五 鎌倉の御所
だが、予想に反して武者達の声は散開していって最後には辺りは静まり返つた。どうしたことだろう?
不思議に思いつつ覗き見する勇気はなくてじっと待つ。そこへ一人の侍女が現れ、アサ姫に何かを伝えた。
「ヒメコ、彼女に付いて行きなさい。お父君がお待ちだそうよ」
ヒメコが侍女の後を追ってやけに広い間取りの部屋に着いたら、そこには父の姿があった。
「父さま!あ、いえ、父上。ご無沙汰しております」
挨拶をして頭を下げる。
「半年ぶりか?見違えたぞ。御台さまに可愛がって頂いているようたな」
変わらぬ笑顔がそこにあった。
はい、と頷いて改めて父を見て、初めて気付く。父は甲冑姿で立っていた。
「合戦帰りだったのですね」
「ああ。鎌倉の屋敷は今建てている途中だから、今から比企に戻る。近く屋敷が完成したら、そこと比企とを往き来することになるだろう。姫にももっと頻繁に会える筈だ」
「本当ですか?父上が鎌倉に」
嬉しくて声が華やぐ。でもふと気付いた。
「お怪我は?父さまが刀を握るなんて」
父が剣を振っている所など見たことがない。恐々と父を見上げるヒメコの頭を優しく撫でて父は笑った。
「いや、私はただ馬に乗って皆の後を付いて行っただけさ。武力などハナからアテにされてない。母の名代としてその場に参陣するだけで済んでるから安心しておくれ」
おっとりと言われ、はいと素直に頷く。
「おっと。そろそろ比企に向かわねば着くのが夜半になってしまう。お前の母が心配しているだろうからそろそろ行くよ。だが、元気な顔が見られて良かった。二人に伝えておくからな」
そう言って父は去って行った。
ヒメコはその後ろ姿を見送りながら懐かしい比企庄を思い出していた。佐殿は本当に東国を平したんだ。
それからコシロ兄のことを考える。
コシロ兄は伊豆の江間に戻ったんだろうか。そこでは八重姫が待っている筈。そう思うと胸がきゅうと苦しくなる。この想いを消すには、まだまだ時間がかかりそうだった。
それから少しして、大倉の館が、正式に鎌倉御所として稼働する事始めの儀式があった。
沢山の武者が集まり、館全体が賑わう。ヒメコは怯える八幡姫を宥めるのに必死で、顔は出さずに隠れ過ごした。
そしてその後、女官となる女性達が数多く入ってきた。各有力御家人達が一族の中で容貌、文筆など才覚優れた姫を行儀見習いとして差し出して来たのだ。京の御所と同じと考えるならば、それはあわよくば頼朝の目に留まってその子を宿し、お家を盛り立てようと狙ってのことなのだろう。そんな姫たちの挨拶を女主人として受けるアサ姫の姿を見ながら、ヒメコはその心中を思ってそっと溜め息をついた。
だが、当然の如く北条時政もアサ姫の妹姫達を女官として入れてきた。
「ヒメコ様、お久しぶり」
肩を叩かれ振り向いたら、三の姫だった。久々の再会に抱き合って喜ぶ。
「ずっと駿河に居たんだけど、鎌倉に御所が出来たから女官として仕えろ。御所内を見張れと言われて送り出されたの。話は聞いてたけど、実際驚いたわ。あのぼんやりの佐殿が鎌倉の主だなんて。ねえ」
相変わらずの早口に急いで頷きつつ、途中の言葉に引っかかる。
「御所内を見張れ?」
「ええ、そう。父がね。女たちが鎌倉殿に近付かないようにって。あと、侍所とかにも顔を出して何か噂を耳にしたらすぐに報告しろって」
「侍所?」
「男たちが集まる場所なんでしよ。そこでも聴き耳を立てろって。父にとって都合のいい話を持ち出せたら、その度に何か褒美をくれるらしいわ。だから私は言ったの。金がいいって」
そう言って悪戯な顔で笑う三の姫は昔と変わらず生気に溢れていて、ヒメコは呆気にとられつつ味方が増えたようでホッとする。
「ヒメコ様、お元気そうで何より」
たおやかな声に顔を上げたら、アサ姫のすぐ下の二の姫が優しげな笑顔で立っていた。少し見ない間にまた綺麗になった気がする。元々美しかったけれど、今はどこか陰りがある儚さをその身に漂わせていて、なんというか目の離せない美しさ。駿河国で何かあったんだろうか?
「二の姫様はどうかなさったの?お身体でも具合が?」
そっと三の姫に聞いてみる。
すると三の姫はニヤッと笑ってヒメコに耳打ちした。
「小姉上は恋患いよ」
「え」
思わず声をあげてしまい、慌てて口を覆う。
「一体どなたに?」
「駿河国に武者達がたくさん集まって、宿所として牧の屋敷が使われたの。その時に一目惚れしたみたいよ」
「一目惚れ?」
その言葉は何となく二の姫らしくない気はしたが、恋をしているのは本当なのだろう。元々の清涼さに芳しいばかりの色香が足され、その美しさは他の女官たちを抜きん出て場を圧倒した。
でも大丈夫なんだろうか。娘は親の持ち石の一つ。アサ姫の言葉が甦る。
アサ姫のことも二の姫の恋の行方も、そして三の姫に与えられた任も気になって、ヒメコは落ち着かない気持ちで立ち上がった。
こういう時は身体を動かすのが一番。アサ姫に座を外す旨を伝え、久々に水干を纏うと、裏からそっと抜け出す。箒を手に辺りを掃いていくが、落ち葉の季節でもなく手は充分に足りているようで掃く必要がない程綺麗に清められている。
「あ、あそこなら」
少し向こうに、小屋というよりもう少し大きな建物があり、その付近は人の出入りが多いのか足跡もたくさん残っていて幾らか掃除のし甲斐がありそうだった。
サッサッと箒を左右に小刻みに動かしながら進んでいく。建物の横に散らばっているのは藁のカスのようだった。
その時点で気付くべきだったのだ。
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