだけど。でね、殿は私があれこれ喋っていると落ち着くって言うのよ。自分が喋らなくていいから楽なんですって」

「はぁ」


結局、阿波局の惚気話を散々聞かされただけだったが、けしかけられたとはいえ、コシロ兄が自分のことを気にかけてくれていたのは事実なのだろう。それだけで嬉しいと思う。

でも困った顔をしていた。それが気になる。



「私、あなたの妻になる。あなたの妻にしてください!」

幼い頃に放ってしまった言葉。それから暫くしつこく付き纏った。


もしかしたらコシロ兄はあの言葉に縛り付けられてしまっているのかも知れない。コシロ兄は優しい人だから。全てを受け入れようとする人だから。

そしてまた、自分も発した言葉に責任を持とうとしているだけなのかも知れない。


好きって何だろう。夫婦って?

好き嫌いでなく、親の決めた相手と添う道もある。阿波局や北条の二の姫はその道を選んで生きている。アサ姫のように好きな人と添う道を選ぶ人もいる。自分はどうしたいのか。どうすればいいのか。祖母なら、親の決めた相手だって向こうから言い寄ってきた相手だって、縁のある相手さと笑うかもしれない。そうは思いつつヒメコはコシロ兄を想った。もし縛られてるだけなら解放した方がいいのかも知れない。

でも。


とにかくもう一度よく考えよう。ヒメコはそう思った。

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