六 佐殿




「おやおや、やっぱり五郎か。今度は何をやらかした?」


ゆるゆるとした動作で現れたのは佐殿。でもヒメコの視線はその後ろに釘付けにされた。

「まぁ、ヒメコ様。ごめんなさいね、うるさくて。ほら五郎、泣き止みなさい」

観音さまだ。

顔を輝かせたヒメコの前で、観音さまは五郎の首根っこを摘み上げると、もう片方の手で拳を作り、ごんと頭の上に落とそうとする。

でもその瞬間、五郎が身を捩り、スルリと観音さまの手の中から抜け出した。ベェと赤い舌を出すと一目散に走って逃げていく。

まだ小さいのに見事な体捌き。武家の子はみなそうなのかと感心する。


でも

武家なのに、とてもそうは思えない人もいるけれどね


と、ヒメコはチラとそちらに目を送った。


佐殿、源頼朝様。

祖母が仕える家の嫡男として生を受けるも、大分前の争乱で、家長はおろか親族揃って一族みな悉く討たれ、または首を刎ねられたり遠流にされたりして、ただ一人伊豆に流されてきた人。武家の棟梁の筈だけれど、とてもそうは見えない愚鈍な人。それでも祖母は佐殿を見捨てることなく、祖父と共に比企の庄を管理しながら何くれとなく面倒を見続けてきたのだ。そして今もこうして佐殿に通う姫が出来たと聞いたら、その姫はどんな人物かと探りを入れる程に干渉する。

ただ、祖母自身はあまり比企の庄を離れられなくなっている為、こうしてヒメコが代わりに見に寄越されたというわけだった。

「おや、用は済んだか?藤九郎がそろそろ帰りたいとソワソワしているぞ」

ニヤリと笑うその顔は、早く帰れと言っている。でもヒメコは口の端をついと持ち上げると首を横に振った。

「佐殿、こんにちは。こちらにいらしてたのですね。では、私も暫くこちらに身を寄せさせていただきますわ。宜しいでしょう?」

私も、を強調させて佐殿を振り仰ぐ。

佐殿はヒメコを一瞬じっと見つめた後、観音さまへと体を向けた。

「良いかな?」

ただそれだけの言葉に、観音さまは迷いなく微笑んで頷き、ヒメコへと歩を進めた。

「妹達と一緒で宜しいかしら?狭くてうるさいけれど大丈夫?」

はい、と大きく返事をしたら姫君たちの歓声が上がり、ヒメコはまた手を取られて姫たちの部屋へと引っ張り入れられる。そしてひいな遊びが再開された。夕餉時にふと、今頃比企で母が癇癪を起こしているだろうなと思ったが、祖母と父がうまく宥めてくれるだろうと忘れることにした。父に暫く会えないのは寂しいが、それよりも比企の館を離れられたことにヒメコは心からホッとした。暫くここでゆっくり羽を伸ばそう。監視をしながらだけれど。


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