三 名付く

ここは伊豆の北条館。祖母が育て仕えている「佐殿」こと源頼朝様は、先頃ここ北条の姫の婿となったという。


その姫が祖母の目にかなうか、伊東の姫の二の舞にならぬか、よくよく視て祖母に伝えるのがヒミカの役割だった。

佐殿が選んだのは北条の一の姫と聞いた。でも北条殿には沢山の姫君が居られるらしいから、どの姫かよくよく確かめなければいけない。

でも…


観音さま。

そうだ、彼女に違いない。

ヒミカは確信を持って観音さまのお顔を思い出し、そして失意のため息をついた。

想像していたより大柄で、姫というより、もっとがっしりとした、まさに観音さまのようなお人だった。

あの鷲のような瞳。

全てを見抜くようなあの瞳にヒミカは胸を打たれ、心奪われた。あんな人は初めてだ。触れられていた腕がまだ熱くじんじんと熱を帯びている。もっと触れていて欲しいと、側に居て欲しいと心が叫んでる。

源氏物語によく出てくる、高鳴る恋の予感とはこれではないのかしら?観音さまは女の人で、私も女だけれど、でもこれこそ恋ではないかとヒミカは思った。だって、源氏物語の中の光の君も姫君たちもみな、恋をすると苦しいと言って悩んでいる。

でも…。

観音さまは先程ヒミカのことをヒメコと呼んだ。最初に名を問われた時にヒミカと名乗ってしまったのに。

もしや聞き間違えたのか?それとも聞かなかった振りをしてくれた?

どちらにしても、ヒミカはここではヒメコの名で通すことが出来る。

新しい名。観音さまが与えてくださった初めての名。

「ヒメコ」

自分でもその名を口にしてみる。

うん、いいかもしれない。

初めて聞いた音なのに、不思議とその「ヒメコ」という響きはヒミカにしっとりとした安堵と居場所を与えてくれた気がした。そして何故かわからないけど押し寄せてくる切ない感じ。懐かしいような悲しいような…。


でも嫌な感じでは全然ない。ただただ不思議な心持ち。


きっと観音さまはヒミカがうっかり口にしてしまった真名をそれと気付き、わざと隠して下さったんだ。そしてその霊力で私に合う新しい名を与えてくれた。

ヒミカは庭からそよぐ風と小鳥の声を耳にしながら自分に都合よくそう考えることにした。



そしてこれよりヒミカは、ヒメコという名の元、その名の響きの有する意味や魂と共に生きていくこととなる。

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