三十一 占い

それからヒメコはアサ姫からの連絡を待ちながら祖母の元で修行に明け暮れていた。祖母のしごきに耐え、母の愚痴に付き合いながらの日々。長い長いその退屈な日々の中、一度だけアサ姫から文があったが、伊豆の北条館からではなく阿多美の走湯権現からで、佐殿と姫と共にもう少しここに潜んでいるとのことだった。コシロ兄のことは何も触れてなかったので、共に走湯権現に居るのか北条に居るのかもわからなかった。


修行の合間、祖母とは沢山の話をした。神仏のこと、あの世のこと。古くからのしきたりや慣習の意味といわれ、人の力と物の力。音や形の不思議。また、この国の成り立ちについて聞く中で、帝や政についても聞き、今の世で何が起こっているのかをヒメコは徐々に理解していった。


その頃、京の都では力を増す平家一門に対して、奪われた立場の院やその近臣、摂関家の諸氏が、官位や領土をいかに取り戻そうかと一触即発の中にあった。平清盛は、院やその近臣らで行われた謀叛の密議「鹿ケ谷の事変」はどうにか収めたものの、以降、院との間に埋められない溝を抱えたまま院との仲介をしていた嫡男重盛を病で亡くし、どうにも収まりがつかない状況に陥っていた。清盛の娘の徳子が高倉帝の皇子を産むが、清盛はその皇子の囲い込みを行ない、摂関家の相続への介入や福原への遷都など、平家一辺倒の強行施策を貫き、帝とも院とも摂関家とも確執を更に深めていた。


「これはいつ何が起きてもおかしくないよ」そう薄く笑う祖母に、今一つ現実味を感じられず曖昧に頷くばかりのヒメコを不満に思ったのだろう。祖母はズイと身を乗り出して話を続けた。

「こら、他人事の顔してんじゃないよ。ここ武蔵など、東国は遠いから京のことなど関係ないなんて思ってるのかもしれないが、そうはいかないんだよ。東国の中には八幡太郎義家公、また佐殿のお父君である義朝公の頃にその恩を受けて、保元・平治の変で佐殿のお父君にお味方した氏族も沢山いる。今は平相国殿を筆頭にした伊勢平氏の勢いが強いから皆そちらに尻尾を振って平家の家人として荘園の警護や管理を請け負ったりしてるがね。それは単に、自分の領土さえ安堵されていればそれでいいって考えでへつらってるだけさ。情勢が変われば、皆どう動くかわからないよ。特に此度の争乱で知行国主が大幅に変更させられたからね。幸い、うちは大きな支障はなかったけど、ここ武蔵国でも秩父の畠山みたいに元々伊勢平氏家の家人で新しい国主と円満に関係を結べた家はいいけど、平家の血筋とはいえ、伊勢平氏よりも院の方に近い立場にあった相模の三浦辺りはどうだろうね。そろそろ不満を募らせてる頃なんじゃないかね」



そして夏の始め、前触れもなく佐殿が単身、祖母の元に顔を出した。


「進退極まりました。占ってください」

祖母の前に畏まって座り、拳をついて頭を下げる佐殿。北条館の前で見送られてから二年程が過ぎていた。

祖母は僅か黙って佐殿の顔を見た後に、立ち上がって占の準備を始めた。ヒメコが寄って手伝う。

「佐殿、前にお話したと思うが、占は為すか為さぬかの決断をする為のものではないぞ」

「はい。為すことは既に決めております」

揺るぎのない声に祖母がそっと笑う。

「よくよく読経を続けたのだろう。良い声になられたな。して、龍の姫はご息災か?」

「はい。妻子あっての今の私です」

「では占おう。但しヒミカが行なう。良いな?」

頷く佐殿を確かめ、ヒメコは額の生え際で両の掌を合わせた。懇ろに頭を下げ、静かにゆっくりと呼吸を繰り返し、目を閉じて祝詞を音に乗せる。

祓って祓って祓って。何もかもを忘れて無心に祓い浄めたとしても神様が降りて来て下さるとは限らない。それは、その時ではなかったか、浄めが足りないからだと祖母は言った。ただ巫女に出来るのは精一杯祓うことのみだと。


パキッ


音が聴こえてハッと目を開ける。


恐る恐るそれを見下ろせば、骨片は粉々となっていた。

「どうよむ?」

祖母に問われ目を閉じる。ヒビ割れどころか模様もなく、粉々に砕けてしまったのだ。吉兆とはとても答え難かった。

だが咄嗟に口をついて出たのは意図しない言葉だった。

「兵の本は」

そこで止まる。続かない。

慌てて顔を上げ、必死に神の声を聴こうと耳を澄ますヒメコの耳に届いたのは佐殿の声だった。

「兵の本は禍患を杜(ふさ)ぐにあり。『闘戦経』か」

そして何かを得た顔をする佐殿。それを見て祖母はパンパンと大きく柏手を打って深い礼をした。それから佐殿を見上げてニヤリと笑う。

「以仁王が令旨を出したんだってね。追い込まれた鼠は猫を噛んで逃げる。腹括ってやるだけやってみるがいいさ」

祖母の言葉に佐殿がフッと口元を緩める。

「尼君の情報網には恐れ入る。もしやそれも遠視の力ですか?」

「さあてどうかね。必要のある情報は耳に届くものさ。必要のないものは届かない。それだけのこと」

それからヒメコをチラと見て続けた。


「佐殿。行くならヒミカも連れて行け」

え、と顔を上げたヒメコは、同じ驚いた顔の佐殿と目を見合わせる。

「いや、これから戦ですぞ」

「だからこそだ。龍の姫の傍に置いておけば良い。私らの役目は佐殿が生を受けた時より、その側に控えて祈り祓うこと。役目終えれば勝手に帰ってくる。それまで預けるぞ」

そうしてヒメコは佐殿と共に伊豆の北条館に戻ることとなった。

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