七 祈願

「姫御前、行くわよ」

声をかけられて顔を上げれば、八幡姫が笠を被って外出用の恰好で見下ろしていた。

「何をボーッとしているの?今日から十四日間のお籠りでしょ?ほら、急いで」

急かされる。

「あの、私もご一緒していいのですか?」

「姫御前が一緒でなくてどうするのよ。何よ、求婚されたからって惚けちゃって。そんなでは困るわ。ほら早く!」

手を引っ張られ慌てて立ち上がり、笠だけ被って外へ出る。

八幡姫は御所のすぐ脇に建てられた勝長寿院に入って行った。最近建てられた立派な寺院で南御堂と呼ばれていた。建築の音はずっと耳にしていたが、ヒメコは初めて入る。

中に入れば、ヒンヤリとした空気に包まれた。外の熱気が嘘のようだ。

「病平癒の為と伺いましたが、お加減が悪いのですか」

問えば、八幡姫は笑った。

「そんなの方便に決まってるでしょ。ここは風がよく通って気持ちが良いと聞いたから入ってみたかったの。でも父上に言ったら遊び場ではないと怒られそうなので理由をつけただけ。静御前も呼んでるのよ」

言って、ぺろりと舌を出す。

「お腹が大きくなってるのにこう暑いんですもの。足立の屋敷には酔っ払いが来て大騒ぎしたって言うし、出産前に参ってしまうからね。それと、女の子が産まれるように祈願したくて」

そう言って八幡姫は唇を結んだ。

「姫さま」

八幡姫は優しい。賢くて敏い。そして強い。でもどこか脆い。その脆さが気掛かりでならない。

もし静御前の腹の中の子が男児だったら。

そう考えるとヒメコは怖くなる。

「さぁ、源氏の父祖に祈るわよ。汝らの子孫を加護したまえ」

ヒメコは掌を合わせた。

どうか八幡姫が心穏やかに過ごせますように。静御前の子が無事に生き延びられますように。

そうして七日程が過ぎた。

それにしても静様は遅いわね。せっかくここは涼しくて気持ちがいいのに」

八幡姫の言葉に、ヒメコはもしかして、と思う。

「お腹が重くて動けないのでは」

八幡姫は立ち上がると外に控えていた侍女に輿を準備させるよう命じた。


「姫さま、遅れ馳せながら参じました」

静御前が現れたのはお籠りもあと二日で終わる日の夜のことだった。

「えろぅ遅れてすんまへん。子が暴れて難儀しておりました。元気ぃな子ですわ」

「もっと早く輿を遣わせれば良かった。ごめんなさい」

八幡姫が謝るのを静御前はいいえと顔を横に向けた。

「私のような者が出歩くのはみっともないこと。ましてやこの御堂は源氏の方々の菩提を弔う場とか。私のような身には畏れ多いことどす」

吐息を漏らす静御前に八幡姫はいいえと強く言った。

「だからこそよ。静様は叔父上のお子を身篭ってらっしゃるのだから。お祖父様に、そのお子を護っていただく為にもここでお祈りをしなければ」

「姫さま」

静御前は微笑んで八幡姫の手に触れたが、つぅと涙を一筋零した。

「おおきに。有難う。ええ、ご加護を願いまひょ」

言って掌を合わせる。でもその横顔は先日見た時よりもどこか昏く精彩がなかった。

ふとヒメコは思った。静御前は何かを心の中に秘めている。でもヒメコはそれを探るのを止めた。代わりに声明を唱え始める。静御前が追って声を合わせてくれる。でもその声は涙につっかえ、御堂の中を満たさない。代わりに扇をヒラヒラと開いてゆっくりと舞い始めた。ヒメコは静御前の代わりに声を上げ歌い続けた。でも御堂の中を満たしたのは静御前の嗚咽の声だった。


そのお腹の中に居るのが男児であると静御前は察してしまったのかもしれない。それでも生きてと祈りを込めて静御前は舞い続けた。八幡姫とヒメコは声明を唄い続けた。

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