八 猫の如く
山の外れ、林道の入り口。刀や槍など武器を手に下卑た笑いを浮かべる三人の男たち。
人買い、野盗だ。やっぱりこの少年は盗っ人の手先だったんだ。帰るなんて言わなければ。無理にでも馬から飛び降りていれば。佐殿も自分もまんまと騙されたのだと、悔しく悲しく思う。
その時、ヒメコの足と身体を固定していた布がスルリと取り払われた。少年はその布を地へと落とす。
その反対側に槍を手にした男がゆっくり近付いてきた。
引き渡されてしまう。
逃げなくては。でも長く固定されていた足はじんじんと痺れ、まともに動きそうにない。
男はヒメコの顔を覗き込んで満足そうな笑みを浮かべた。
「馬と子どもは拾い物だな。だが小童はどうする?」
振り返る男に別の男が答えた。
「俺らの顔を見たんだ。足がついちゃいけねぇ。とっととバラせ」
え?
バラせって殺せってこと?
そこで気付く。
少年はこの男達の仲間で はなかったのだ。
ホッとすると同時に疑った自分が恥ずかしく、少年に対してひどく申し訳なく感じる。
ザリと草履の音がして男が足を踏み出した。「だよなぁ」という返事と共に男は槍を構え直す。
木漏れ日を反射して鈍く銀に光る槍先が目の前を横切る。
その時、ヒメコは腰を挟み上げられ、真横に放り投げられた。
ザザンッ
茂みの中へと頭から突っ込む。だが直ぐに引っ張り出され、また別の男に腰を横抱きにされる。
「よし、こいつは俺の獲物だからな。あとは馬だ。くれぐれも傷付けるなよ。おい、何してる。早く小童を殺せ」
ヒメコの頭や着物から尖った葉や小枝がパラパラと落ちる。痛いのか熱いのか何が何だかわからない。太い腕にしっかりと腰を抱えられ、ヒメコは足をじたばたさせながら目の前で馬の手綱に手をかけるもう一人の男の左手に握られた棒を眺めた。
『手首を掴まれたら悲鳴など上げずに、まず捻って手を取り戻せ。身体が自由になったら相手の手の届かぬ場まで走って、それから助けを求めよ』
佐殿の言葉を思い出す。
そうだ。手首の外し方なら教わった。手首を掴まれたら引っ張っても押し返してもいけない。こちらが力を入れれば入れただけ相手も同じ力を入れてきてそのまま固まってしまう。だから、もし掴まれてしまったら相手に気づかれないようにそっと力を抜き、相手が出す力の向きに自分の力の向きを沿わせつつ方向を変えて押し出して相手の体勢を崩して逃げるのだと。
でもそう耳で聞いても何だかよく分からなくて結局出来なかった。
手首でさえ出来なかったのに腰を丸抱えにされていては、力の向きも何もあったものではない。
でもこのままじっとしていてもどうにもならない。どうにか身体の自由を取り戻さなくては。どうしよう。どうすれば逃げられる?
ふと、祖母の飼ってる猫のことを思い出す。白くて太った猫。ヒメコが抱き上げるとすぐにグニャリと身をくねらせ逃げてしまう愛想のない猫。
そうだ、猫になればいいんだ。
ヒメコは一つ息を吸うと一旦止め、フゥと深くゆっくりと吐いた。
同時に体中の力を抜きつつ猫のように身をくねらせる。ヒメコを抱えていた男の腕がそれに反応して抱え直そうと動く。
その時、馬が突然いなないて首を仰け反らせた。手綱が引っ張られて男の体勢が崩れる。ヒメコは男の身体に手足を掛けると猫の如く腕の中から飛び出した。
ゴロンと地面を一回転する。
すぐ目の前に男の握る木の棒。その先端に手をかけ、あの朝に五郎がやっていたように捻り上げたら、男はあっさり木の棒を手放した。
「あ、こいつ!」
慌てた男が手を伸ばしてくるが、ブンブンと棒を振り回して応戦し、首を廻らせて少年の姿を探す。
少年は馬の向こう側で槍を手にした男の前にいた。でも少年と男とでは体の幅が倍も違う。
助けを求める状況にないことはわかる。ヒメコは絶望的な気持ちで闇雲に棒を振り回しつつ、どこか逃げ場はないかと目を彷徨わせた。
ガツッ!
鈍い音がして恐々目を開けたら、男が腕で棒を受けとめていた。棒はすぐに奪い返される。
「このガキ、生意気なことしやがって。おいそれと逃がすもんかよ。大人しくしてろ」
そう言って足を上げる。
蹴り飛ばされてヒメコは大きく後ろに吹っ飛んだ。
痛むお腹を押さえて上体を起こしたヒメコの視界の中、男が槍を振り上げると先端をぐるりと廻らして少年の胸元へと狙いを定めるのが見えた。
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