二十 菊

男たちの食事の準備が整い、ヒメコはザルに盛られた握り飯を広間へと運んだ。我先にと手を伸ばす男たちによって、ザルの上の山はあっという間に消える。次のザルを取りに戻ろうとした時、袖をツンと引っ張られた。

「よぉ、無事戻ったぞ」

佐々木四郎だった。

「なぁ、俺の大活躍聞いてくれた?」

満開の笑顔で問われ、答えに詰まった時、四郎の横から三郎盛綱が口を出した。

「何が大活躍だ。俺の方が大変だったんだぞ。お前なんて忍び込んだだけじゃねーか」

「何言ってやがる。三郎兄は途中までグースカ眠ってたそうじゃねーか。なのに最後の最後に加藤に出し抜かれやがって。佐々木の恥だぜ、恥!」

「何だと!俺は佐殿を護るという大切なお役目をこなしてたんだ。加藤のヤツは長刀を佐殿に貰った上に抜け駆けしやがったんだぞ」

すると、加藤が斜めから顔を出す。

「ヘッ。俺は長刀持ってても足が速いんだよ。お前は手ぶらなのにノロマなんだな。祭り帰りの女に見惚れてぬかるみにでもハマったんじゃねぇの?」

「何だと、このやろう!見惚れちゃねぇよ!ってお前も見てたってことじゃねぇか!なのに何で!やっぱ佐殿の長刀の力だったんだな。クソ、俺だってあれ狙ってたってのによ。許せねぇ!俺に寄越せ!」

「あれは佐殿が直々に俺に下されたもの。末代までの宝にするんだ。誰がお前みたいな間抜けにやるもんか!」

「間抜けだとぉ?テメエやるか?


戦を終えて興奮状態の男たちは常より更にガラが悪い。

取っ組み合いの喧嘩が始まりそうになってヒメコはオロオロと辺りを見回した。少し離れた所にコシロ兄がいたが、コシロ兄は我関せずの顔で汁をすすっている。男たちの大声には大分慣れたものの、喧嘩になってはたまらない。オロオロと逃げ場を探した時、バンと戸が大きく開かれた。アサ姫だった。アサ姫は仁王立ちして一喝する。

「あんた達、喧嘩するなら今すぐここから出て行きなさい!あんたらが今すべきことは、黙ってよく噛んで腹に入れた食物を自らの血肉にしっかりと変えて次の戦に備えることでしょ。喋っててそれが出来ると思ってんの?次に無駄口叩いて汁を溢したり米粒を落としたりして食べ物を粗末にしようもんなら、今後は量を減らすから、その覚悟でいなさい!」

アサ姫の怒号に男たちは黙々と握り飯を頬張り、味噌汁を飲み込んだ。

静かになったその場を見計らったかのように、いや多分に間を見計らっていたのだろう。のほほん顔の佐殿が現れる。

佐殿は笑顔で男たちに向かった。

「皆、先の山木攻めでは、まことによく働いてくれた。見事な戦いぶりだったぞ。次はいよいよ三浦と合流して、この東国にのさばってきた平家を倒しに伊豆から打って出る。仔細はまた追って伝えるが、まずは腹をこなして各々準備を整え待機していてくれ。皆を頼りにしているぞ」

男たちが揃って頭を下げる中、佐殿は悠々と出て行った。


食事を終えた男たちが順に広間を出て行き始めたのでヒメコは器を下げていく。

と、四郎が声をかけてきた。

「平気か?」

「ええ。喧嘩にならなくて良かった」

「いや、さっきのじゃなくてさ。昨日、アレ見ちまったんだって?五郎が心配してた。気分悪かったろ。でももう片付けたし、坊さんに弔って貰って庭には上に綺麗な砂を被せたから安心しろよな」

ニカッと笑う顔は変わらないけれど、何か言いたげな様子。だからその場でじっと待つ。すると四郎はポツポツと話し始めた。

「俺、実は初陣だったんだよな。狩とかでは猪や鹿を捕らえて捌いてたんだけど戦で人相手に刃物当てるのは初めてでさ。正直びびったぜ。でも意外と落ち着いてこなせた。きっとあんたのお陰だな。礼を言うよ」

ヒメコはフルフルと首を横に振った。

「礼だなんて。私は何も」

「穢れたら祓ってくれるって言ってくれたろ?あれ思い出したら大丈夫だって思えたんだ。多分また直ぐに次の戦に行って穢れて帰ってくるだろうけど、そしたらまた祓ってくれよな」

そう言って笑う。

軽やかな口調だけど、きっと様々な葛藤があったのだろう。ヒメコは黙って頷くと重ねた椀を持って立ち上がった。水場を片付け終えてから部屋に戻り、神棚に祈りを捧げ、えいと気合いを入れて外へと出る。

四郎の言った通り、北条屋敷の前の小道は綺麗に清められ新しい土が被されていた。


その上にパラパラと少しずつ塩を撒いてタンタンと踵を踏みしめながら歌い踊っていく。

途中、北条の屋敷の縁を通り、佐殿の横顔を思い出したが、ヒメコは半眼のまま歌い踊り続けた。鬼がいて人がいて仏がいて観音さまがいて、それでいい。人の世はきっとそれでいいのだ。


「おや、比企の姫」

声をかけられて氣付く。藤原邦通が端の方にしゃがんでいた。

邦通は屋敷脇の木陰にしゃがんだままヒメコを手招きする。近寄ってみたら、何か小さな植物が植わっていた。

「新しい芽が出てきましたよ」

それは邦通が山木館に偵察に行った際に分けて貰ったと言っていた菊の芽だった。無事に根付いたようだ。


「山木の館は火に落ちたそうです。消える命あれば継がれる命あり、ですね。私はこの菊を生涯大事に増やしていきましょう」

静かな声。

ヒメコは頷いてその場をそっと去った。

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