五 じゃれる
「ヒメコさま、いい匂い。」
ふと気付いたら、あどけない顔のお子が一人、ヒメコの腕にもたれかかってくんかくんかと匂いを嗅いでいた。
「あ、五郎ったら、この甘ったれ。こら、離れなさい。ヒメコ様に失礼でしよ!」
十くらいの姫が、ヒメコにしがみついていた子の脇を抱え上げる。そして、ていっと横に放り投げた。
あ、と声をあげる間もなく、その幼な子は床に叩きつけられる
と思ったら、五郎と呼ばれたその子は猫のようにくるりと丸まると器用に一回転して立ち上がり、またヒメコめがけて駆け寄ってきた。
「あ、あの、大丈夫?頭は打ってない?怪我は?」
びっくりして声をかけるも、その子はううんと首を横に振って、またヒメコの袖にしがみつく。
「こら、離れなさいって言ってるでしょ!」
別の姫が声をあげるのをヒメコは大丈夫だと手で合図して、袖の中に入れていた守袋を取り出した。
「いい匂いって、これのこと?」
守袋を幼な子の顔に近付けると、その子はコクリと頷いて全開の笑顔でヒメコを見上げた。
その途端、ヒメコは衝撃を受ける。
な
な
な、なんて愛らしい!
五郎と呼ばれていたから、男の子なのだろうけれど、どこからどう見ても女の子にしか見えない愛らしさだった。
仏のような、とよく言うけれど、この子の可愛らしさはなんというか、そう、まるで聖徳太子がお小さい時はきっとこんな様子ではなかったかと思わせる程の浄らかな美しさだった。
だが、守袋をまた袖の中にしまおうとした瞬間、その気配が一変した。
まるで獲物を狙う猫のように目の色が変わったのだ。
ヒメコはギョッとして思わず守袋を遠くに放った。すると男の子は猫のように素早く飛び上がり、守袋が中空にある内にその手に掴むと、タタタッと戻ってきて「はい」と渡してくれた。
だが、礼を言って懐にしまおうとするとギロリと睨まれる。
「早く投げて」
「え?」
言われた通りに投げると、また飛び上がって中空で掴み取り、床につくなり駆け戻ってきて返してくれる。
どうも、そういう遊びをやっているらしい。
猫や犬がそうやって遊ぶのは見たことがあるけれど、男の子もそうやって遊ぶのかと感心して見ていたら、その男の子が突然吊り上げられた。
「こら、五郎。それはヒメコ様の大切な物。鞠ではないのよ!」
観音さまが男の子の襟首をつまみ上げて、その手の中にあった守袋をサッと取り上げると男の子をポイッと横に放り投げた。それからスタスタとヒメコの前にやって来ると
「ごめんなさいね。いたずらっ子で」
そう言って守袋を返してくれる。
「え、でも」
男の子の方を見たら、投げられた筈の男の子は既に立ちあがっていて、こちらをその大きな瞳で睨みつけると、突如その場で地団駄を踏み始めた。同時に大きな声で泣き出す。
その声量は彼の体の小ささに見合わないほど見事なもので、ヒメコは思わず耳を塞いでその場にしゃがみ込んだ。
でも塞いでも指の間から漏れくる悲痛な
泣き声。
ヒメコは慌てて守袋を懐から取り出すと男の子の目の前に差し出した。
途端にピタリと泣き止んだ男の子。
ああ、嘘泣きだったのかと思ったが、差し出したものは戻しにくい。
「いいの?」
目をキラキラさせてこちらを見上げる愛らしい男の子に、つられて笑顔で頷いて見せる。
守袋はまた作ればいい。
母は苦い顔をするかもしれないけれど、こんなに可愛い子なのだ。お守りはあって邪魔になるものではないだろう。
その時、沈香がふわりと強く香り、その人が現れた。
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