十九 鬼

佐殿はヒメコが肩にかけていたおんぶ紐に手をかけた。

「姫は私が背負う。お前は一度屋敷に戻って眠れ」

そう言って姫を背におぶう。

「男たちが戻れば、また慌ただしくなる。今のうちに休んでおけ」

八幡姫は佐殿の背に移されても気付かないくらいすっかり寝入っていた。ヒメコは頷いて北条屋敷を後にした。シンペイの様子は気になるが、佐殿がいるから大丈夫だろう。ヒメコは月明かりの中を歩いて部屋へと戻り、少しだけ、とそのまま横になる。

だが次に気付いたら朝になっていた。蔀戸から漏れる日の光。

それに複数の男の声と大勢の人の気配。

しまった、寝過ごした。急いで身支度を整えて外に出る。

北条館の前には男たちが群れ集っていた。

戻ってきた!

飛び出したヒメコの前に五郎が立ち塞がった。

「姫姉ちゃん、こっち来ちゃ駄目。戻って!」

通せんぼをされて足を留めるが、その先のものをヒメコは見てしまった。

縁の下に並べられた幾つかの生首。

血に染まった男たちの鎧や刀。

むせ返るような血の臭い。死の臭い。

縁の端に立ち、それらを腕を組んで見下ろす佐殿。無表情なその横顔はヒメコは初めて目にするもので、少なからず動揺してしまう。

鬼のような、という言葉が浮かぶ。

本当に鬼武者なんだ。

祖母はもしや彼のこの顔を視て、あの幼名を進言したのだろうか。


戦とは命のやりとり。攻める方も守る方もどちらも自らの命をかけて行なうもの。そこでは生か死かはっきりと区切られる。死ねば首を取られ晒される。


生きれば?

生きれば次の戦に向かう。

次の戦で死ぬかも知れないし、また生き残るかも知れない。

武士とはそうやって生きてる限り戦い続けるのかも知れない。それを女は見送るだけ。無事を祈って待つだけ。

そう思うとやりきれない気がする。でも、そう思うのは自分が女だからだろうか。


ヒメコは佐殿の屋敷に戻った。食事の支度をしているアサ姫の手伝いをせねばと思うが身体が震えてどうにもならない。

「まぁ、ヒメコ。どうしたの?大丈夫?」

アサ姫が戸口を開けて入って来た。ヒメコは立ち上がるとアサ姫に駆け寄って抱きついた。そのまま泣きじゃくる。アサ姫は何も言わずに力強く抱きしめ返してくれた。

ホッと安心する。やっぱりこの人は私の観音さまだ。


男たちの喧騒は日が暮れてもずっと続いていた。ヒメコは戸を固く閉じ、着物にくるまって、何も聞かぬよう考えぬようひたすら声明を小さく唄いながら夜をあかした。


翌朝、ヒメコはいつも通り早起きはしたものの、昨日の庭の様子を思い出すと足が竦んで掃き掃除をしに表に出る勇気が出ず、とりあえずとアサ姫の元に出向く。

アサ姫は笑顔で迎えてくれた。

「おはよう、ヒメコ。眠れた?早速だけど、握り飯をたくさん作るから手伝ってくれる?漬け物も取り出してあるからどんどん切って並べてちょうだい。その次には汁に味噌を溶いて味を見てね。大きい鍋の方よ。そっちは男たちの分だから味は少し濃い目でお願い」

気遣ってくれてるのだろう。ヒメコは笑顔で返事をすると襷をかけてくるくると働き始めた。

そうして暫くした頃、五郎が顔を出した。

「大姉上、小四郎兄を呼んで来たよ。運ぶのはどの鍋?」

「ヒメコの前の鍋よ。ヒメコ、どう?出来上がってたら小四郎に広間に運んで貰って」

「いいか?」

コシロ兄に問われ、ヒメコはコクコクと頷いた。

だがコシロ兄は鍋を一度持ち上げたものの、そっと香りを嗅いで火の上に戻した。

「味噌の香りがない。入れ忘れてないか?」

「あ!」

振り返れば、入れる予定だった味噌がそのまま置き去りになっている。

「ごめんなさい。私、うっかりして」

慌てて味噌の入った小鉢を取りに駆けたら、台の足に爪先を取られた。

「きゃあ!」

目の前には火にかけられた鍋。

零してしまう!と鍋ではなく竃に手をつこうとした時、襟首を掴まれて引き戻された。

「慌てるな」

コシロ兄だった。

ごめんなさいと小さく謝ってヒメコはその場に縮こまった。

コシロ兄は味噌を取ると慣れた手付きで汁に溶き始める。小皿で味見をすると鍋を持って出て行った。

「コシロ兄は火焚きも出来るんですか?」

アサ姫に聞いたら、当然よという顔をされた。

「うちは大所帯だしね。それに狩場や戦場では煮炊きは男の仕事。小さい頃から仕込んであるわ。それにあの子は羽中太と山伏修行してたこともあるから、どこでも生きていける筈よ」

「はぁ」

曖昧に返事をしながらヒメコは改めて武家の逞しさを思った。その点、比企は東国に暮らしているものの呑気なものだった。未だに光源氏の世界にいるような雰囲気さえある。多分に都の公家達の生活に近いのだろう。都の平家一門は自らは在京したまま現地に代官を送るか在地の豪族を家人として領地を守らせてきた。そうやってずっと頭を押さえられてきた武士達。でも、ここ最近の都での政変でその力関係に大きな亀裂が入りつつある。武士達が反乱を起こすのは不思議ではないと思う。

でも。

それでもヒメコは考える。

戦が起きれば必ず人が死ぬ。首を晒される。

皆が揃ってもっと平和に暮らす道はないんだろうか?

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