三 源氏の巫女
屋敷の中へと通され、抱えていた姫を下ろそうとしたら、いやいやという風に姫が首を横に振った。
「まぁ、甘えん坊さん。でもそのままでは上がれないから一度おりなくてね」
アサ姫の言葉に姫は素直に頷くと草履を脱いでタタッと屋内に駆け込む。でもヒメコが続いて上がったら、また振り返って腕を伸ばした。アサ姫が笑った。
「また抱っこしてくれって言ってるわ」
確かに姫の腕はヒメコに向かって伸ばされている。
いいのかな、と思いつつ抱き上げる。
「重いでしょ。ごめんなさいね」
そう言ってアサ姫は先に奥へと向かっていく。奥では佐殿が座っていた。その姿が見えた途端、腕の中の姫がするりとヒメコの腕をすり抜けて廊を走って行った。
「父さま!」
飛びかかるように抱きつく姫とそれを受け止めて抱き返す佐殿。睦まじいその様子を見て、ヒメコはとても満たされた気がした。ヒメコの知らない二年の間にきっと色々なことがあったのだろうけど、この親子はちゃんとそれらを乗り越えて今ここにいる。あの日、龍が視えた時には、また八重姫の時のようなことが起きてしまうのではないかと心配したけど、龍が出たからと言って、その龍が悪い龍とは限らない。
「ようこそ、我が屋敷へ」
佐殿が誇らしげに腕を広げたら、その膝の上にいた姫が、キョロと佐殿を見上げた後「やちきえー」と言って同じように手を広げたので、つい噴き出してしまう。
その時、盆に瓜を載せたアサ姫が入ってきた。
「比企の尼君様が持たせて下さった瓜ですよ。少し早いかもとの話でしたが美味しそうだから皆でいただきましょう」
でも皆が手を伸ばしかけた所で、あ、と手を叩く。
姫、五郎を呼んで来てくれる?うっかり忘れる所だったわ」
姫は返事もせずに奥へと駆け込んで行った。
「ひどいなぁ。大姉上ってば先に食べようとしてただろ?」
「ちゃんと呼びに行かせたでしょ。まだ手はつけてないわよ。それより薪は」
そこでアサ姫の言葉が一瞬止まる。
「あら、小四郎。珍しいこと。あんたも一緒にお上がりなさい」
え?
ヒメコは硬直する。今、小四郎って言った?恐る恐る奥への扉の方へ顔を向けると、そこには姫に手を引かれた五郎とコシロ兄が二人揃ってムッツリ顔で立っていた。姫に引っ張られて二人揃って軽く一礼してから部屋に入って来る。それから二人して入り口付近に並んで腰を下ろした。
「うん、確かに少し早いと言えば早いが、私はこのくらいのまだ固くてシャクシャクした頃合いが一番好みなんだ。さすがは尼君」
言葉通りにシャクシャクと音を立てて瓜を嚙る佐殿の向こうで同じようにシャクシャクと豪快に瓜にかぶりつく五郎。でもどこか気が立ってるように感じる。
「どうした?五郎。何を膨れておる。ほら、姫が心配しているぞ」
佐殿が言う通り、姫が食べかけの瓜を手に泣きそうな顔で五郎を見上げていた。その顔を見た途端、五郎は眉をガッと上げ、次には逆に口を蛸のように窄めてウーと唸り出し、ピョンと飛ぶと部屋の中央で四つ這いになってワンワンと鳴き出した。それから四つ這いのままテケテケと姫の元に寄ると、クゥーンクゥーンと甘えたような声を出して頭を撫でて貰っている。
「ゴロ、いいこいいこ」
五郎は背を丸めて暫く大人しく撫でられた後、すっと立ち上がって姫を見下ろし、にっこりと微笑んだ。姫は安心したように手の中の瓜を食べて五郎に笑いかけた。兄妹のような二人にヒメコの口元も緩む。
と、アサ姫が立ち上がって姫へと手を差し伸べた。
「さて、では姫はそろそろお昼寝しましょうね」
姫は立ち上がって母の元に駆け寄ったものの、ふと足をとめてヒメコを振り返り、背に抱きついてくる。
「おやおや、珍しい。では今日はヒメコと一緒に昼寝してくるか?」
佐殿が声をかけたら、姫は首を傾げた後、再びアサ姫の手を握って共に部屋を出て行った。佐殿が、へえと顎を撫でる。
「割と人見知りする子なんだが、随分懐かれたな、ヒメコ。もしや、そなたのことを覚えてるんじゃないか?」
そんなまさか、と首を横に振ったものの、確かにヒメコも懐かしいと思った。そんな気持ちが通じているのかもしれない。
二人の気配が消えた後、佐殿がスッと背を伸ばして軽く咳払いした。
「では本題に入る。直にここは平家に攻め寄せられるだろう。だが、私は逃げずに戦うことにした。今は賛同者を集めて、どう打って出れば良いかと策を講じている所だ。北条の館が本拠地となるが、密議はこちらで行なう。
ヒメコ、そなたは巫女としてここで戦勝祈願を頼む。そして合戦の結果、我らが敗走した折には、アサと姫と共に身を隠せ。よいな?」
ヒメコは黙って頷いた。
佐殿は次にコシロ兄と五郎に目を投げた。
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