二十 求婚

「それは小四郎、あんたが悪いのよ。客人があると引きこもって顔を出さないんだから」

アサ姫がそう言って笑い飛ばす。

むっつり顔のコシロ、改め北条家の次男である小四郎は、一応場にはいるものの隅の方で黙々と食事を口に運んでいた。その横で五郎が同じように汁をすすっている。そう言われるとこの二人はどこか似てるような気もするけれど、その放たれる気はまるで違う。明るく軽やかな五郎の気に対し、コシロ兄の気はじっと重く、なのに薄い。わざと気配を消しているのではないかと思うくらいに。


朝餉の後は皆で外に出た。


「前に話した廣田神社の御田植神事なんだけど、早苗の生育が良くて田の準備も整ったから直近で日の佳い明日に急遽行われることになったのよ。だから今日が最後の稽古。ヒメコ様、よろしくね」

アサ姫の言葉に頷きつつ、また龍が視られるかもと仄かに期待する。

それに、とヒメコは庭の木陰にいるコシロ兄へと目を向けた。

彼の声が聴ける。

コシロ兄の周りには子どもがたくさん群がっていた。馬に乗せてくれるお兄ちゃんと呼ばれ、手を引かれ足に纏わり付かれ、背に飛びつかれる。コシロ兄は無言無表情のまま、されるに任せている。子ども達が大笑いしてもニコリともしない。どんなことをされても全く反応を返さないのに、子ども達はそれすら構わず遠慮なしに更に纏わりつく。

コシロ兄に話しかけるきっかけを探しながらその光景を見ている内に、ヒメコは何となく纏わりつく子ども達の気持ちが分かるような気がした。

コシロ兄は何も言葉を発しない。何かをさせようともしない。でも相手が何かをしてきたら、それには丁寧に対応をする。相手に何も求めず、でも相手からの発信はそのままありのままに受け入れる。それは五郎や四の姫などの身内も、それ以外の子達も分け隔てなく平等に。ただ、その子の体の大きさなどに合った対応は気を付けているようだった。

だから子ども達はそれぞれ自分が認められ、受け入れられている安心感を抱いて懐くのだろう。

「小四郎兄、投げてみて」

五郎の声にコシロ兄が振り返り、紐を受け取ると投げ上げる。紐は綺麗に回転して枝へと引っかかった。

「ねえ!姫姉ちゃん、見てて!」

声をかけられ、今度は五郎が投げ上げるのかと思いきや、五郎はコシロ兄の背に猫のようによじ登るとそこから跳び上がった。同時に紐を枝に投げつける。

「よっしゃ!」


歓声と共にかなりの高さから綺麗に地に着地する五郎。まるで猫の子だ。

それから皆でひふみ祝詞を歌い始める。ヒメコはそっと列から抜けてコシロ兄の側へと近付いた。

声が聴きたい。コシロ兄の声が聴きたかった。怒鳴り声じゃない普通の声。

何故こんなに固執するのかわからないけれど彼の声が聴きたい。聴かなくては、とそればかりでコシロ兄の隣へとにじり寄る。


でも隣に立って気付く。


全然聞こえない。

口は動いてる。何か言葉を発してるのも一応はわかる。だけど何も聞こえない。

ヒメコはコシロ兄の袖を引っ張った。

「コシロ兄、歌ってないじゃない!声が出てないわ!少しでいいから声を出してよ。それじゃ声が全く聞こえないわ!」

つい声を荒げてしまう。

と、藤原邦通が微笑んで横に並んだ。

「おや、比企の姫君は小四郎君のお声が気になるか」

「だって、話しかけてもいつも何も返してくれないんですもの。どんな声してるのかわからないから気になって」

すると邦通は「ああ」としたり顔で手を打った。

「呼ばうという言葉があります。男君が御簾の向こうの女君に声をかける。女君はその声を聴き、相手が自分の運命の相手かどうかを判別し、そうと認めたら自らの元へと通うのを赦すのです。昔からの風習ですが、考えてみれば虫も鳥もそうやって雄が声をあげて雌に選んで貰うのは同じ。つまり生き物というものは、人も獣も女性の方が強いということですな」



え、そんな事言われたら、声を聴かせてなんてあらためて言えないじゃない。

コシロ兄の隣でニコニコと、いやニヤニヤと笑う邦通を睨み付ける。

でも、ヒメコはもうわかってしまった。

だって、何度も聴いてる。


南無三!

覚悟を決める。


ヒメコはコシロ兄の前に立つとクッと額を上げて宣言した。

「私、あなたの妻になる。あなたの妻にしてください!」


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