九 鏑矢
もう駄目だ。少年が殺されてしまう。
嫌だ。彼が殺される所なんか見たくない。彼は自分を送る為に馬を出してくれたのだ。自分が急いで帰ると我儘を言ったばかりに殺されてしまうなんて。
誰か。誰か助けて。
でも喉が引き攣って呼吸もままならない。目を閉じたいけど怖さのあまり閉じられない。
胸を押さえてうずくまり、必死で顔を背けたヒメコの視界の端で何かがキラリと光った。開いたままの目がそれを追う。長い柄のついた槍が半回転して銀の刃が弧を描き、差し込む木漏れ日を照り返した光だった。槍はそのまま一回転して地に突き刺さり、浅く土をえぐった後、ガランと重い音を立てて転がった。その向こうで男がガクリと膝をつく。
何?
何が起きたの?
少年は?
くそ!足をやられた。小童、よくもやりやがったな!」
男の声が響く。
その声に、馬の手綱を握っていた男がその手を離し、代わりに腰に下げていた長刀を引き抜いて足を怪我したらしい男に駆け寄る。
その間に少年は馬に駆け寄ると鞍につけられていた弓を手に取った。素早く一本の矢をつがえて射放つ。
ピョオオオオ
不思議な音と共に矢は木立を抜けて上空へと飛んで行った。
少年は矢を放つと同時に馬の鼻先を周ってこちらへと駆けてくる。
小童、ふざけた真似しやがって!」
刀を持っていた男は刀を振ろうと刀を振り上げたが、馬に当たると思ったのか一瞬躊躇して振り上げた腕をそのままに少年を追う。
そうだ、今のうちに逃げなきゃ。立ち上がりかけたヒメコの腕が掴まれ、物凄い力で引っ張り上げられる。
「大人しくしてろって言ったろ。もっと痛い目にあいたいのか?」
男は左手一本でヒメコを吊り上げ、
右手の小刀でヒメコを脅してくる。
でも男が掴んでいたヒメコの腕が急に自由になった。
ドスンと落ちたヒメコの隣に崩れ落ちる男の身体。その背には黒い小刀の柄が深々と突き立てられ、そこから赤い染みがみるみるうちに広がっていく。
何?
何が起きたの?
震えるヒメコの手がまた引っ張りあげられる。
もう嫌だ。
振り払う力などもうない。捻る余裕なんてあるわけもない。
膝をついて諦めようとしたヒメコの耳に低い声が響いた。
「立て」
命令されるけど出来るわけない。
足がガクガクと震えて使いものにならない。
でもその声にどこか聞き覚えがある気がしてヒメコはようよう顔を上げた。
ヒメコの手を掴んでいたのは少年だった。
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