ニ 京の舞姫
静御前。
京の都で評判の白拍子。その舞は繊細かつ艶やか。
院御所で行なわれた雨乞神事にて、静御前が舞い始めた途端に黒雲が出で三日と雨が降り続けたのを、後白河の院は妙なることと褒め称え、寵愛したらしい。その後、木曽義仲追討の功により源義経に下げ渡され、その妾となった。
そんな評判の舞姫が鎌倉にやって来たのだ。鎌倉に住む人々は皆が皆、その姿を見られるのではと期待した。
静御前は静御前は義経の行き先について一通りの尋問をされたが、それは単に確認程度のこと。義経ら一行が奥州に向かっていることは間違いがなかった。後は院宣を得て奥州へ攻め入るばかり。
静御前は夏頃に出産の予定で、頼朝は出産が済めば静御前を京に返すと約束していた。但し、生まれたのが男児だったら、その子は殺すと言い渡した。腹の子が女児であれば静御前と共に京に帰れるが、男児だったらその子に未来はない。
「姫御前、静御前の所へこれを届けてくれまいか」
頼朝に頼まれ、ヒメコは差し出された包みを受け取った。
「そこの足立新三郎が案内する。ついでに雨乞い神事について習って来い」
言われ、御所を出て大路を渡る。
「静御前さまとはどのようなお方ですか?」
道すがら足立新三郎に問う。新三郎は、そうですね、と首を捻った後、
「京女らしい、しゃっきりとした方です。たおやかなようでいて、とても矜持は高い。物腰は柔らかいが御台さまとはまた違った意味での恐さというか、秘めた強さを感じるお方です」
「へぇ」
上がった声に後ろを振り返れば水干姿の八幡姫が付いて来ていた。
「ひ」
姫さまと言いかけて口を押さえる。
「俺も連れて行け。面白そうだ」
新三郎が怪訝な顔をするのを、御台さまの弟君ですと誤魔化して新三郎を促す。
着いた先は海辺に程近い小さな屋敷だった。
「御所様の使いで参りました。何かご入り用な物やお困りなことなどございませんでしょうか?」
挨拶して頼朝から預かった包みを渡す。受け取ったのは年輩の女性だった。
「おおきに。静の母でございます。御所様には娘がわがままを言うて申し訳のないこと。じきに出産やさかい許しとぉくれやす」
と、八幡姫が前に出た。
「静御前に会いに来ました。源頼朝の娘の八幡と言います。お話を聞きたいの。いいかしら?」
「え、御所様の姫君?少々お待ちを」
静御前の母が慌てて中へ駆け込む。
暫くして戻ってくると八幡姫とヒメコを奥に案内してくれた。
「御所様の一の姫君ですって?」
横座りしていたのは小柄な美しい女性だった。お腹は大きく膨れているが、しっかりと身なりを整えている。床の上にではなく脇息にもたれながらもきっちり座っていた。
「しず、申します。よろしゅう。腹がこんなで、挨拶もろくに出来しまへんが許しとぉくれやす」
気怠げに言われる。
「体調不良と聞いておりましたのに、もしかしてご無理をさせてしまいましたでしょうか?」
「いいえ。で、鎌倉の姫さんがうちになんのご用どす?」
八幡姫が顔を上げて口を開いた。
「お逃げにならないのですか?」
ヒメコは思わず新三郎を振り返る。新三郎は無表情で、ただその場に居た。八幡姫は気にせず続ける。
「父は言ったことは必ずやります。男の子が産まれたら殺されてしまう。逃げないのですか?」
静御前はホゥと息をついた。それから小さく笑う。
「童の格好でいらっしゃるとは大層なお姫さんやなぁ。それにお父上のことをそない言われるとは。お父上がお嫌いか?」
八幡姫は大きく頷いた。
「父は私の夫を殺しました。理由がどうあろうと私は一生父を許しません」
言い切る八幡姫を静御前は静かに見続けた。それから小さく問う。
「姫はお父君に似とる。そう言われたことはあらしまへんか?」
「にとる?」
首を傾げた八幡姫に静御前が言い直す。
「そっくりと言われたことは?」
八幡姫は首を傾げた後に答える。
「性格は母に似てると言われたことがありますが、顔は恐らく父に似てます。嫌ですが」
そう答える。途端に静御前がコロコロと笑い出した。
「そないこわい顔せんでも。笑っておくれやす」
言って、八幡姫の方に手を伸ばす。動きにくそうな静御前を見て、八幡姫の方が前に出た。静御前は八幡姫の頰に触れて優し気な顔をした。
「姫さんは、うちの殿にとっては姪っ子はんやもんなぁ。そのお強い目などほんによぅ似とる。おおきに。ありがとさんどす。うちとこの子を気遣ってくれはって。やけど、うちは逃げられんかった。付いていく勇気が足りんかった。おさとはんは家も親兄弟も何もかも捨てる言うて、ほんにその通り、身一つで殿に付いて行かはった。やけどうちはそれが出来ひんかった。京を離れたなかったんや。だからうちはこの子を産んで京へ戻ります」
「でも、もし男の子だったら」
「姫と願いながらここで待ちます」
静御前はそう言い切ってから扇をパッと開いた。
ご用はそれだけか?しんどいさかい、そろそろ帰っとぉくれやす」
「いいえ、もう一つ。このヒメコに雨乞いの舞を教えて頂戴」
「雨乞いの舞?何故」
ヒメコは頭を下げた。
「ヒメコと申します。私は巫女です。ですがまだまだ未熟。どうか雨乞いの舞について教えていただけませんか?」
すると静御前は首を横に振った。
「巫女はんに教える?うちの方が習いたいくらいや。勘弁しておくれやす」
そう言って小首を傾げた。
ほな、ご機嫌よろしゅう。お気張りやす」
ひらひらと手を振って追い払おうとする。ヒメコは食い下がった。
「今日はおつかれと思いますので、また後日改めて伺います」
「改められてもうちは何も出来しまへん。堪忍しとぉくれやす。あぁ、しんど」
「その時のことをお話し頂くだけでいいのです」
「では神さん仏さんのお導きでもありましたら」
「お導き?」
追い払われ、ヒメコと八幡姫が屋敷を出たら新三郎が言った。
「二度と来るなということだろう」
八幡姫がヒメコを見た。
「ですって。どうする?」
ヒメコは一瞬悩んだが、答えは決まっていた。
「会って下さらなくてもまた来ます」
すると八幡姫は笑った。
「そう言うと思ってたわ」
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