六 盗人の少年
雲間から真っ直ぐ墜ちてくる龍。赤い大きな口の奥の暗がりまで見える。下顎に逆向きに付いている鱗が虹色に光っている。ああ、あれが逆鱗というものか。龍がみるみる近付くのに恐怖はなく、ヒメコはぼんやりとそんなことを考えていた。
どぅっ
龍が落ちたのはヒメコの上ではなかった。手を繋ぎ、笑い合う佐殿とアサ姫の上。
なのに彼らは何も感じていないようで、笑顔のまま歌っている。ただ突風がザァッと吹き抜け、それに煽られたアサ姫の下げ髪が舞い上がった。
豊かなその髪はたくさんの手を持つ観音菩薩の幻影を形づくる。そのたくさんの手がゆっくりと中心で合わさった時、後光が消えて人の姿を取った。
龍はアサ姫へと戻る。
でも人の形を取ってるのが不思議な程にその姿は暗く、重く、その場を圧倒していた。
アサ姫の背後から立ち昇る薄い影。仄暗い煤のような影が、また龍となり腕を伸ばして紅い玉を持ち上げる。玉は陽の光を浴浴びて僅かに震えた後、突如辺りの光を吸い込み始めた。光の帯はどんどん吸い込まれ細い糸となり、そして辺りが暗くなる。
「あ、雨だ!」
誰かの声と共に前触れもなく雷が近くに落ちた。
「皆、早く入りなさい」
ニの姫の声とバラバラ駆けていく子ども達の足音。そして大粒の雨が地を叩く轟音。
でもヒメコの足は動かず、ただ落ちた雷の気配が辺りの空気を震わせているのを感じていた。
ビリビリと尖った空気。突き刺すような焦燥感。この感覚には覚えがある。何も出来ない。何も言えない。ただただ胸に迫る悲壮感。
そんな無力感ばかりが支配する空間に身を置かれ、ヒメコは呆然と立ち尽くす。
でもその昏い空間にポツリと穴が開いた。
そこから子どもの声が漏れ聞こえてくる。
いたいのいたいの、とんでけ」
「いたいのいたいの、とんでいけ」
「いたいのいたいの、とんでけってば!」
誰だろう?聴いたことがない。でもとても懐かしい声。
とても愛しく懐かしく、哀しげな声。
聞いて堪らなくなって腕を伸ばす。
受け止めて慰めてあげなくては。
なのに届かない。あの子に届かない。
早くしなきゃ。
早く。早く。早く行かなくては。
あの子が待ってる。
「姫姉ちゃん!」
袖を引っ張られる。
「何してるの!?濡れちゃうよ。雷が落ちてくるよ。早く行こう!」
そうだ、早く行かなくては。
でも足が動かない。
どうしたの?怪我でもした?痛いの?悲しいの?」
心配そうな顔をした五郎がヒメコの袖を引っ張っていた。
悲しい?
そう、とても悲しい。とても悲しくて切ない。でも何故なのかがわからない。
どうして?
ただ答えた。
「私、帰らなきゃ」
そう。帰って祖母に聞かなくては。
あれは私?と。
その時、誰かに小脇に抱えられ、ヒメコは館の中へと放り込まれた。
「何をやってる!雷が鳴ってるだろう!」
厳しい声。
こんな声聞いたことがない。こんな扱いを受けたこともない。
勢いよく放り込まれた時にしたたかに打った腕を摩って声の主をふり仰ぐ。
盗っ人の少年だった。
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