十三 比企のばば

比企の館の主は祖母だ。元々は祖父がここ比企庄の代官をつとめていたが、少し前に亡くなったので祖母がその権限を継いでいた。

父は祖母の実子だが、祖父とは血の繋がりがなかったようで相続出来ず、一家は祖母を補佐しながら暮らしていた。



祖父母は源義朝と熱田神宮の姫である由良御前との間に生まれた嫡男、頼朝の乳母夫。祖父は宮中の祭祀を司る掃部尞の三等官。祖母は熱田神宮の巫女だった。保元平治の争乱後に佐殿が伊豆に流されると夫婦で武蔵の比企庄へ移って代官を務め、その禄の中から佐殿に仕送りをした。

「ヒミカ、佐殿を護るのが我らの役目なんだよ。じじがいなくなったらばばと共に佐殿を頼むぞ」

そう言って祖父は亡くなった。

祖父母にとって、いや比企にとって佐殿は大切な主。


でもヒミカにとっては、たまに比企に泊まって遊んでくれる親切なおじさんであり、字や楽器を教えてくれたり世間の面白い話や大陸の偉人の話を聞かせてくれたりする優しい先生だった。


佐殿は変な人だった。至極知的な話をするかと思えば、時に子ども以上に感情的になって泣いたり喚いたり笑ったり怒ったり我儘を言ったりする。その度にてんやわんやの大騒動になるので困った存在だったが、祖母はそんな佐殿を愛して尽くしているので、ヒミカはいつしか、主人とはそんなものかと思うようになっていた。


「お祖母さま、戻りました」

声をかけて部屋へと入る。

祖母は常の通り白の装束でヒミカを待っていた。

その前に手をついて挨拶をする。祖母はチラとヒミカに目をくれるとニヤリと笑った。

「おやおや、たった数日で随分見違えたじゃないか」

ヒミカは自分の身を見下ろす。

いつもはヒミカも白の装束で祖母の前に出る。でも今日はどうしてもその白に手が伸びなかった。だからだろうか?

ヒミカは頭を下げた。

「お祖母さま、ごめんなさい。私、すぐ出掛けたいのです。彼を助けに行かなければ。外出を許してください!」

言って立ち上がろうとする。でもそのヒミカの膝にトスと手がかけられた。

白猫の前足だった。

ヒミカは少なからず驚く。この白猫は今までヒミカの匂いを嗅ぐことはあっても自らヒミカに触れてくることがなかった。

「そう、マルの言う通りさ。お待ち」

祖母は両の掌を擦り合わせて手首の数珠を鳴らしてからヒミカを見上げた。

「ではまず、おまえの気にしてることから教えてやろう。

死体は一つ。背から血を流した大人の男のもの。それから手入れの悪い長刀に棍棒。槍一本。死んだ男から少し離れた場所に血痕が多少。それだけだったそうだよ」

「男の子は?馬は?」

「居なかったそうだよ。山の方に向かう蹄の跡が残ってたそうだから無事に逃げたんだろうさ。残りの野盗もその子もね。どっちがどう逃してやったのかは知らないが、比企の者らが駆け付けた時には人の気配は既になかったそうだよ」

ヒミカはホゥとため息をついた。

「逃げた。逃げられたのね。よかった」

すると祖母は首を横に振った。


「おまえを比企まで送ってきたんなら顔くらい出しゃいいのに変なヤツだね。夜の山越えを気にしないなんて、案外そいつも野盗なんじゃないかい?」

ニヤニヤ笑う祖母に、咄嗟にヒミカはかみついた。

「違うわ!彼は野盗じゃない!」

声を荒げたヒミカを、祖母はふぅんと曖昧に返事して膝先にあった湯を飲んだ。


「というわけだ。じゃあ、そっちはもういいね?」

問われてヒミカは不承不承頷く。

祖母は嘘をつかない。それに人の見えないものも見える人だ。きっと少年の無事を確信したのだろう。祖母がそう言うのなら、とヒミカは黙った。

「では次。北条の一の姫のことだ。

ヒミカ、おまえには視えたんだろう?」


湯呑みを置いて膝に肘を乗せて指を動かす。

ヒミカの膝に手を乗せていた白猫が立ち上がって祖母の指先に自分の首を乗っけて喉を鳴らし始める。

ヒミカはそれを眺めながら、後でマルに礼を言わなくてはと男の腕の中をすり抜けたことを思い出していた。

それから北条の館でのことを思い出す。

「最初は観音さまだと思いました」

祖母の指が止まる。

「観音さま、ねぇ」

呆れたような可笑しそうなような、よくわからない色の声で返される。

「でも皆で祝詞をあげていたら龍になったんです。赤い玉を持った龍。その内にその赤い玉がお日さまの光を全部吸い込んでしまいました。一の姫は龍です。とても危険な龍。佐殿のお相手には相応しくない。きっと取り殺されてしまう」

あの時の雷とビリビリとした空気を思い出してヒミカは身を震わせた。

」ふん、そうか」

祖母は短くそう返事した後、ククッと喉を鳴らした。

「お祖母さま?」

「それで、佐殿にはそれを伝えたのかい?」

「ええ。でもやめるよう伝えたのに、幸先がいいと笑い出したのです」

「へぇ、幸先がいいねぇ。そりゃまた随分肝が座ってきたじゃないか」

「死なぬ者などどこにいる?とまで言い出して。まるで自棄になっているようでした。このままでは八重姫の時と同じ悲劇が繰り返されてしまう。どうかお祖母さまが直接佐殿に話して止めてください。今度こそ、どうか!」

すると祖母は笑い出した。

「止めても聞かないのは八重姫の時と同じだろうよ。だが同じじゃないことがある。おまえは今回は声を聴いたんじゃない。龍を視たんだろう?」

「ええ、視ました。だから何とかしないと佐殿が龍に喰われてしまう!」

祖母の腕に縋る。でも祖母の腕は白猫を抱えたまま撫でる動きを止めない。

「お祖母さまったら聞いてらっしゃるの?」

ヒミカの声が鋭くなる。

祖母はやっと腕を止め、ヒミカを見て口を開いた。

「龍に喰われるような鬼ならば、都に巣食う百鬼どもはとても成敗出来ないだろうね」

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