第四章 夕顔
一 舞
一 義経の処遇
「平家一門は西海に沈んだと聞いたのに、皆なかなか帰って来ないわね」
「何でも、三種の神器の神剣が見つからないとかで探索してるらしいわ」
「それに平家の残党が多くて抵抗が続いてるんだとか」
女官達の噂話を耳にしながら、ヒメコは神剣無しで即位した新帝のことを思った。ヤマトタケルノミコトの頃より熱田に伝わる草薙剣。その剣を手元から離した為に亡くなったミコト。新帝はどうなるのだろうか。
そう思った矢先、京の都を大地震が襲う。
東国武士の一部がやっと各々の領土へと戻ってきた。コシロ兄も父も無事に帰って来て、ヒメコは安堵する。
やっと戦が終わって元の生活に戻れる。女たちは皆そう思っていた。
だが違った。
戦後処理が思いの外大変だったのだ。
後白河の院は平家追討に功のあった諸将を呼び寄せ、官位を与えて朝廷側に取り込もうとしていた。だが、それは頼朝を頂点とする鎌倉の目指す道とは意を異にするもの。領土や恩賞を頼朝が直接与えてこそ主従関係は成り立つ。院がそれらを与えてしまっては、武士の統制が取れなくなる。そこで、頼朝は許可なく勝手に任官した武将らを厳しく罵倒し、暫く京に留まって西国を見張り、治安維持という公務のみを行ない、東国には戻って来るなと強く命じた。これは東国に拠点を持つ武将にとっては非常に困った事態だった。また、西国に赴いた際に現地で押収などの不法を行なった者についても厳しく取り締まった。皆、慌てて官位を辞し、身辺を改め、頼朝の赦しを乞うようになる。
そんな頃、八幡姫が突如ヒメコを呼び出した。
「出かけるわ。供をして」
またしても水干姿。ヒメコも慌てて着替える。
「もしや、また江間屋敷でしょうか?」
問うたら、ええと頷かれた。
「彼らに確認したいことがあるの」
「ならば、江間殿に取り次ぎをお願いした方が良いのでは?」
「忙しそうだもの。とにかく行くわ」
言って、スタスタと歩いて行く。ヒメコは後を追った。
「これは、また」
藤五が眉を顰めるが、八幡姫は動じない。
「江間殿はおいで?いらっしゃらないなら勝手に邪魔するわね」
「姫さま、殿の居られる時にお改めくださいませ」
「急いでるのよ。どうせ殆どこちらには居ないのでしょう?確認したいことがあるの。それだけ聞いたらすぐに出るから、二人に会わせて頂戴」
藤五は渋い顔をしながらも奥の間の閂を開けてくれる。
八幡姫は部屋に入るなり、二人に向かって問うた。
「木曽の宮菊姫とは、義高様の姉君なのではないの?」
二人が顔を合わせる。
「宮菊姫があちこちで所領を横領していると公文所で話題になっているわ。どんな方なの?」
顔を見合わせていた二人が八幡姫を振り返った。幸氏が口を開く。
「宮菊姫は確かに若の姉君です。今は京に身を寄せている筈。所領を横領なさるとは思えませんが」
「そう、わかったわ。ありがとう。またね」
それだけ言って、八幡姫は江間屋敷を飛び出た。ヒメコは慌てて後を追う。八幡姫は今日は真っ直ぐ御所へと入った。アサ姫の元に行く。
「宮菊姫を助けて」
単刀直入にそれだけを願う姫にアサ姫は目を丸くする。
「宮菊姫?」
「義高様の姉君よ。すぐに助けて」
アサ姫はヒメコを見た。ヒメコは何も言えずに俯いた。アサ姫は僅か黙って八幡姫を見た後に言った。
「八幡、あなた、何故そんな格好なの?」
「これは義高様の着物よ。江間屋敷に行ったの。幸氏と重隆に確認したいことがあったから」
「その宮菊姫のこと?」
八幡姫は頷いた。
アサ姫は、そうと答えた後にパンと八幡姫の頰を叩いた。
「母さま」
「たまに姿をくらますのは聞いてました。ヒメコを伴ってなので何も言わずにいたけれど、その身に何かあったらどうするの!何故何も話してくれないの」
八幡姫は叩かれた頰を押さえて横を向く。
「御台さま」
ヒメコが声をかける。アサ姫は鋭い目でヒメコを睨むと言った。
「姫御前、姫を外に出さないで」
「母上、姫御前は悪くありません。私が勝手に外に出ているだけです」
八幡姫がヒメコを庇うように前に立つ。
「八幡、あなた」
アサ姫は何かを言いかけたが口を噤んだ。
それからヒメコを見て言った。
「宮菊姫のことは私が何とかします。姫を連れて早く奥へ戻って」
八幡姫は頰を押さえたままアサ姫のことを睨んでいたが、ヒメコが促すと歩き始めた。
やがて、義経が平家の大将、平宗盛を捕らえて鎌倉へと戻ってくる。だが頼朝は義経を許さなかった。腰越に留め置き、宗盛らのみ鎌倉に引き取る。
義経は腰越から文を送り、何とか頼朝への取りなしを願ったが、頼朝は許さない。そして捕らえた宗盛に加え、先に鎌倉に留めていた平重衡を京へ送るように申し渡す。罪人として上洛し、京で晒された宗盛父子はまた鎌倉に戻されて御所の庭に引き出された後、再び京に送還される途中で義経配下の者によって斬首された。重衡は東大寺に送られ、恨みを持つ衆徒によって殺された。義経は試されていた。何度も京と鎌倉を罪人を連れての往復に耐え、一介の御家人として頼朝配下に加わる覚悟が出来ているのかを。だが義経はまだ若く、自分のおかげで平家を追討出来たのだという自負があった。
頼朝と兄弟で並び立って鎌倉に君臨したい。いや、そうあるべきだと。でもそれでは鎌倉は、武士は一つにまとまらない。義経は兄の深慮に気付くことが出来なかった。
義経が京へ戻る前に放ったという言葉がまことしやかに噂される。
「関東において怨みを成す輩は、義経につけ」
明らかに頼朝への翻意を表したもの。これを耳にした頼朝は義経を討つ決意を固めた。京に着いた義経を唆すように、源行家らの追討を命じるが義経は仮病をつかって断る。頼朝はついに刺客を送った。頼朝は義経を追い詰めると同時に院の動きも窺っていた。何も言い逃れ出来ないようにしなければ、あの大天狗とはまともに渡り合えない。
頼朝の読みの通り、義経は院に泣きつき、頼朝追討宣旨を出させて挙兵する。だが義経には手持ちの兵がなかった。平家追討時の軍は全て頼朝の支配下にあり、義経は頼朝の名の元、代官として指揮権を預けられていただけだった。自分が号を上げれば皆が付いてくるだろうという読みも浅かった。先の戦で、功を焦るあまりの無茶な戦いぶりに諸将らは既に義経を見限っていた。そして何より頼朝には強力な味方が付いていた。中原広元だ。京の情勢に明るく、頭の切れる広元は、全ての流れを読み切っていた。京で義経が動く機を見計らったように、源義朝の大供養を行なうべく武士らを鎌倉に集めてい
た。結局、院宣をもってしても義経に従ったのはほんの僅かな手勢のみ。
義経は西国の海賊を頼って妾の静御前や身近な家臣らと共に九州を目指して船出したが、嵐に見舞われて船は大破し、吉野へと逃げる。だが吉野の寺社も義経の味方にはならなかった。
義経らは奥州を目指して逃走を繰り返す。
だが、それ自体が鎌倉方の目論見の通りだった。頼朝宣旨を出してしまった院を追い詰める絶好の機となった。
頼朝は舅である北条時政に千騎を任せ、京へと送り込む。官位もなく低く見られていた時政だったが、上京後はその渡りの上手さで朝廷の信を得て、頼朝追討宣旨の撤回並びに義経ら追捕のためとして、守護、地頭の設置を朝廷に認めさせた。
これで頼朝は名実共に東西諸国の統治権を手に入れた。残るは奥州のみ。
そして、その奥州へと義経は正室である河越重頼の娘と、彼女との間に生まれた姫を連れて向かっていた。この河越重頼は比企の祖母の次女を妻としていたので、ヒメコにとっては縁戚。義経の正室の郷御前は従姉妹だった。
頼朝は義経の舅であるこの河越重頼とその嫡男を誅殺し、次に、義経を匿うであろう奥州へと手を伸ばした。京を目指しながらも、ずっと背後を脅かされていた奥州を今度こそ叩く機に恵まれたのだ。頼朝は容赦なく義経を追う。
その頃、吉野で静御前が捕らえられた。
その身は義経の子を身ごもっていることもわかり、静御前は鎌倉へと送られてきた。都で評判の白拍子を見ようと鎌倉は大騒ぎになる。
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