九 絵図


佐殿が邦通を伴って訪ねてきたのは日暮れ前のことだった。

「ヒメコ、邦通がそなたに頼みがあるそうだ」

佐殿の隣に腰を下ろしてヒメコを見た邦通は、今までの彼とは違い、どこか気を張りつめていた。


「実は、この度、ここらの代官になった山木殿の屋敷を訪問することになりましてな。その際に白拍子を一人連れて行きますので、彼女と共に無事に戻れるよう安全祈願を願いたいのです」

「安全祈願、ですか」


事態が吞み込めず繰り返したヒメコに佐殿が足した。

「邦通には偵察に行って貰うのだ。平家打倒の始まりの一手は、平相国の義弟である平時忠の推薦でここの代官となった山木兼隆の首と定めた。だが、あの土地は周りを崖で囲まれた要害の地。また聞く所によると、山木の後ろ盾となっているのが堤という男で、武芸に優れているらしく、山木の館の設計にも携わったとか。どうも容易に攻め込める場ではないようなので内部を探る必要がある。そこで、この邦通を送り込み、敷地内の様子を絵図に描かせ、警護の者達の様子も見て来て貰うのだ」

「内偵ですか」

危険な役目であることは明白。でもこの邦通はおっとりとして、どう見ても武はたちそうにない。

万一怪しまれるようなことがあれば、すぐに殺されてしまうだろう。

眉を寄せたヒメコに、邦通はそっと微笑を返した。



「私は京の出で、多少まだ繋がりがありますからな。また、ここ東国には遊興の趣向が少ない。そろそろ山木殿も京の風情を楽しみたい頃かと。そこで伝手を辿って、馴染みの白拍子を呼び寄せ、協力を頼みました。彼女と共に酒宴に招かれ、得意の絵でお役に立とうという話なのですよ」

ヒメコは少し迷って佐殿を見た。

「私で良いのでしょうか?合戦の為に、先頃新たに神職をお召し抱えになったと聞きました」

それに対し、邦通が代わりに答えた。

「いいえ。私の役目は戦うことではなく、宴で歌い楽しみ、絵を描くこと。ならば、遊芸の女神、弁天さまに加護を願うのが良いかと、同じ女性である巫女様に祈願をお願いに参った次第なのです」

佐殿は黙ったままヒメコに頷いて見せる。ヒメコは手をついて深く頭を下げた。

「承知いたしました。お二人が無事にお役目を果たせますよう精一杯祈らせて頂きます」

山木の地。北条から北の方角、山崖を背に木々に隠された土地。だから山木という地名が付いたと聞いた。韮山の北条からは三嶋大社や箱根の関に出る際に必ず通らねばならぬ地。そこを押さえられるかどうかが今後の佐殿の合戦に大きく影響するのは確実だった。



祈りながら待った数日後、邦通が帰って来た。ヒメコの部屋の隣の広間に人々が集められる。

「これは見事な」

佐殿が一声唸るが、その後が続かない。他の面々も押し黙る中、邦通が声を発した。

「入り口の堅固なことは言うまでもありませんが、中にこのように村まで抱え込んでいるとは私も思いませんでした。これは館にあらず。籠城も可能な、立派な山城でございました」

また続く沈黙。

「どうしますかな?」

知らない男の声。

「どうするもこうするもない。京では例の令旨を手にした源氏を悉く討つよう命が下され、以仁王討伐の為にと京に集められていた東国武士たちが戻って来つつある。彼らの準備が整わない内に山木を叩かねば、以仁王様と頼政公の努力が無駄になってしまう。今しか立ち上がる時はない」

「三浦と和田、工藤、土肥は加勢を約してくれました。だが、波多野と山内は当てになりません。上総は一応話を合わせてくれていますが、彼は油断のならない男。状況次第でしょう」

広間の声はヒメコの部屋には筒抜けだ。緊迫した状況に、ヒメコは息を詰めて時を過ごした。ややして男たちは解散し、静かな夜が来ると、ヒメコはホッとして蔀戸の向こうに霞む月を眺めて手を合わせた。


翌朝、ヒメコが掃除をしに庭に出ると、そこには邦通の姿があった。邦通はヒメコを認めると立ち上がって軽く礼をしてくれた。

「この度は巫女殿のおかげで無事にお役目果たせましたぞ。お礼申し上げる」

そう言って、懐から差し上げた紙のお札を取り出した。細く折り畳んで手渡したお札。渡したそのままの形で戻ってきた。

「しかし、何故札をこのように折られたのですか?受け取った時には、よもや恋文ではと心ときめきましたぞ」

笑いながらそう言われ、ヒメコは慌てて弁解した。

「弁天さまは蛇と関わりが深いので、蛇を模したのです」

邦通はなるほど、と頷いてお札を両掌で挟んで頭上に捧げ上げるとヒメコへと返した。ヒメコはそれを大事に預かる。神棚でお礼を申し上げた後に川に流そう。


「ところで、こんな朝早くに何をなさってるのですか?」

ヒメコが問えば、邦通は、ああ、と足元に置いてあった布包みの結び目を少し解いてそれを見せてくれた。

「菊の芽です。植え替えにはちと時期が悪いが、山木殿の屋敷に見事な菊がありましてな。枝ぶりなどを褒めました所、少し分けてくれたのですよ。丁度、白拍子の名も白菊という名だったゆえ」

そう言って、懐の中から懐紙を取り出してヒメコに渡して見せてくれた。

「まぁ、なんて美しい」

それは見事な枝ぶりの菊の鉢と扇子を持って佇む白拍子の絵だった。

「それはほんの下絵で、仕上げたものは山木殿に差し上げてしまいましたが、菊が美しいでしょう?秋に咲く所を見られないのが残念なくらいに見事な一本でした」

見られない。それは山木と一戦まじえるからか。ヒメコは理解して黙した。

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