十九 紐

ジャリッ!

小石が割れる音がして誰かが近くに立つ。

「捕まれ!」

投げかけられる紐に必死で手を伸ばす。それが指に引っかかった瞬間、ヒメコはその紐に不思議な力を感じた。水音が消え、周りの動きがゆっくりに見える。ヒメコは前に父に教えて貰った五色の紐の話を思い出していた。阿弥陀様の指と繋がっているというその紐を辿れば往生出来るという。その時見せて貰った来迎図が目に浮かぶ。阿弥陀三尊図。中央の如来さまの脇に仕えているのは観音さまと、あと何菩薩さまだったっけ?


紐がグイと引かれ、ヒメコは尖った小石がいっぱいの河原へと何とか逃げ果せた。

「山に雨が降ると、たまにこうなるんだよ。でも無事で良かった」

五郎の言葉に、改めて自分のいた場に目を向けたヒメコはゾッとした。生えていた草花は根こそぎ持って行かれ、茶色い土が見えて拳大の石がゴロゴロ転がっていた。

跳ね返った泥水に膝上まで濡らされ、ヨロヨロと館に戻る。


「おや、ヒメコ。また濡れ鼠になってるではないか。そんなに遊んでばかりいると尼君に叱られるぞ」

呑気な佐殿の声。でも今はそれが有難い。ヒメコはホッとして佐殿に縋り付くと今しがたの出来事を話した。

「小四郎、珍しいな。おまえが増量を見逃すなんて」

佐殿がヒメコの後ろに声をかける。すると五郎が声を上げた。

「姫姉ちゃんが歌ってるのをボーッとみとれてたから悪いんだよ。小四郎兄のしんねりむっつり!」

しんねりむっつり?

よく分からないけど悪口のようだ。対し、コシロは反論せず黙ったまま馬屋の方に行こうとする。

行ってしまう!

「コシロ!」

声を張り上げる。

「有難うございました!」

コシロは足を止めて振り返る。

でも何も答えずまた踵を返そうとした。

「小四郎。今朝はちゃんとこちらで食事をしろ」

佐殿がコシロに声をかける。

コシロは佐殿を見返し、渋々といった表情で頷いた。

この少年、本当に無口な人なんだ。殆ど声を聞いたことがない。

聞くのはいつも怒鳴り声。それも一言だけ。

大抵はヒメコが危ない時。

あ。

ヒメコは祖母の言葉を思い出した。

仲間。

そうかと一人で勝手に納得する。この少年は私を助けてくれる仲間の一人なのかもしれない。縁のある人なんだ。そう考えたら何だか突然ドキドキとしてくる。

佐殿に続いて館に入っていくコシロ。


「あの、コシロ。何度も本当に有難う。それでね、あの、何かお礼をしたいのだけど、私が何かコシロに出来ることってないかしら?

声が聞きたい。怒鳴り声じゃない声。懸命に話しかけて声を引き出そうとする。

と、佐殿が立ち止まり、「ヒメコ」と声をかけてきた。

何よ、コシロに話しかけてるんだから邪魔しないで欲しいのに、と佐殿を睨みつけたらペシンと頭を叩かれた。

「仮にも世話になってる北条家の次男を呼び捨てするのはいかにも失礼だぞ。それもお前より大分年上なんだから、せめて他の姫たちと同じように、小四郎兄くらいにしておけ」

「え?」


「ヒメコはポカンと佐殿を見上げる。

「え、彼はコシロっていう名前の近所の村の子じゃなかったの?」

途端に響く大爆笑。それを聞き付けた妹姫たちが五郎から事情を聞いて笑い転げ、少年はそれから小四郎兄ではなく、コシロ兄と呼ばれるようになってしまった。

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